Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

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モリッシー “American Songwriter” インタビュー(Feb. 2018)翻訳 その①

2018-01-15 17:48:46 | Morrissey Interview

あけましておめでとうございます!

…と、大変遅いご挨拶ですが、今年もよろしくお願いします!

昨年は新譜リリースもあり、大変うれしい一年でした。今年はどんな

思いがけない、素敵なモリっしいことがあるかと、楽しみです。

 

新年一発目、もう意見を捻じ曲げられるし、プリントのインタビューは

受けない!!・・・と怒っていましたが、

モリッシーの“American Songwriter” 2月号での

インタビュー記事がオフィシャルのFBに掲載されていましたので

翻訳しました。


この“American Songwriter” という雑誌は、硬派は隔月刊音楽誌な

ようですね。買ったことなかったけど、載っている方々も、モリッシーの

嫌うアホポップミュージック系の方ではない模様…

 

一連の、炎上事件前、新譜リリース直後にやったインタビューだったのかな?

にしても、内容も「良い」と思ってオフィシャルでも紹介した

のでしょうかね 


 

 

確かにとても興味深かったので、2度にわたって掲載

 

いたします!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回のニューアルバムを出す時期が来たと思った決め手は何ですか?

一定の期間を経て、収録曲が十分に集まったからということですか?

またはスタジオに入ってレコードを作ることを、何かが駆り立てたのですか?

 

スタジオで過ごすことを光栄だと見なす世代なものだから、切迫感に襲われない限り

スタジオには行かない。今まで無理に押し込まれたり、スタジオで無駄に時間を過ご

したりしたことなんてない。そんなこと望んでないしね。もしレコーディングに対して

私が感じている畏敬の念を失ったら、うまくいかなくなってしまう。

歌は、自分にとって真実の意味をもたらすもの。もしマイクの後ろに立って歌の意味が

なくなったら、歌うことはもはやたいしたことでなくなってしまう。家にスタジオを作って

いる奴らを信じられないな。どんな点で楽しいんだろう?

 

“Low In High School”の収録曲であなたは、楽々と個人的なことと政治的なことを混ぜ

ていますが、それこそが常にあなたの曲作りの証明でもあったように思えます。

それは自然にそうなるのですか?もしくはそのふたつをうまく両立させるために、

意識的に行っていることですか?

 

意識的でない。それが私であるというだけだ。エンターテイナメントというのは現実を

説明すべきものであって、現実から逃げるべきものでない。自分たちがどこから来て、

死んだらどこに行くのかわからないのに、なぜそれを議論することを求めないのだろう?

同じように、孤独というのは世界の一番の問題だ。それならば、議論してもいいんじゃ

ないか?もし、詩と哲学は大きな人気と称賛を得ていると見なし、ポップミュージックの

中ではそのふたつがよく作用していると見なすなら、なぜ(現実を)議論しない?どうして

ポップミュージックがアホ文化の一部になるのか?音楽を書けば、「これが俺達のすべき

ことだ」と言えるし、単にそれを言うだけでもたらされる大きな影響の可能性について考え

た方がいい。

よく思うのは、ポップミュージックというのはあまりにパワフルなので、最も制限されて

しまっている。私は、自分たちの人生を表現しようとしているソングライターたちが好きだ。

そしてステージに立つことに感情的な動機を、極めて明らかに持っていない人間を嫌っている。

Xファクター(“The X Factor” …英ITVで2004年9月から放送中のリアリティ音楽オーディ

ション番組)世代が音楽チャートにおいていかに破壊的かということだ。どんなものであろう

とも自分たちで作った作品に、深い絆を感じている人々が好きだ。

 

“Jacky's Only Happy When She's Up on the Stage”は、ある少女が自身の嘆きと悲哀に、

エンターテイナメントをもってして向き合っている物語を歌ったものです。人々が、演じること

にのめり込むことに、同じような理由を感じる気がしますか?

 

ジャッキーを少女と見なすのか…なぜ彼女が104歳でないとわかる?面白いな…。しかし、ああ、

ここで「演技をする」として一番言及している意見は、それだ。たとえ本当の必然性で舞台に

立っている人々であっても、まったく演技していないということだ。彼らは、生き残ろうとして

いるのだ。我々は、歌手がニセモノの精神でそこに立っているのをとても簡単に見破ることができる。

単純に笑いものだからとか、もしくはもっと性的なものに通じていそうということでわかる。真実の

歌手が歌う時、彼らは自動的に上を向く。なぜなら催眠術的なトランス状態にあるから。本物の歌手は

聴き手の中で気持ちを昂揚させられる。その一方で詐欺師たちは商業的競争の場に進む道を見つける

だろうが、まったくのマーケティングの行使だと我々にはわかってしまう。


ジャッキーの歌は劇場の設定だが、見守る者たちが最終決定を下す。そして彼女が舞台かの上から

追い出されるのを見る。観客が「彼女に何をしたらいいか言う」ことをいなかったために、いかに

彼女が破滅したかを書いた。我々は往々にして、観客がいかに(ステージ上の者を)導いていくかを

忘れている。なぜなら、ステージの上で何をするにも人々に金を払って見てくれるよう頼んでいるからだが、

人々は金がなくなればすぐに疑い深くなる!私が言ったように、なぜ観客が最終決定権を持っているかは、

そこにある。それで、かわいそうなジャッキーは終わったというわけ。

 

もし、あなたのそれらの歌に性格づけをしなくてはいけないとしたら、権力には皮肉な視点を持ち、

毎日の日常を暮らす人々にはロマンティックな視点を持っていると感じますが、あなたはそれは

正しいと思いますか?もしそうなら、(歌には)あなたがどう世界を見ているかを反映してもいますか?

 

うん、そうだ。私は社会的正義に関心がある、特に動物たちので、どんな形の野蛮も軽蔑している。

何であろう、知性ある説得によってかたがつくはずだ。政治はステージショーになっている。警察が、

誰であろうと望むままに人を殺すことが許される法律も秩序も復権させてはいけない。それは正しくない

と我々は皆わかっているため、緊張状態は高まっている。そして殺人ポリスどもが彼ら自身の仲間の警察の

お偉方たちによって繰り返し罪を免れさせられていることも、正しくないとわかっている。

だからって何もならないが? 

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