2020年1月20日(月)
物部神社とイエス・キリストの墓と鉢伏山は正三角形を描きます。
この正三角形の意味することは重大です。
『イエスの生命の樹』を書き上げる前に『物部の生命の樹』の存在がありました。
もののべ と ものべ の不思議さの疑問から鉢伏山にも行きました。
鉢伏山が重要な意味を持つ山でありポイントであることは、空海様も十分に知り得ていたはずです。
そう考えると、空海様の墓から鉢伏山とを底辺とする図形が岡山、鳥取、そして九州へと繋がっていることがわかります。
鳥取市国府町雨滝の536mの綺麗な山や、岡山県美作市の袴ヶ仙とは、大きく綺麗な直角三角形を描きます。
空海の墓と栗野岳と鉢伏山は、ケプラー三角形を描きます。
空海の墓と国見岳と鉢伏山は、1:1:√2に近い三角形を描いています。
空海の墓と、四国で一番高い霊峰石鎚山と剣山との関係も、馬路の八杉森(ピラミッド)との直角三角形で関連性が作られています。
空海の墓は、九州、四国、本州、北海道とがバラバラにならないように繋ぎとめているように思えます。
そして、日本列島だけに留まらず、アジアとも契りを結んでいるかのようです。
中国の千山と剣ヶ峰、剣山と空海の墓は、直角三角形を描きます。
空海の墓と北朝鮮の霊峰白頭山と聖地千山とは直角三角形を描いています。
空海の墓は、日本国土とアジアを分断することなく、助け合い共に生きることを説いているようだ。
空海は日本とアジアを繋ぎとめる契りの役割を担っている
2019年8月19日(月)
ああ・・楽しかった岡山へのツアーも、もう遠い夢の世界となっていくようです。
8月3日(土)の夜は、矢掛屋旅館に泊まりました。
不思議な感じのお宿と街でしたねぇ。 幻想的と言いましょうか・・、ふと振り返ったら遠い過去の自分に出会えるような・・。
朝目覚めて静まり返った街並みを見ると、昨夜の幻想的な時間から現実世界に少しだけ近づいたような、・・でも未だ現代への途中の夢の世界がありました。
私は、ふと泊まった宿の前にあった案内板を見ると、卍の印に誘われるように全く知らない街をその方向へと歩いていました。
歩いていくと、南無大師遍照金剛の旗が立っていて、「空海様に呼ばれた・・!」との思いで嬉しくなりました。
入ったところは、「多門寺」。
ご本尊様はどこを私に教えるのか何を教えるのか、コンパスグラスで入念に計測しました。
途中、一乗山専教寺の立派な松には驚きと感動も。
そしてゆっくりゆっくりと街並みとお店一軒一軒見ながら宿まで歩きましたが、どこか懐かしい感じで、でもやはり不思議な感覚でした。
多門寺の御本尊さまは、瀬戸内に浮かぶ「三郎島」の存在でした。
その三郎島は、イエスの陵墓と物部神社と同距離に存在する島で、大矩を二つ組み合わせた綺麗な二等辺三角形を描いていました。
もう一度ゆっくり行ってみたいと思った矢掛町でした。 矢掛でお陰!
