かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

空海は日本とアジアを繋ぎとめる契りの役割を担っている

2020-01-20 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年1月20日(月)

物部神社イエス・キリストの墓と鉢伏山は正三角形を描きます。

この正三角形の意味することは重大です。

『イエスの生命の樹』を書き上げる前に『物部の生命の樹』の存在がありました。

もののべ と ものべ の不思議さの疑問から鉢伏山にも行きました。

鉢伏山が重要な意味を持つ山でありポイントであることは、空海様も十分に知り得ていたはずです。

そう考えると、空海様の墓から鉢伏山とを底辺とする図形が岡山、鳥取、そして九州へと繋がっていることがわかります。

鳥取市国府町雨滝の536mの綺麗な山や、岡山県美作市の袴ヶ仙とは、大きく綺麗な直角三角形を描きます。

空海の墓と栗野岳と鉢伏山は、ケプラー三角形を描きます。

空海の墓と国見岳と鉢伏山は、1:1:√2に近い三角形を描いています。

空海の墓と、四国で一番高い霊峰石鎚山と剣山との関係も、馬路の八杉森(ピラミッド)との直角三角形で関連性が作られています。

空海の墓は、九州、四国、本州、北海道とがバラバラにならないように繋ぎとめているように思えます。

そして、日本列島だけに留まらず、アジアとも契りを結んでいるかのようです。

中国の千山と剣ヶ峰、剣山と空海の墓は、直角三角形を描きます。

空海の墓と北朝鮮の霊峰白頭山と聖地千山とは直角三角形を描いています。

空海の墓は、日本国土とアジアを分断することなく、助け合い共に生きることを説いているようだ。

空海は日本とアジアを繋ぎとめる契りの役割を担っている


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竜石山古墳は古代の歴史の謎を解く重要な役割を担っています

2020-01-03 04:08:57 | 邪馬壹国

2020年1月4日(土)

伊奢能麻和迦王の陵墓を私はこれから竜石山古墳と呼ぶことにしました。

竜石山古墳の大きさは、応神天皇陵とほぼ同じ大きさの古墳です。

そしてこの古墳の主の故郷なり、伝え残したい場所は、尾張、三河方面を教えています。

この方向には、名古屋港がある名古屋市港区です。

一点を示すなら港区の「龍神社」です。神社は石山古墳との関係を教えています。

そしてこのを結んで1:1:√2になる場所に、邪馬壹国の女王卑弥呼が絶対的に信頼し頼りにしていた「一大率長官」の墓があります。

一大率の墓は、出雲大社と内子のピラミッドと2:1:√3の地点に造営されました。

出雲大社と宇佐八幡宮と内子ピラミッドは2:1:√3で、出雲大社と内子のピラミッドと馬路の八杉森も2:1:√3です。

 

女王国より以北、特に一大率を置き諸国を検察しむ、諸國はこれを畏(おそ)れ憚(はばか)る。常に伊都国に治す。国中に於ける刺史(しし)如くあり」

卑弥呼が一大率長官に特に目を光らせていた地域が、敦賀であり琵琶湖であり伊勢湾でしたね。

そして一大率長官は、船で移動する海神でしたね。

 

下の地図のピンクの部分が、邪馬壹国です。

卑弥呼は、女王国より以北、特に一大率を置き諸国を検察しむなのです。

琵琶湖と日本海の拠点が敦賀・若狭湾であり太平洋が伊勢湾・三河湾、伊良湖水道です。

一大率は、現代で言えば、自衛隊の海軍を率いる国防大臣でしょうかね。

イエス・キリストの血を引く卑弥呼を女王とし、オリオン座を下ろして設計された邪馬壹国の国土は、外敵から重要ものを絶対的に守るための国土設計になっています。

その重要なものとは・・、イエス・キリストの墓です。女王卑弥呼はイエス・キリストやその王家の人達の墓守が務めでした。

畿内説を悩ませてきたひとつの記述が「女王国の東」である。

 

女王國の東、海を渡る、千余里、復た國有り、皆倭種。

 

