PCの御機嫌の良い間に昨日の続きに入ります。
那須与一については、 http://ja.wikipedia.org/wiki/那須与一 で、
この二枚はWikiに掲示されているものですが、那須与一が屋島で扇を射ち落
す姿で、時は1185年です。
この時射ち落ちされた扇を、芭蕉が見たという話が今日の本題です。
那須で泊まった芭蕉と曽良は、翌日(元禄二年四月十九日・1689年5月16日)
午前11時頃、温泉神社(ゆぜんじんじゃ)へ参詣にまいります。そこで、『曽良日記』
によると、「宝物ヲ拝。与一扇ノ的〇残ノカブラ壱本。~」と記さています。
念のために経た歳月を記せば、扇が射落されてから約500年後です。
それから約260年後、温泉神社の宝物殿を訪れた井本農一さんはこう書かれ
ています。
≪私たちも宝物殿をのぞいてみた。扇は地紙が全部なくなって、骨だけ残ってい
る。だが、与一が射た扇の的は、「空に上がりつゝ、しばし中空にひらめきて」、やが
て海中へ颯(ひょう)と落ちてしまったはずなのだが、後で海岸へでも流れついたの
を拾ったのだろうか。たぶんこれは与一の所持していた檜扇(ひおうぎ)ということ
であろう≫。
なお、先の『曽良日記』からの引用文も井本さんの本(角川選書『おくの細道をた
どる』)によります。