昨日掲載の続き、“American Songwriter” インタビューの翻訳を
掲載します。このインタビューを読みながら新譜を聞いたら、また
改めて違って聞こえたり、奥深さや音、思いの厚みに圧倒されました。
いいアルバムだなぁ、ってそれは当然としてもとても面白いアルバム
だと思いました。作品を通じて、今のモリッシーに限りなく近い
「ライブ」感があるからだと思います。
…そう言えばこのインタビュー写真で着ているモナコFCナイキジャージ、
2016年の夏にファンと撮った写真でも着ていましたね。
スポーツウェアを結構普段づかいに愛用するのがモリカジ流w
よっ、イッパツ録り大将!! ←褒め言葉
(ミュージック・マガジン1月号の記事写真も同じでその時調べたw
すぐ見つけ出す職業病…w ↓)
(インタビュー翻訳続き)
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(アルバムの中の)歌のいくつかは、リズム感を上げて作られているように思
えましたがそうですか?“All The Young People Must Fall In Love”の足を
踏み鳴らすようなビートは特にそう思いました。今回のアルバムでは、そのよう
なリズミカル志向を強調しようと思ったのですか?
その通り!我々は、まるでスタジオの中を動きまわっているみたく聞こえる曲を
作りたかった。「抗議者」という言葉は嫌いでね、なぜなら現在その言葉は、
軽蔑を含むような、見くびられているような意味を含んでいる。ニュースの
中でも言葉は違う意味を帯びがちで、「人々が」と言うところは当然のよう
に「抗議者が」と置き換えられてしまう。
とにかく、“All The Young People Must Fall In Love”は、解放者たちが
街中を歩いているような音楽にしようと思った。時々、ギターがかき鳴らされ、
そして止まる。突然ドラムが大きな音で加わり、そして止まる。どの楽器も、
続けて演奏されない。まるで脳の機能が、絶え間なく切り替わり続けるかの
ように。まるで人々が楽器を引っ掴んで弾き、またそれをすぐ置いたりする
かのように…時々私は歌い、時々ハミングする…私はかつて歌の中で6回も
ドラムの演奏が完全に途絶える曲なんて聞いたことがないよ。普通ミュージシ
ャンは…最後の炎がゆらめくまで演奏し続けるものさ。
このアルバムの歌々のほとんでは、音が本当にはじけています。レコーディ
ングのプロセスについて少しお話しいただけませんか?誰と一緒に作ったか、
このレコードはどうやって形作られていったかという点から教えてください。
過去に作ってきたアルバムのやり方と比べて、何か際立って違うことはあり
ましたか?
私たちはとても素早いんだ。例えば、“All The Young People Must Fall In
Love”という歌は、考え出されてからレコーディングされるまでが2時間以内。
その後“The Girlfrom Tel-Aviv Who Wouldn't Kneel”をレコーディングした。
まっ昼間にはこの2曲とも存在もしていなかったのに、午後7時になるまでには
両方録音されていたんだ。私たち(バンドメンバー、レコーディングメンバー)
は共同体として、皆同じものを見て、聞いている。リスナーだってできるだけ
早くその歌の意味は何か知りたい、我々だってそれは同じ。だから、とても
ワクワクすることじゃないか。
私は、最後の最後にボーカルの歌入れをする-何ひとつリハーサルした
ことないんだ。1983年からこのやり方をしてきた。誰も私が何をどうやって
歌うのか、検討もつかない。そしてだいたいにおいては、最初のガイドボーカル
を採用する。そもそも、もし私がその歌に魅せられていたら、いつまでもその歌
を歌ってしまうことになるから、それでいいと思う―私は「ハッピー・バースデー」
の歌を誰に対してでも歌うなんて、できない―君に向けた言葉とメロディーを、
みんなの忍耐力が尽きる14時間もの間紡ぎ続けたりする愛すべき誘惑があるから
こそ、うまくことが進めばものすごい満足が沸き立つ。やったことすべては、
祈りと共にそこにあることになる。これはスリル満点なことだ。我々は決して
リハーサルをしない。そして素晴らしくよくまとまる。
“Israel” を聞いて、歌そのものの美しさに本当に心を打たれました。歌詞の
とその意味を本当に掘り下げて考えてみてもいないのにです。あなたは
歌詞で大胆な見解を示すことをいとわないので、時に、ソングライターとして
のメロディー作りの能力が落とされていると感じますか?
私の声に関しては、今まで何か言われたたことがないと思うよ!私はボーカ
リストとして見なされていないので、ボーカルのメロディーについて熱く考
え抜いてきたにも関わらず、それについて意見をされたことがない。まあ、
実際のところ、ほとんどの奴らが私に関して、まったく同じことを言ってい
るだけなんだから。
シリアスレディオ(アメリカ及びカナダで放送しているデジタルラジオ)で
カレッジ向け放送局を聞いていて、最もダウンロードされている曲カウント
ダウンで“Spent The Day In Bed”がかかるのを聞きました。子どもたち
が年をとって子どもでなくなり、他の子どもたちがそこにとって替わっても、
オーディエンスがあなたを好きでいるのを知るのは、喜ばしいことですか?
ああ、そうだよ。もちろん、中央アメリカ、南アメリカ、東欧では、オーデ
ィエンスはとても若く、多くが子どもたちで、そのことにはとても大きな
意味がある。歌うということは、字に書いた文章と同じように、詩の形式を
なしている。そして商業的なポップス競争の場によって私はたいてい駄目にされ
ているのにも関わらず、多くの人が考えていることを言わなくてはならない。
さもなければここに今までどうりいることはできなくなるだろう。
実のところ、人々が自分たち自身に言いたいことを、言わなくてはならない!
それを言う時こそ、歌が歌われるべき時だ。何かを言う自由が完全に終わりを
とげた2017年には、たいていの場合偏執狂として震えながら私の名前は言及された。
しかし、それが何だと言うのだ。
歌とは、私たちが過去においてきたもの。そしてライブで歌うということはとてつも
ないもの。たくさんの人々が同時に同じ幸福感を感じる。そして私の歌を歌うと
人々が生き生きしているのがわかる。この気持というのは、私の歌を批判した奴らは
誰も想像することができないほど、価値があるものなんだ。