畿内説では、東に海がないからである。

上森説の邪馬壹国の版図は、日本海岸まで達しているので、東へ海を渡ることができる。千余里は1里=77mの短里で計算すると、77km余なので、80kmくらいか。

この距離は、丹後半島の伊根、あるいは宮津、舞鶴から出発して、敦賀湾の奥の敦賀までの距離に相当する。ここには気比(けひ)神宮という神社があって、主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)というこの神社特有の神様だ。この神様の降臨の地、「土公」と呼ばれる塚には、大きな木が生い茂っているが、卵型の岩が八角形に並べられていて、最澄さま、空海さまが7日7夜の祈祷をされたというから、ただ事ではない。

また、気比神宮の摂社に角鹿神社(つぬがじんじゃ)があり、『日本書紀』に垂仁天皇の時に渡来したと記されている意富加羅国(任那国)王子、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が祀られているのも注目に値する。

聖地神河には、猪篠(いざさ)という地域があります。そしてその奥に卑弥呼の陵墓が一番きれいに見えるところに奥猪篠と言う集落があります。

そしてこの奥猪篠の上に白岩山(973m)があり、この山を私は七福神の一人、毘沙門天の墓だと教えられています。

 

んん・・・ん、全て繋がってきますよ。 

壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)が尾張に援軍を要請したことで、大友皇子の陣営が戦意を失う意味、その謎が解けてきましたよ!


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馬路村には山頂に超古代都市があった

2015-11-04 13:23:14 | かごめかごめの真実とは

2015年11月4日(水)

空海様も807年に馬路へと行って居られました

空海様は遣唐使船で長安へと行って、恵果阿闍梨に会って帰ってくるなり、太宰府庁の隣の観世音寺に留まっていたという言い伝えとは違って、

休む暇もなく馬路へと行かれたのには大きな大きな意味と秘密を知ってしまったからでしょう。

その秘密とは、イエス様の生命の樹の重要な2番目のセフィラのコクマー(知恵)にあたる地だったからでしょう。

先人達の知恵が馬路には眠っているということだと私は思います。

おそらく・・、鉄の文化と歴史が確かに存在したのではと響いてきます。

いえいえ、もっと別の重大な秘密が眠っていそうです。

八杉森には馬の地上絵もありますし、国土地理院地図の等高線地図を見ても、山頂に超古代都市があったであろうことが一目で分かります。

遠くない日に、日数をかけて調査に出かけることが出来ればと思っています。

ハ杉森も間違いなく古代ピラミッドですね!

 

      


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内子町遺跡を立証する

2015-10-08 11:39:29 | かごめかごめの真実とは

2015年10月8日(木)

10月4日~5日の二日間 内子町遺跡の調査を行いました。

武部さんがブログで内子町の山で見た感想を綴っていま~~す

           

山頂部分のステージは、石がもろく砕けて小さいものは土状に風化していますが、明らかに石の目が互い違いになっている人工的な部分が顔を出していました。

  

 

以前に下記のようなことを書いていました。

 

2013年4月20日(土)

一泊二日の馬路・租谷の旅は、神戸から走行距離757kmの長い道のりでした。

帰り道、高知自動車道の馬立パーキングエリアで休憩しましたが、その馬立(うまたて)に面白いものを見つけました。

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 この水琴の石板に彫ってある溝は、どう見ても 馬 の象形文字に見えてしまう私でした。この 馬の文字のデザインと、 馬路(うまじ)村の八杉森山頂に造られている地上絵と言いますか、象形文字と言いますか、同じに見えて仕方ないのは私だけでしょうか。

Img4151936430001_2

    ここをクリックして3Dで見てください。

さぁ~この馬の地上絵をどうして、この場所に造っているかと言うことですが、この八杉森と出雲大社と宇佐神宮を結ぶと奇麗な正三角形を描きます。 偶然でしょうか。

Img4201508000001

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伊王島(長崎)から宇佐神宮を通って、生野、神河町へと伸びるイエス・キリストの生命の樹(カバラ)の重要な場所でもあった馬路でしたが、この八杉森から高知県で一番高い山である三嶺(みうね1893,4m)を通って、北に位置する鳥取県湯梨浜町にある古墳群がある馬ノ山 まで、一直線に人工の山が並べられているようです。

