歴史学者の目でみて、「信幸による父弟の助命嘆願」は 疑問符だそうです。
今夜の真田丸「信之」は第二次上田合戦で秀忠軍にひと泡ふかせた昌幸・信繁父子が死罪になるところを信幸が舅・本多忠勝等の尽力も得て家康に翻意させた、という場面がヤマだったでしょう。このヤマ場に疑問符をつけているのが平山優さんです。
前回の「第二次上田合戦の真相」でこの合戦は真田側にとっては「転がり込んできた勝利」と言われた方です。通説ではない史実にもとずく歴史の見方受けとめ方だとして耳を傾けたい人です。
こう言われています(「NHK大河ドラマストーリー 真田丸 後編」頁125)。
【 しかし、考えてみれば「関ヶ原の戦い」の結果、死罪を命じられたのは石田三成や安国寺恵瓊といった首謀者に限られていて、一般的には改易が妥当な処置だったのです。西軍の事実上の主将格だった宇喜多秀家でさえ、八丈島への島流しです。したがって、この助命嘆願がかなってうんぬんというのは、後世、真田家が行った脚色のような気がします。その脚色によって、昌幸とその子・信繁は徳川を苦しめた名将であったと印象づけ、藩祖の信之は、命懸けで父と弟の命を救った名君なのだということをアピールすることもできたわけです。】
そうもいわれる信之ですから、どういう武将かとwikipediaを見てみました、するとこんなことが、
末尾の(8)とは長野県松代にある「真田宝物館」による、ということです、宝物館に現物があるということでしょう。全文は、https://ja.m.wikipedia.org/wiki/真田信之 を。
信之の父・昌幸が「表裏比興者」と言われたことをこのブログでも触れました。
信之の表裏比興は父・昌幸譲りでありスケールの大きさからいえば、父を上まるでしょう。今までの信之観が変わり始めましたので、
ここでの一票は昨日までは断然信繁でしたが、信之に傾きかけてます、さてこれからのドラマの展開と信之に関する理解を深めてからに決まるでしょう。