例年であれば雪が沢山残っており、裏の墓地は多くの雪で長靴を履いてもお参りに行くのは大変、行けない年の方が多かった。お墓参りにおいでになる方は2、3人、雪の上から手を合わせてのお参り。
なのに、なのに、何ということだ、今年は雪が少なく境内の雪は殆ど消えお墓参りがとても楽。
そのせいなのか、今日のお中日はお墓参りにお出でになる方が例年より多い。
従業員も早朝からお団子やお稲荷さん作りに大奮闘(と言うほどではないか)
春彼岸は「ぼた餅」を作るのが普通なのかもしれないけど、常楽院は従業員がに来た翌年からお稲荷さんを作ってお供えしています。
どうしてかと言うと、ご近所さんがぼた餅を作って持ってきてくださるのです。それでお稲荷さんを作ってお供えするようになったと言う訳です。
今年も漉し餡と粒餡のぼた餅が届きました。ありがたいことです。
これからの数食、従業員は主食を作らないと言うことになります。
お稲荷さんを作ると常楽院で初めて作った日のことを思い出します。
まだ若かったあの日 朝はご近所さんから頂いたぼた餅をお供えし、仕事から帰ってきて大急ぎでお稲荷さんを作り御本尊様やお位牌段のお供えし夕食になりました。
「Mさん、お稲荷さんは寿司飯を油揚げに半分くらいにして裾を折って作るものです。こんなにご飯が多くては美味しく見えませんよ。」と今は亡き前住職の一言。「すみません。この次からはそうします。」と言って食べたものの味がわかりませんでした。片付けをしてお風呂に入ると涙がポロポロ出てきました。頑張って作ったのになー
今なら「やーだお父さん。一個でお腹がいっぱいになって良いじゃないですか。」なんて笑えるけど、あの頃はまだ純情だったんだなー(笑)
次から従業員の作ったお稲荷さんが小さくなったのは言うまでもありません。
今朝住職に「こう言うわけでお風呂の中で泣いたんだよ。」と教え、2人で笑いました。
従業員は農家育ち、母が作るお稲荷さんは油揚げに寿司飯がしっかりと入っていた。遠足や運動会のときのお友達の家のお稲荷さんもそんなものだった。だから、お稲荷さんはそう言う物だと思っていた。
そう言えば母親が作るおはぎやぼた餅も大きかった。
高校の時に「これ持って行け。」と下宿に持たされたおはぎを見て「おおきいねー。」と下宿のおばさんが驚いた小たがあった。その時は「えー そうかなー。」と思ったけど、その後店頭で見るおはぎは我が家のおはぎの1/3位だった。
そんなことも思い出した春彼岸の朝でした。
なのに、なのに、何ということだ、今年は雪が少なく境内の雪は殆ど消えお墓参りがとても楽。
そのせいなのか、今日のお中日はお墓参りにお出でになる方が例年より多い。
従業員も早朝からお団子やお稲荷さん作りに大奮闘(と言うほどではないか)
春彼岸は「ぼた餅」を作るのが普通なのかもしれないけど、常楽院は従業員がに来た翌年からお稲荷さんを作ってお供えしています。
どうしてかと言うと、ご近所さんがぼた餅を作って持ってきてくださるのです。それでお稲荷さんを作ってお供えするようになったと言う訳です。
今年も漉し餡と粒餡のぼた餅が届きました。ありがたいことです。
これからの数食、従業員は主食を作らないと言うことになります。
お稲荷さんを作ると常楽院で初めて作った日のことを思い出します。
まだ若かったあの日 朝はご近所さんから頂いたぼた餅をお供えし、仕事から帰ってきて大急ぎでお稲荷さんを作り御本尊様やお位牌段のお供えし夕食になりました。
「Mさん、お稲荷さんは寿司飯を油揚げに半分くらいにして裾を折って作るものです。こんなにご飯が多くては美味しく見えませんよ。」と今は亡き前住職の一言。「すみません。この次からはそうします。」と言って食べたものの味がわかりませんでした。片付けをしてお風呂に入ると涙がポロポロ出てきました。頑張って作ったのになー
今なら「やーだお父さん。一個でお腹がいっぱいになって良いじゃないですか。」なんて笑えるけど、あの頃はまだ純情だったんだなー(笑)
次から従業員の作ったお稲荷さんが小さくなったのは言うまでもありません。
今朝住職に「こう言うわけでお風呂の中で泣いたんだよ。」と教え、2人で笑いました。
従業員は農家育ち、母が作るお稲荷さんは油揚げに寿司飯がしっかりと入っていた。遠足や運動会のときのお友達の家のお稲荷さんもそんなものだった。だから、お稲荷さんはそう言う物だと思っていた。
そう言えば母親が作るおはぎやぼた餅も大きかった。
高校の時に「これ持って行け。」と下宿に持たされたおはぎを見て「おおきいねー。」と下宿のおばさんが驚いた小たがあった。その時は「えー そうかなー。」と思ったけど、その後店頭で見るおはぎは我が家のおはぎの1/3位だった。
そんなことも思い出した春彼岸の朝でした。