先人達って、どのような考えの持ち主だったのでしょうか。

 

 

 


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馬が教えるものとは、いったい何なのでしょうか

2013-04-21 12:00:00 | かごめかごめの真実とは

2013年4月20日(土)

一泊二日の馬路・租谷の旅は、神戸から走行距離757kmの長い道のりでした。

帰り道、高知自動車道の馬立パーキングエリアで休憩しましたが、その馬立(うまたて)に面白いものを見つけました。

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 この水琴の石板に彫ってある溝は、どう見ても 馬 の象形文字に見えてしまう私でした。この 馬の文字のデザインと、 馬路(うまじ)村の八杉森山頂に造られている地上絵と言いますか、象形文字と言いますか、同じに見えて仕方ないのは私だけでしょうか。

Img4151936430001_2

    ここをクリックして3Dで見てください。

さぁ~この馬の地上絵をどうして、この場所に造っているかと言うことですが、この八杉森と出雲大社と宇佐神宮を結ぶと奇麗な正三角形を描きます。 偶然でしょうか。

Img4201508000001

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伊王島(長崎)から宇佐神宮を通って、生野、神河町へと伸びるイエス・キリストの生命の樹(カバラ)の重要な場所でもあった馬路でしたが、この八杉森から高知県で一番高い山である三嶺(みうね1893,4m)を通って、北に位置する鳥取県湯梨浜町にある古墳群がある馬ノ山 まで、一直線に人工の山が並べられているようです。

先人達って、どのような考えの持ち主だったのでしょうか。


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空海様は807年、馬路に来て居られました

2013-04-19 19:09:57 | かごめかごめの真実とは

2013年4月17日(水)

前日、神戸の六甲山にある再度山大龍寺に武部さんと行った私が目指した地は、高知県安芸郡にある馬路村でした。

なんと、空海様は、中国の長安(現、西安)で恵果阿闍梨から重大な極秘事項を知らされて、この馬路にやってきていました。

前日、今でも居てるという空海様が作った自作の亀石のところに行ったのも、そしてその再度山に行くその数時間前に、高御位山で出合った「ウェイ メイ」という女性の方が、「私の御先祖様が、魏志倭人伝を書いたの・・」「私は西安(旧、長安)の大学に行ってました」と、言う話の中で、「空海様が、遣唐使船に乗って行った長安の青龍寺に私は行かなくてはならないようなので、連れて行ってもらえませんか」と、まぁ・・この話、空海様がチラリチラリと出現しておられます。

空海様に間違いなく動かされている私です。

月光山殊勝院金林寺薬師堂にその痕跡が記されていました。

今、帰ってきて下記の内容を読んで、ビックリしている私です。 取りあえずは、行った先々でゆっくりもできないので、カメラに収めて帰るだけですから・・・、帰って来て行った意味が後で分かるという様です。

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空海様が馬路に来ていた理由は、今回私が来た理由と全く同じでしょう

イエス・キリストの生命の樹(カバラ)の重要ポイントであることを、恵果阿闍梨から教えてもらったからでしょう。

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朝7:50分に神戸の我が家を出発し、お昼ごろに室戸岬にある御厨人窟 (みくろど)に着き、手を合わせて、ゆっくりする暇もなく、目指すは一路馬路村へと車を走らせました。

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途中、太平洋が見通せる海辺のレストランで食事を済ませ、途中、大粒のたたきつけるような大雨の中、ただただ一路馬路村へと、カーナビを頼りに走らせ、馬路村ふるさとセンター「まかいちょって家」に着いてトイレ休憩させてもらいました。着いたのは、PM2:30頃でした。