2019年6月21日(金)
藤原鎌足の墓は、最初は鎌足公古廟でした。 でもそこから大阪府交野市の交野山のとある場所に移されました。
法隆寺の夢殿で手を合わせると、その場所に手を合わせるように法隆寺の建築配置がなされました。
鎌足公の二男の不比等君は、時の天皇たちに信頼された様子ですねぇ。
私には、和気清麻呂とどこか人間性がダブルところがあります。あくまでも陰で支える有能な行政マンというところでしょうかぁ・・。
不比等君の墓は、計算されつくした場所である京都府南丹市八木町神吉です。
そして不比等君の長男、藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の墓は、奈良県五條市小島町にあります。
不比等君の墓は、子である武智麻呂の墓からピッタリと磁北に位置しているのは、これも後から亡くなる武智麻呂が磁南の場所を選定したと推測できます。
いえいえ、これは藤原三代の約束事だったと私は思えます。
鎌足君から親子三代それぞれの三つの墓を見つめていたら、「オリオン座の三ツ星ベルト」に見えて仕方ないので眺めていると、日本列島にオリオン座が浮かびあがりました。
親子三代、かみなり三代と言われたとか言われなかった・・とか。
実は、不比等君のお墓へ行くと決めたのは、前日の15日(土)の午後、なんの前触れもなく突然、「ドド~~~ン!」と一発、ものすごい大きな音を轟かせて雷が落ちたようでした。
その大音響で、「明日行きます!」と決心したのでした。
オリオン座の重要な拠点として、物部神社 弥山 八伏山 御前崎の駒形神社 長野県松本市の弘法山古墳が浮かび上がりました。
このオリオン座からするとオリオン大星団は、尾張や三河となります。 古代からこの地方は重要な拠点であったことを教えているようです。
・・と思っていたところへ、全く知らない方から一通の封書が届きました。
その中には、村山浅間神社のことが書き記してありましたが、これはもう間違いなくメッセージと捉え、オリオン星人の頭を村山浅間神社にして描いてみました。
こちらのオリオンは、大神山神社奥宮と馬路村が重要ポイントです。
んん~~んこちらでもOKです。・・というより、二つとも正しいように思います。
静岡県富士市の渡辺様、情報をありがとうございました。感謝いたします。
いずれにしても、藤原三代 オリオンの三ツ星ベルトは間違いなさそうです。
2019年3月14日(木)
武部さんのブログの内容は実に多くのヒントを私に与えてくれます。
10日の日曜日に武部さんに四天王寺を案内してもらいましたが、物部守屋を祀る祠の回りは工事中で見れませんでした。
・・ので、武部さんの写真を拝借します。
鳥居から朝日に向かって祈ると、表向きには八角堂の奥殿の聖徳太子に手を合わすようになっていますが、聖徳太子=蘇我入鹿さんですからねぇ・・。
そしてその先に物部守屋さんを祀っていますから、物部と蘇我氏に手を合わすように四天王寺は造営されていて、その先の先が神野山です。
神野山にはアブラハムの父、テラの墓があり、この方を天照大神と皆さんは呼んでいました。
すなわち、四天王寺の鳥居から朝日を拝めば、天照大神(テラ)・物部氏(守屋)・聖徳太子(蘇我入鹿)に手を合わすように出来ています。
そして・・、南門から北に向かって手を合わす先には長老ヶ岳。 長老とは、テラでありモーセでした。
そしてそして・・、四天王寺と長老ヶ岳と結んで、直角に西へと行った先にあるのは、島根県大田市にある物部神社です。
この三点は直角三角形を描きます。
四天王寺は、古代日本の礎を築いた現人神たちを祀る見事なまでの配慮がなされた寺院です。
2018年6月10日(日)
兵庫県姫路市夢前町と兵庫県神崎郡福崎町にまたがるこの優美な山に魅了されて、神河町にどんとんと引き込まれて行った私でした。
播但道路の市川南ランプから神河町へと続く直線道路の左前方にあまりにも特徴的にそそり立った山が、真正面に見えて右へとカーブするとその優美な山は姿を消してしまいます。
私はこの山を最初は幻の山と呼んでいました。
この山は七種薬師と呼ばれる山ですが、私はこの山に「千鶴山」と名づけました。
この山を中心にして巨大な折鶴の絵も描かされました。
この千鶴山から島根県大田市にある物部神社までと名古屋市にある大須観音までの距離は、ほぼ200㎞と同距離になります。
又、物部神社と大須観音とを結んだライン上にピタリと鶴と亀の地上絵が造られ、とうりゃんせの舞台である地下神殿がある生野の絶峯の三角点を見事に通ります。
最近の地理院地図は以前と違い、2地点間を結んで線が引かれると、直線距離で最短のコースを描くようになってカーブを描きます。
ですから、以前は角度は正確でしたが、このソフトになって東西間は距離が長くなるほどカーブを描き、微妙に角度にづれが生じるようになりました。
南北間ではその差は小さくなります。
実は、物部神社から生野の地下神殿の西手に達磨ヶ峰という山があり、ここの三角点を通て大須観音に至ります。
大須観音ではなごや七福神の一つである布袋像を安置しているとのことですが、布袋さんは達磨でありイエスの12使徒の一人のトマスのことを言い表しています。
ヘブル語で峰はお墓のことですから、達磨ヶ峰とは達磨のお墓=トマスの墓で、七福神では布袋さんの墓だと教えています。
大須観音で布袋さんを祀っていることは、偶然にしては、あまりにも・・・です。
