珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

これが目的

2024-08-02 | 日記
娘が幼稚園に入った時、渡されたクラス名簿が、男女がごちゃまぜのアイウエオ順だった。
「へえ、ジェンダーフリーってやつ?」と、昭和の母としてはそれが新鮮だったけど、そんな時代なんだなあとあまり深く考えなかった。
が、それから9年後の小学校の卒業式に、驚いたことがあった。

卒業証書を受け取る順番も「男女別で男が先」ではなく、男女関係なくアイウエオ順で(ちなみにその時は「アンドウ」という姓の女子が一番だった)、
私は男尊女卑に反発心が強かったので、むしろそれはいいんだけど、びっくりしたのはそれでなくて、大勢の男の子が女子と同じようにハンカチで目を押さえながらワンワン泣いていたことだった。
一人や二人じゃなくて大勢が、涙を隠すことなく、歌をうたいながら大泣きする様子に「ええええ?いつからこんなんになったん?」と、昭和の母は今度こそ驚いた。
うちらの頃って「男は人前で涙は見せるもんじゃない」が当たり前で、甲子園で負けたとかならわかるけど、卒業式で泣くなんて聞いたこともなかったもんね。
娘に言ったら(ちなみに彼女はクールで泣かないタイプ)、「本番どころか今日の練習の時から皆、泣いて大変だった」「泣くのに男とか女とかあるの?」と不思議そうに訊かれた。

ジェンダーフリー教育って、ただ名簿を変えるだけじゃないというか、そんな細かいことでも小さいうちからやっていると、自然に「男も女も差はない」という意識が育っていくんだなと思った。
そして高校くらいになると、よくもわるくも優しいというのか、女の子っぽい男の子が完成する。
実際に日常を見たり、一緒に行動したわけじゃないから、あくまで娘の話を聞く限りだけど、その言動は私の時代の「男っぽい男」とは全然違うと思った。

で、昨今ですよ?
気がついたら男は男らしく、女は女らしくどころか「男女」と言ってはいけない。「ボーイズ&ガールズ」とアナウンスしてはいけない。お父さんお母さんと言い分けるのは差別だ。下手したら男女一緒のトイレにしましょうとか、オリンピックで男が女を殴り倒すとか、わけのわからん世界になった。

トランスジェンダーを差別してはいけないじゃなくて、積極的に、好んでトランスジェンダーを育成して量産していこうという確信犯だよね、間違いなく。

何が「差別をなくそう」だ😈 
違うよ、これよ。オッパイとチンチンの両方を持つこいつが大元。



悪魔崇拝では、子供は「生贄かトランスジェンダーにする」が定められており、そういう儀式に魂を売った人はどちらかを選択せねばならないらしい。
「思いやりワクチン」みたいな、心にもない「差別をなくしましょう」に、努々騙されないように。

 
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1 コメント

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Unknown ()
2024-08-02 21:32:32
私が望むのは、男女が同権という意味で対等の世界であって、それぞれの特異性を一緒にする世界じゃない。
皆もそうでしょう?
やってることがめちゃくちゃで、これの何が「差別しない」なのか。
狂ってるよねえ。
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