2019年3月22日(金)
乙巳の変(643年)の首謀者と言われる藤原鎌足と中大兄皇子(天智天皇)二組の親子の墓の関係が見事に基本形に近い直角三角形の連鎖で位置決めされています。
この4人の没順は、
藤原鎌足(669年11月14日)
天智天皇(672年1月7日)
大友皇子(弘文天皇・672年8月21日)
藤原不比等(720年9月13日)
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・・・ちなみに、古事記を完成させた太安萬侶は723年8月15日没。
この図形の連鎖を完成させる重要なポイントは、鎌足公古廟から亡骸を移し替えることにあります。
鎌足の亡骸を移し替えられるのは、鎌足の子である定恵・不比等兄弟でしょう。
そうすることによって、法隆寺の夢殿の配置も決定できます。
天智天皇陵と大友皇子と藤原不比等の墓は、正五角形の一部の直角三角形です。
天智天皇陵から移し替えられた藤原鎌足の墓までと、藤原不比等の墓までとは、共に23㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。
鎌足公古廟と鎌足の墓と天智天皇陵は、基本形に近い直角三角形です。
そしてこれらの図形を浮かび上がらせた重要なヒントは、武部さんのブログに書かれた太安萬侶の墓であり、
「不比等の一周忌に八角堂である興福寺の北円堂は建てられたんですよ」という矢野さんの言葉でした。
いつもそうですが・・、何一つ知らない私に大事なメッセージを皆さんがタイムリーに届けてくれます。
ありがたや アリガタヤ ・・ 感謝するばかりの私です。