Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

<調査結果3>1990年、「ロックの壁」を崩壊させたアイドルのこと

2012-12-07 11:34:33 | Morrissey Collection

調査結果に関して、続きです。

 

アンケートでは

「スミス・モリッシーを好きな気持ち」と「アイドルを好きな気持ち」には

はたして共通点があるのか?

とフリーアンサーでお聞きしました。

 

そんなのベツモンだろ?とも思うのですが、私のツイッターのタイムライン上で

散見する、それにしてもあまりにも最近多く目にとびこんでくる

 

モリッシーの川崎公演の次の日に同じテンションでももクロ横アリ」とか

「(あるアイドルの)××という曲はスミスの○○をほうふつ」とか

「(あるアイドルのライブで)ジョニー・マーのギター聞くのと同じような

カタルシス」

といったコメントを見る度、「もしや共通する、たましい揺さぶるなにか、

それを感じる『根っこ』がこのひとたちにはあるの??」

と気になっていたのです。

 

奇しくも、一昨日、ツイッターで8万人超えフォロワー数を有する

はなちゃん氏(@hanamuradesu)がこうつぶやいているのを見ました。

(コメント中、()内補足はかいなってぃーです)

 

それにしても....。いまや性的記号であるアイドルの

音楽を洋楽と同列に聴いてるいることを公言して

憚らない大人が多いのに、(かつて90年代頃、

邦楽の)岡村靖幸さんさえ(聞いていると)公言できない

なんて不自由だったんだね。

 

そうですよ。80~90年代までは、「洋楽>邦楽」という図式が

存在し、そもそも洋物のロックかっこいい、えらい、日本物の音楽は

少しはずかしい、でもいいものはいいからいいっか、みたいな心理も

あった。

 

ましてや、ロック好きのアッパーティーンエイジャー~20、30、40代が

「アイドルが好き」と公言するのはまず「珍しい」状況だった。

当時は大量生産カラオケ直送Jポップ(Jポップという名称もなかったが)

主流で、特に「洋楽と洋楽でないもの」の対立は大きかった印象です。

 

そんな中、大学生のとき、当時から自由に好感度、現O田出版のK先輩に

Pop Groupや当時出てきたばかりのUKのシューゲイザーものと

同じような感覚で「これプロデューサーもいいしかなりいいよ!」

と小泉今日子の「N°17」(1990年)をすすめられたときの衝撃は

忘れません。

 

「ロックをやるときだけ、キョンツーになります!」

 

…と言っていたあまりにもはずかしく「歌謡曲」過ぎる小泉今日子からの完全

なる脱皮。。。

 

そんなことがアイドル世界にも起きはじめ、わたしたちがかっこいいと

思っている、思わされていたものにインベイジョン!というゾクッとくる

予感を感じた、なんか転機みたいなできごとでした。

 

この2か月前には森高千里がある日知らない男に呼び止められて

「いいかロックンロールを知らなきゃもぐりだと呼ばれるぜ」と

言われてます。すでに従来ロックが「かっこいい」ものであるために

「お家芸」のように死守してきた壁が「臭い」とされ、ふたをされ、

崩されていました。

 

(★参考画像:その1年前に崩壊した、ベルリンの壁)

 

 はなちゃん氏のまたまた引用です。

 

「音楽の良さ以外で商品に付加価値を生むのは今も昔の表現者の

アティチュードだろう。いまは、難解でいつか硬直化をしてしまうような

アティチュードの思想性よりもファッションやシンプルな熱意からの

アティチュード」

 

…このあたりに、

わたしが気になって仕方のない「スミス・モリッシーを好きな気持ち」と

「アイドルを好きな気持ち」の共通点を読み解く鍵もあると思いました。

時間切れ。

つづく…。