元ファイザーの副社長だったマイケル・イードン氏は、ウイルスがないと気づいたらちゃんとそれを認めている。
一方の宮沢孝幸氏は、ワクチンもウイルスも否定されるとこれまでの自分さえ否定されてしまうと言って絶対に認めない。
ウイルスがあるないだけじゃなくて、この違いね。
無いとなっても「今まで一生懸命研究していたからこそ、この結果に辿りついた」のでは?
なぜにそれが「自分が全否定」になるのか。
全否定なんて酷くない?
いったい誰が全否定するというのか。
人間ってそんなに完璧?
神のように間違いも勘違いもしないというの?
はっきり言って自意識過剰です。
間違いに気づいても意地をはって認めない方が、ずっと否定されると思うけど?
事実、マイケル・イードンの撤回の言葉を聞いても「そうなんだ~」で終わるけど、宮沢氏の言葉の方がずっとずっとひっかかる。ヤバい人だなと思う。
まずこれに気づけばいいのに。
今までそんなことあり得なかったのに、接種が始まったら突然出て来たんですよ?
私もこの目でしかと見ました。
でも例え自分の目で見ても、「それはスマホや磁石の方に細工されているからで、ヒト身体が細工されたわけじゃない。トリックにひっかかっているのはそっちだ」という見方になるんだよね。
あくまでも自分が今まで信じて来た概念を壊すことはしない。なぜならそんなことしたら「自分が全否定されてしまう」から。
なぜそこで「自分が全否定?」
あるVSないではなく、対立しているのはそこ。
そりゃ信じていた人に裏切られるとかだったらショックだけど、じゃあそういう人って相手が「サヨナラ」「ゴメン、実は騙していた」と言っても、或いはウソをついていた証拠が出てきても認めないのかな。
「いやいや、そんな自分が全否定されることは認めない。ワタシは一生好きでずっと離れないから」になるのかな?
相手からしたらうっとうしいか、または「え?騙したと知って尚、これからも貢いでくれるの?ラッキー」となってもいいの?
次いこ、次!!
それを応援する人もいるよ。