かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

藤原三代は日本列島に輝くオリオン座の三ツ星ベルトである

2019-06-21 05:56:09 | かごめかごめの真実とは

2019年6月21日(金)

 藤原鎌足の墓は、最初は鎌足公古廟でした。 でもそこから大阪府交野市の交野山のとある場所に移されました。

法隆寺の夢殿で手を合わせると、その場所に手を合わせるように法隆寺の建築配置がなされました。

鎌足公の二男の不比等君は、時の天皇たちに信頼された様子ですねぇ。

私には、和気清麻呂とどこか人間性がダブルところがあります。あくまでも陰で支える有能な行政マンというところでしょうかぁ・・。

不比等君の墓は、計算されつくした場所である京都府南丹市八木町神吉です。

そして不比等君の長男、藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の墓は、奈良県五條市小島町にあります。

不比等君の墓は、子である武智麻呂の墓からピッタリと磁北に位置しているのは、これも後から亡くなる武智麻呂が磁南の場所を選定したと推測できます。

いえいえ、これは藤原三代の約束事だったと私は思えます。

鎌足君から親子三代それぞれの三つの墓を見つめていたら、「オリオン座の三ツ星ベルト」に見えて仕方ないので眺めていると、日本列島にオリオン座が浮かびあがりました。

親子三代、かみなり三代と言われたとか言われなかった・・とか。

実は、不比等君のお墓へ行くと決めたのは、前日の15日(土)の午後、なんの前触れもなく突然、「ドド~~~ン!」と一発、ものすごい大きな音を轟かせて雷が落ちたようでした。

その大音響で、「明日行きます!」と決心したのでした。

オリオン座の重要な拠点として、物部神社 弥山 八伏山 御前崎の駒形神社 長野県松本市の弘法山古墳が浮かび上がりました。

このオリオン座からするとオリオン大星団は、尾張や三河となります。 古代からこの地方は重要な拠点であったことを教えているようです。

・・と思っていたところへ、全く知らない方から一通の封書が届きました。

その中には、村山浅間神社のことが書き記してありましたが、これはもう間違いなくメッセージと捉え、オリオン星人の頭を村山浅間神社にして描いてみました。

こちらのオリオンは、大神山神社奥宮と馬路村が重要ポイントです。

んん~~んこちらでもOKです。・・というより、二つとも正しいように思います。

静岡県富士市の渡辺様、情報をありがとうございました。感謝いたします。

いずれにしても、藤原三代 オリオンの三ツ星ベルトは間違いなさそうです。

 

 


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天智天皇親子 藤原鎌足親子 のお墓の位置関係を教えています

2019-03-22 05:37:40 | かごめかごめの真実とは

2019年3月22日(金)

乙巳の変(643年)の首謀者と言われる藤原鎌足と中大兄皇子(天智天皇)二組の親子の墓の関係が見事に基本形に近い直角三角形の連鎖で位置決めされています。

この4人の没順は、

藤原鎌足(669年11月14日)

天智天皇(672年1月7日)

大友皇子(弘文天皇・672年8月21日)

藤原不比等(720年9月13日)

・・・ちなみに、古事記を完成させた太安萬侶は723年8月15日没。

この図形の連鎖を完成させる重要なポイントは、鎌足公古廟から亡骸を移し替えることにあります。

鎌足の亡骸を移し替えられるのは、鎌足の子である定恵・不比等兄弟でしょう。

そうすることによって、法隆寺の夢殿の配置も決定できます。

天智天皇陵と大友皇子と藤原不比等の墓は、正五角形の一部の直角三角形です。

天智天皇陵から移し替えられた藤原鎌足の墓までと、藤原不比等の墓までとは、共に23㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。

鎌足公古廟と鎌足の墓と天智天皇陵は、基本形に近い直角三角形です。

そしてこれらの図形を浮かび上がらせた重要なヒントは、武部さんのブログに書かれた太安萬侶の墓であり、

「不比等の一周忌に八角堂である興福寺の北円堂は建てられたんですよ」という矢野さんの言葉でした。

いつもそうですが・・、何一つ知らない私に大事なメッセージを皆さんがタイムリーに届けてくれます。

ありがたや アリガタヤ ・・ 感謝するばかりの私です。


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法隆寺五重塔相輪の鎌は、藤原鎌足を崇敬するものです

2019-02-18 05:44:22 | かごめかごめの真実とは

 

2019年2月18日(月)

 法隆寺五重塔の相輪には1.2mの4本の鎌が飾られているとのことです。

今度ツアーで行った時、カメラに収めてきたいと思います。

鎌と言えば、それはもう藤原鎌足公です。

藤原鎌足(614-669)の伝記をまとめた多武峯談山神社の縁起絵巻のデジタルデータにも、

鎌足公が生まれたときに鎌をくわえたキツネをわざわざ描かせていました。

中国の千山には、卑弥呼にプロポーズした男性の右手に鎌を描かせていましたね。

法隆寺の夢殿は、鎌足公の墓に手を合わすようになっていましたし、桓武天皇も藤原直系の人でした。

法隆寺の相輪に鎌を飾って当然なのです。 象徴なのです!

誰か下記のページを魚拓している方、居られませんか!

そこに書かれていたのは・・、の後に書かれていたものが、消しとられています。

不都合な真実なのでしょうか・・。

勝手に消されても困るのです。

消してほしい方は、どうぞ私に直接連絡をください。

ちなみに・・

消された私の文中にあった天皇陛下と皇后陛下の歌は、

 

 天皇陛下

 

 夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本にをあてがふ

 

 皇后陛下

 

 来し方(こしかた)に本とふ文(ふみ)の林ありてその下陰に幾度(いくど)いこひし

 

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2019年2月18日(月)

魚拓してくれていた人から早速メールが届きました。

 

  天皇陛下

 夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ

 皇后陛下

 来し方(こしかた)に本とふ文(ふみ)の林ありてその下陰に幾度(いくど)いこ

ひし

そして、Nさんが書いてくれていたのは、「前年(26年)の稲刈りは9月26日の

昼間です」とのこと。

んん・・天皇陛下の苦悩がで表現されていますかぁ。

 

・・という文章でした。

Mさん、ありがとう! 感謝いたします!!



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