常楽院

福島県南会津町 真言宗

悲しかったお稲荷さん

2019-03-21 | Weblog
 例年であれば雪が沢山残っており、裏の墓地は多くの雪で長靴を履いてもお参りに行くのは大変、行けない年の方が多かった。お墓参りにおいでになる方は2、3人、雪の上から手を合わせてのお参り。
 なのに、なのに、何ということだ、今年は雪が少なく境内の雪は殆ど消えお墓参りがとても楽。
 そのせいなのか、今日のお中日はお墓参りにお出でになる方が例年より多い。
 

 従業員も早朝からお団子やお稲荷さん作りに大奮闘(と言うほどではないか)
 春彼岸は「ぼた餅」を作るのが普通なのかもしれないけど、常楽院は従業員がに来た翌年からお稲荷さんを作ってお供えしています。
 どうしてかと言うと、ご近所さんがぼた餅を作って持ってきてくださるのです。それでお稲荷さんを作ってお供えするようになったと言う訳です。

 今年も漉し餡と粒餡のぼた餅が届きました。ありがたいことです。
 これからの数食、従業員は主食を作らないと言うことになります。

 お稲荷さんを作ると常楽院で初めて作った日のことを思い出します。

 まだ若かったあの日 朝はご近所さんから頂いたぼた餅をお供えし、仕事から帰ってきて大急ぎでお稲荷さんを作り御本尊様やお位牌段のお供えし夕食になりました。
 「Mさん、お稲荷さんは寿司飯を油揚げに半分くらいにして裾を折って作るものです。こんなにご飯が多くては美味しく見えませんよ。」と今は亡き前住職の一言。「すみません。この次からはそうします。」と言って食べたものの味がわかりませんでした。片付けをしてお風呂に入ると涙がポロポロ出てきました。頑張って作ったのになー
 今なら「やーだお父さん。一個でお腹がいっぱいになって良いじゃないですか。」なんて笑えるけど、あの頃はまだ純情だったんだなー(笑)
 次から従業員の作ったお稲荷さんが小さくなったのは言うまでもありません。

 今朝住職に「こう言うわけでお風呂の中で泣いたんだよ。」と教え、2人で笑いました。

 従業員は農家育ち、母が作るお稲荷さんは油揚げに寿司飯がしっかりと入っていた。遠足や運動会のときのお友達の家のお稲荷さんもそんなものだった。だから、お稲荷さんはそう言う物だと思っていた。

 そう言えば母親が作るおはぎやぼた餅も大きかった。
 高校の時に「これ持って行け。」と下宿に持たされたおはぎを見て「おおきいねー。」と下宿のおばさんが驚いた小たがあった。その時は「えー そうかなー。」と思ったけど、その後店頭で見るおはぎは我が家のおはぎの1/3位だった。
 
 そんなことも思い出した春彼岸の朝でした。

あれから8年

2019-03-10 | Weblog
 明日は東日本大震災から8年。 もう8年 まだ8年 両方の気持ちがある。
 あの日 私はまだ町の職員だった。新しいパソコンの説明会に出席していた。
 機械に強い若者達はしっか理解して聞いているようだったが、機械に弱い私は「アーァ 理解不能だ。後で若者に教えてもらおう。」なんて思いながら業者さんの話を聞いていた。
 
 もうすぐ終わる そんな頃に天井の照明が揺れ始めた。その照明が大きく揺れ始め身体にも大きな揺れを感じ会場がざわめいた。「外に出ましょう。」その声で皆一斉に立ち上がり廊下に出る。
 会議室の前の図書館の大きなガラスがガシャガシャと大きな音を立てて揺れている。皆一斉に玄関を目指す。
 「小林さん人がいるかどうか右側の部屋を確認していって下さい。私は左側を確認します。」近くに居た男子に大きな声で依頼し、確認してから外に出た。
 玄関には多くの人が不安げな顔で話をしていた。
 「何かありましたか。」後輩の女の子が来るまで帰ってきた。「そうなんで、どうりで駅でないところに電車が停まっていた訳だ。」運転していた彼女は揺れを感じていなかったようだ。
 
 落ち着いて事務室に戻りTVを付け、大きな地震と津波、そして原発の事故を知る。大変なことになってしまった。

 住職に連絡を取る。住職の父親は南相馬、母親は双葉の出身、親戚も原発のある地域に住んでいる。「連絡が取れない。」そうだろう。

 翌日から職員が集まり炊き出し。 三人寄れば文殊の智慧 いろいろ勉強させて頂きました。
 すぐにラップに包んでしまうと汗をかき水っぽくなるので一息つかせること。海苔はつけないでラップに包み添える事。何よりも驚いたたのはペットボトルにお湯を入れオニギリを並べた間に入れること。そうすればオニギリがちょっとは温かく食べていただけると思うし、ボトルの水は飲むことも出来る。感心してしまいました。

 後輩が双葉の出身「父親と妹とは連絡が取れたけど母親と連絡が取れない。おばあちゃんも療養中なので心配。」大きな心配事を抱えながら炊き出しに出てきていました。
 後日「お母さんが生きていた。連絡が取れた。」と満面の笑顔で彼女から報告がありました。

 我が家も大変。いつもなら2人の家に親戚の方が非難してこられ大人数の家族に。
 食品は「お一人様○個」というものが多く、住職が数人連れて買出しに。お風呂は湯量を多くしても間に合わず、私が最後に入る頃は水。半分位づつ近くの温泉に行ってもらった。

 そんな人達も加須に移ったり、町内のアパートに移ったり、原町に帰ったりして、また元の2人家族に戻りました。
 
 あれから8年、学生だった人たちは上の学校に進んだり就職したり。結婚して母親になった人。残念ながら亡くなってしまった人。 
 元の生活に戻る事は出来ませんが、皆さん力強く生きています。
 そして震災以前はそんなに近くなかった親戚が近い存在になりました。

 あれから8年建、まだまだ多くの人々は多くの大変さを抱えて生きています。元に戻る事は出来ないのでしょうが「幸せな人生だった」と思えるよう生きてほしいと思っています。

粗忽物

2019-03-04 | Weblog
 よそのお家の君子欄は3月頃に咲くのに、我が家の君子欄は例年外に出してからしばらくたった6月頃に咲く。
 何を思ったか今年は2月に一株、3月に一株花が咲いてしまった。咲いたと言って良いのかなー(?)
 花に水をあげていたら根元にオレンジ色が見えた。「えっ」と目をこらすと、かわいそうな位小さな小さな花。

 
 どうしてしまったんだろう。これは伸びれそうもないなー。
 
 ご主人様に似ちゃうのかな。(住職にではなく、勿論従業員にである。
 高校の頃、部活担当の先生に「M、話を最後まで聞いてから動きなさい。あんたは頭が良いのか粗忽なのか・・・」と言われたことを思い出した。「そこつ ですか?」「そう」先生は大笑い。
 粗忽・そこつ 言葉としては知っていたけど初めて耳にした。

 職場でも「Mさんて遠くで見ていると、落ち着いてしっかりしているようなのに、一緒に仕事をして見るとぜんぜん違うんですね。」と言われた。
 「そうなのよ。私はドジで、間抜けで、オチョコチョイが着物を着て歩いているような人間なのよ。」と大笑いしたことがあった。
 花も飼い主に似たらしい。困ったものです。


 我が家ではアマリリス、かわいい蘭などが咲いています。癒されます。