この日本の礎を築かれた現人神七人衆を空海様は、七福神としてお祀りし語り継がせていました。
その七福神様たちの本当のお墓と、祈りの地下神殿が、播磨国風土記に記された埴岡の里でした。
現在の兵庫県の中央部に位置する、朝来市生野町と神崎郡神河町でした。
大須観音では空海様の像もあるようですね。 これはできるだけ早いうちに行かなければならないようです。
2018年4月14日(土)
4月1日に初めて奈良にある三輪山へと行って、大神神社(おおみわじんじゃ)の秘密を教えられました。
前々日の突然の招待からそれは始まりました。
大神神社(おおみわじんじゃ)には本殿と奥宮は無く、山そのものが本殿と奥宮ということですから、どこにポイントを置いてもよいことになります。
ここの大神神社が教えていたことは、米子の大神山神社(おおがみやまじんじゃ)でした。
三輪山山頂付近に、それを教える方位石も在りました。私がひかえてきたコンパスグラスの角度と1度も狂っていませんでした。
そして、なんと!! 神河町南小田山頂にある大国主命=イエス・キリストの亡骸を葬った前方後円墳の陵墓の前方部から、大神山神社本社までの距離が123㎞。
大神神社の本殿にあたる三輪山までが123㎞。
123はモーセの数字です。
そして・・、イエスの陵墓(前方部)から大神山(おおがみやまじんじゃ)奥宮までが111,11㎞。
111は神様の数字です。
そしてその意味を、「大神山神社奥宮の地でモーセは、BC3674年10月17日に生まれた」と教えます。
そしてモーセは、出雲の地で12月28日に387歳で亡くなったと教えられていた私でしたが、その終焉の場所を気にすることはありませんでした。
それがどうでしょう!!
4月9日未明の午前1時32分、島根県西部の内陸を震源とするM6.1、最大震度5強の地震が発生。震源地は大田市。
テラファイトアンバサダー第一期生のN君一家の神河町への引っ越しの日でした。
大田市は、N君のお父さんの故郷であり、ドイツで暮らしていたN君は、7年前にあの東北の地震大津波のニュースを見て、日本に帰って来て、少しの間、大田市にある物部神社の近くに暮らしていたと言います。 こんなことはあるのでしょうか・・。
そして今度は、大分県、耶馬渓での山崩れのニュース。
「社長、耶馬渓のニュース知っています? やばけいのヤバって、邪馬壹国の耶馬に似てますね」と田中さん。
「大雨が降ったわけでもないのに、突然、山が崩れるんですよ。何が起こっているんですかね」と。
なんとそれらの自然災害は、モーセ終焉の地を教える所作のようです。
「お前が一日遅れれば、どれだけの命が亡くなるかお前は分かっているのか!」との響きでここまでやってきましたが、この意味するものはもっと巨大なものがありそうです。
「早く解け! 時間がない!!」
「思い出せ! 時間がない!!」と・・。
・・
「魏志倭人伝の邪馬壹国の邪馬は、軍鶏のシャモで、モーセのことだったろう! モーセの教えを第一とする国だっただろう、思い出せ!」
「どうして空海は、高野山から亡骸を山口に移したか・・、思い出せ!」と。
「イエスの終焉の地である備前の穂波との関係だ!」と。
「この二点と同距離の場所が出雲だろう!この国の礎を築いたのは誰だ! 物部だろう! 震源地を見よ!!お前は以前そこに行っただろう、思い出せ!!」と。
こうしてモーセ終焉の地を教えられました。
驚愕! ・・するばかりです。
「急げ!時間がないぞ!!」
4回目のビラ、今日4月14日 神河町の朝刊各紙に折り込みしました。
2018年4月11日(水)
4月9日未明の午前1時32分、島根県西部の内陸を震源とするM6.1、最大震度5強の地震が発生した。
その後もM2~4クラスの余震が多数発生とのニュースと、しかも震源地は大田市と聞いて私は何かが大きく動き出すのを感じます。
9日、月曜日の朝、6時過ぎに神河町の貝野橋の交差点に着いて、半年ぶりに南へと職場に向かう人達に頭を下げていた時には私はそのことは未だ知りませんでした。
その日は、大田市の西に位置するところから、テラファイトアンバサダー第一期生のN君一家が神河町へと引っ越してくる日でした。
前日には、家財道具をトラックに全て積み終わっていて、私が交差点に立って頭を下げているころに島根を出発すると聞いていました。
「もう出発したかなぁ・・」と時折思いながら私は立っていました。
そして月曜日午後からは、第二期生月曜コースの方々の最終日と言うことで、神戸の事務所へと行って初めて島根での地震発生のことを聞かされました。
引っ越しの作業は武部さんにお願いしていて、実際に大阪から島根に前の日から行ってくれたのは、武部さんの息子さんで、名前は「マオ」さん。
空海さまの幼少の頃の名前は「真魚」。
島根県の大田市と言えば、物部神社があるところです。 大事な大事な物部氏の拠点です。
大田と言えば、学芸員が「779mの山頂に古墳があるというだけであなたの話は誰も聞きませんよ。カラスは黒に決まっているでしょう。白いカラスが居たら別ですけど・・」と言って、その後、白いカラス出現のニュースが大田市でした。
出雲の国からN君一家が神河町にやって来ました。
そして一家と対面したのは、昨日の午後1時32分頃、思わぬところでした。
昼ごはんを食べるためにお店に入るなり、「ウエモリさ~ん」と子供が飛びついてきました。
エ~~っ! 何 ??