そして、

「この街の神社か、お寺を教えてもらえませんか」と聞いて、案内図をいただき、 そこで・・

私 :「この近くで、八杉森ってありますか!?」

キュートな女性 :「・・・??? ・・・ あなた分かる!?」

チャーミングな女性 :「 どこだろう ??」

  お二人の女性、共にご存じないご様子でした。

私 :「ヤスギモリという山に、馬の象形文字見たいな地上絵が描かれているんですが・・」

女性 :「?? そういう話、初めてですね・・」

・・で、

 トイレから帰って来てテーブルの上にあったパソコンをさわって、「かごめかごめの真実とは」で、検索をすると私のブログが出てきたので、「ちょっとコレを見てもらえますぅ!これを見て来たんです」と言い残して、行ったこともない神社をめざしました。

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・・・

 途中、どしゃ降りの雨にもたたきつけられましたが、お遍路さんがただただ雨でも歩き続けている姿が印象的でした。

雨は、馬路村に着くころには奇麗に上がっていました。お客様を向かえるにあたってのといいますか、いえいえ空海様をお迎えするための内水のようにも受け取れました。

カーナビは村のコミュニティセンターでもある馬路温泉にセットしていましたので、そこでチョットだけ大神様の好きなコーヒーをいただいて休憩することにしました。

腰を下ろしたその場所からエメラルド色の川と、新緑の山と、青空も顔を見せ、日々の暮らしでは見れない光景を楽しむ時間もそこそこに、先ずは熊野神社をめざしました。

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相撲の土俵もありました。

 

私の一番の驚きは、なんとトラの彫り物でした。沢山の図面を書かされ、重要なポイントの山や神寺に行かされて、重要な場所に寅の彫り物は初めてでしたから、それは嬉しいものでした。 大神様は一切私の行動が理解できない様子で、いち早く車のところへと帰っていました。 境内にただ一人いる私を誰かが見ている感じがして空を見上げると、何やら雲が動き出して・・・、それでシャッターを切りました。

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そしてそこから、金林寺へと行った訳ですが、空には不思議な奇麗な雲が出現していました。

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馬路村は、邪馬壹国建国にあたり、重要な役割を担った、大いに隠された歴史を秘めているという実感を持ちました。

次の日の予定を思うと、どうしてもこの日のうちに移動しないといけないので、後ろ髪を引かれる思いで、馬路村を後にしました。

目指すは、平家の故郷、祖谷へとカーナビをセットしました。

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馬路村には馬の地上絵があります

2013-04-15 20:44:31 | かごめかごめの真実とは

2013年4月15日(月)

イエス・キリストの生命の樹の第四のセフィラのケセド(慈悲)に位置するポイントが、高知県安芸郡馬路村 にある八杉森(標高1029m)の山です。

なんとその場所を見ると、象形文字らしい4本足の動物が描かれています。

路という地名からして、馬を表しているように思えます。そしてその馬路からほぼ真北に位置する場所に、第三セフィラのビナー(理解)にあたるポイントに、古墳群があるの山(鳥取県)があります。  この南北ラインに馬の地名があるのって、偶然でしょうか。

ちなみに生命の樹の第五のセイフィラのゲブラー(峻厳)にあたるポイントが出雲大社です。

あまりにも奇麗すぎる生命の樹(カバラ)です。

又、この馬路村の山一帯を等高線地図でみると、八杉森もそうですが、山頂にピラミッドと思われる図形が浮かび上がる不思議な山や、山頂都市が形成されていたであろう痕跡が随所に見られます。 

この馬路という場所は、邪馬壹国の誕生に大きな関わりをもっているようです。

どじょうすくいのヤスキ節で有名な島根県の安来と、八杉の森のヤスギと、安芸(あき)郡をヤスキと読むと、何やら大きな秘密を教えてくれているようです。

どじょうすくいは、砂鉄の採取の光景のお話ですね。

鉄を作るには、豊富な火力である木材を必要としますから、この馬路にも同じ歴史が埋もれているかもしれません。このような理由で、馬路村には、大和建国に関わる大きな秘密が隠されていそうです。古代史研究家の方々は、この場所を大いに研究する必要があるようです。  注目!!  超古代都市が存在するかもしれません

今まで書かされた図形で重要なポイントには全て行かされた私です。 この馬路にも早急に行かなくてはならないようです。 「早く来なさい!」と、声が響いてきます。

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  ここをクリックして3Dで見てください。

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