そこには、思いもよらぬN君一家の姿がありました。
そのお店の名は、「甚六」。
美味しい美味しいうどんが食べられるお店です。
ドラマはここからですかぁ・・。
空海様と出雲の神様が動き出したようです。
2017年7月26日(水)
楽しかった岡山への巡礼ツアーでした。
真っ先に行った総社宮は、日本の古代史を解く上で重要な場所です。
総社宮は、イエス・キリストの生命の樹の11番目のダートになる場所でしたね。
重要なそのポイントでは、建物の造りから、庭に造られた磐座など、それはもう重要な方向性をもたせて造られています。
本殿への3本の参道は見事に、鳥取県の茶臼山 伊勢神宮内宮 徳島県海陽町相川に造られた436mのベンチマークの山などを見事に教えていました。
厳島神社に手を合わせる方角は、見事に渡石が70度に合わせて敷かれていました。
しかも祠前に置かれた石には、基準点となる切り込みまでされていました。
実はこの70度方向にピタリと位置しているのが、神河町にある女王卑弥呼の陵墓なのでした。
現在の祠は、これらの意味を知ることなく、参道に直角に向けられていますが、250度方向に向けて、つまり人が70度方向に手を合わせるように向きを変えるべきでしょうね。
他にも、祈りの祠や物部神社を教える鶴の口ばしの磐座や、出雲大社やモーセの陵墓を教える亀の磐座など、貴重なものばかりです。
一度じっくり調査できる機会があればと思っています。
2017年5月4日(木)
法隆寺で手を合わせる先には、第50代桓武天皇がお眠りになって居られる御神体山でした。
見事に二等辺三角形を描きます。
2016年5月6日(金)
東京の御所と京都御所を結んで西へとそのラインを伸ばした所に岡山の熊山遺跡があり、それをもう少し先へと伸ばしたところに天神山と言う山があります。
実は、神武天皇を祀る奈良の橿原神宮(かしはらじんぐう)で手を合わせて御参りすると、見事にその先がなんと、この天神山にあたります。 橿原神宮はこの天神山を意識して建築されています。
本殿は、コンパスグラスで108°を向いて建っていました。
ですから人々は、288°に向かってお祈りするようになっていました。
岡山の王山(第二代綏靖天皇=ヤマトタケルの山)とイエス様の母マリアの墓とを結んだラインがこの天神山に集まり、島根県大田市の物部神社の御神体山と大峯山山上ヶ岳を結んだラインにこの天神山があります。
私が王家の私的な陵墓と言っている天神山にこれら大事な霊ラインが集まる確率ってどのような確率なのでしょうか。
これは偶然ではありえませんよ。
この我が国の礎を築かれた王家の陵墓が荒んだ状態で放置されていること自体、異常な状態です。
この国の礎を築かれた王家のDNAをだれより色濃く引き継がれている方は、誰よりもこの重大さを知り、この山をいち早くお祀りしなくてはなりません。
遠方より手を合わすだけなら、一般国民は誰でもやっています。知らないうちにではありますが・・。
もしその事実を知っていてただ遠方より祈っているようでは、国民の謗りを免れないでしょう。
でも迅速に対処されることで、国民の信頼性は今以上に増大することでしょう。
2016年4月27日(水)
岡山にある王家の人達が祀る私的なイエスの陵墓が造営された位置には、見事に霊ラインが集まっていました。
その場所は、
住所:岡山県岡山市東区瀬戸町南方 付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
34度44分49.03秒 134度4分28.19秒
34.746953,134.074498 ズーム:18
UTMポイント:53SMU15294537
標高:140.0m(5m ( レーザー ) )
この場所から東へ行ったところに熊山遺跡(岡山県)があります。
そしてそのラインを東へ伸ばして行ったところに京都御所があり、そのラインをさらにもっと東へ行くと、東京の御所へと一直線です。
偶然でしょうか。
初代大王大国主命=イエス・キリスト=神武天皇を祀る王家の私的な陵墓と、天皇がお住まいになられる二つの御所が一直線上にあるという意味は意図されているということです。
それだけではありません。
王家の人々が祀る第二代綏靖天皇=ヤマトタケルの陵墓である王山から、イエス様の母君であられるマリア様の陵墓を通って来たラインがこのポイントに来ます。
要するに、親子三代の私的な陵墓が一直線に並んでいます。
又、王家に仕えた物部氏の大社である島根県大田市にある物部神社の御神体山から、現在でも女人禁制の山としてしられる大峰山山上ヶ岳を結んだライン上にこの位置が見事に位置しています。
そして・・、天皇が大嘗祭の時にご使用になられる麁服(あらたえ)用の麻の栽培が、唯一許されている三木家の場所がある木屋平村の御神体山からキッチリ磁北の場所に、その私的なイエスの陵墓がありますが、これも偶然ではないでしょう。
そしてその場所に「南無妙法蓮華経日蓮大菩薩」と立派な書体で書かれた石碑が在りましたが、これらのことも全て、最澄様や空海様や日蓮さまたちもよ~~くご存じで、ちゃんとお祀りされていたということでしょう。
この情報を、日本のあらゆる宗教界が一丸となって検証し、空海様や最澄様はじめ日蓮様たちがやってこられた、御勤めを再開しなければなりません。
王家の祀りごとを日々欠かさずやっていた、イエスの血を受け継いでいた女王卑弥呼の陵墓も早急に検証し祀らなければなりません。
この我が国の礎を築かれた王家の人達を手厚く祀らなくては、この国がこころ豊かな国になるわけがありません。
天皇家も、日本の宗教界も、行政も一切だれも祀らないとしたら・・・、大変なことになっていきますよこの国は! いえいえ世界中がもっともっと加速度的に混沌となっていくことでしょう。
神様はその時、混沌の原因を助長する人達に手を差し伸べるでしょうか。
2015年2月13日(金)
「武部さんは、モーセの直系です!」と皆さんに言ってる私ですが、おそらく・・・、おそらく・・・。
武部さんこそが、隠された世界平和への扉をあける気がしてならない私です。
出雲の国を造られた方々がお眠りになられている所が松本古墳です。
大己貴神社へも行かされました。 糸賀稲荷神社へもいかされましたぁ。
上の二つの図形は、平安京が創られた時のカバラの図形と、伊勢神宮から物部神社までの間に位置する重要な神社などとの位置関係を表します。
平安京を創った50代桓武天皇はじめ、和気清麻呂、最澄様、空海様達は、みなこの国の成り立ちと、本当のイエス・キリストのお墓の場所も御存知でした。
最澄様の、比叡山延暦寺、根本中堂 と 空海様の、高野山金剛峯寺 との2点を結んだラインとで成り立つ正三角形の頂点が、見事に不思議な等高線を描く勾玉の山の頂点に位置しています。
2000年前に理想国家を創る為に王として担がれた大国主命=イエス・キリストのお墓です。
その不思議な勾玉の山も、意味ある方角を向けてキッチリと設計され造られています。
イエス・キリストのお墓の場所は、こうして空海様に教えられました。
2014年12月21日(日)
一通の招待状の御案内を頂きまして、大分へと行ってきました。
いつもお世話になっている高尾征治先生からの結婚披露の宴へのご招待でした。
日時は20日(土曜日)、場所は別府湾ロイヤルホテルで12:30までにお越し下さいとのことでしたから、
前日、小倉に泊まって、朝8:00丁度発の特急ソニック3号で宇佐まで行き、宇佐神宮へ参拝してから行くことにしました。
そして、御霊水の場所へと行って、テラファイトで霊水をパワーアップして、宇佐経由で亀川へと行って会場へと着いたのは程よい時間でした。
本殿はキッチリとS 180°と真南を向いて造営されていました。
ちなみに、島根県の物部神社が向いている方角は、ここ宇佐神宮を向けて造営されています。
記念写真の撮影が終わり、13時から宴は始まりました。
お二人のご活躍の証と申しましょうか、御立派な方々が主賓として、そしてその後も引き続き祝辞を述べて居られました。
チョットビールを飲み過ぎたせいで、トイレに行って帰ってくるなり、「ウエモリさんは居られますか」とアナウンスされていて、私にも
「2,3分で・・」と言うことでと、とっさの指名で、1374,6mの鶴見岳のことを話しましたが、到底、会場の方々には何を言ったのかはご理解できなかったのではないかと思います。
・・・
鶴見岳とは・・・と、私に教えるのは、別府の鶴見岳から岡山市の方角を見ると見える山こそ、
そこに女王卑弥呼さまが眠る古墳があることを教えています。
兵庫県の中央に位置する兵庫県神崎郡神河町こそがその場所で、そこには山を使って巨大な大亀や、
籠の中に北北東に向かって羽を広げて飛んでいる二羽の巨大な鶴が造形されています。
長年の風雪に何千年耐えたのか、それはグーグルアースでしかその痕跡をたどることしかできませんが、間違いなく造形されていました。
それと・・、鶴見岳から鶴や亀が造形されている兵庫県の生野、神河町を見通すライン上に、岡山県の熊山遺跡がありますが、
この熊山遺跡と黄金比率の十字架の交点にある生石神社の石ノ宝殿と、生野を頂点とするダビデの星の中心ポイントである淡路島の勾玉の山を結んだ三角形が見事に1:1:√2という直角二等辺三角形を描きます。 今私はこの勾玉の山こそがアブラハムのお墓だと教えられています。
そして以前は、結婚式のときによく「高砂や~~この浦船に帆をあげて~」という謡曲が謡われましたが、この高砂が石ノ宝殿への上り口であり、
そこは、巨大な鶴と亀の地上絵や龍(玄武)や女神ハトホルや巨大なメノラーなどと、世界の宗教の原点でもあろう証拠的巨大地上絵がある桃源郷への入り口でもある重要な港でした。
高砂や
この浦船に帆をあげて
この浦船に帆をあげて
月もろともに出で潮の
波の淡路の島影や
遠くなる鳴尾の沖過ぎて
はや住の江に着きにけり
やや住の江に着きにけり
・・神主一行が住吉に着くと住吉明神がその本体を現して神舞を舞うのであった
めでたや めでたや と・・
そして・・上は神が隠されていて、上野さんは神野さんでは・・と。
生野の資料館に残る古い絵図(二つの御林)
カゴメ紋の中心点である八幡山1と、ABCD 2 との関係図
伊勢神宮から生野へ伸びる生命の樹(カバラ)
一直線に並ぶ地上絵
地上絵発見の動画
地上絵発見の動画(天皇陛下への手紙) その1
地上絵発見の動画(天皇陛下への手紙) その2
古代エジプトの女神ハトホル(人の顔)
魚
鶴 と 亀
龍(玄武)
日本三奇の一つ、高砂市の石の宝殿の巨石の謎解明
石の宝殿の巨石が位置する場所は、伊勢神宮から石の宝殿(生石神社)に伸びる生命の樹(カバラ)の王冠にあたる場所である。
そして又、その石の宝殿の巨石がある位置は、伊島(徳島県)から生野町の古い絵図に残る絶峯御林まで伸びる黄金比率の十字架の交点に位置している。
そしてその石の宝殿の巨石は、キッチリと神武天皇陵と出雲大社の方角に向けて造られている。
そしてこの石の宝殿の巨石は、伊勢神宮(内宮)と物部神社(島根県大田市)を結んだライン上にもピタリと位置している。
伊王島(長崎県)から宗像大社(福岡県)・高千穂神社(宮崎県)を結ぶ正三角形の中心をライン上にある宇佐八幡宮を通り、総社(岡山県)を通り埴岡の里(兵庫県)まで伸びるラインで構成される生命の樹(カバラ)
上記生命の樹のセンターライン上でセフィラの11番目・ダアトに位置する場所が総社(岡山県)であるが、この地こそが魏志倭人伝に記されている投馬国の首都であり、そこへの上り口が福山市の大門(だいもん)です。伊島、生野を底辺とした正三角形の頂点の地点が魏志倭人伝に記されている水行20日で着く港、大門である。
きちゃん 竹野郡 竹野地方 埴岡の里 かごめの故郷 モーゼの国 イエス・キリスト 大黒様 大国主の命 モーセ シュメール スメラミコト