常楽院

福島県南会津町 真言宗

十五夜

2015-09-27 | Weblog
 最近、賑やかな小鳥のさえずりで目覚めます。玄関を開けると軒先や神社の林、向かいの松の木、本堂の屋根などあちこちから、ちっちっち、ちゅんちゅん、ぎーぎー、カアーカアーといろいろな泣き声が降り注ぎます。
 鳥の鳴き声がわかったら面白いだろうなとおもうのですが、雀とカラスしかわからない私には、今日も元気に啼いてるなとおもう位
 先日、家の軒先に4つある雀の巣の一個が強い風で落っこちてしまった。落っこちた巣の中にはまだ毛の生えていない雛が2羽居るではないか、ちょうど叔父が来ていて他の巣に雛を入れてくれた。「まだ中に卵があるぞ。」とのこと。雀は今頃も子育てをするのかな?
 他の巣でも餌をもらえるのかどうか心配で、時々巣のほうを覗くのだが、雀は注意深いようですぐに飛んで行ってしまう。親雀(?)がせっせと餌を運ぶのだから、きっと餌はもらえているのだろう。

 今朝も賑やかな声が降り注ぐなか空を見上げると雲が厚い。今夜は十五夜様だというのに、これでは月見にはならないかなとちょっとがっかり。
 それでも天気予報は午後は晴れとのことなのでミニ花見山にすすきを取りに出かけ、ススキ、野菊、ワレモコウ、萩を摘んできて花瓶に挿す。
 
 
 予報どおり午後には晴れてきた。(最近の予報はあたる。)月見が出来そう。
 お供え物を準備 娘が送ってよこした葡萄、家の畑のなす、トマト、ミニトマト、小さなキュウリ、ピーマン、そこにリンゴ、柿、バナナ、サツマイモを足して、花と一緒に窓辺に供える。
  
 夜はきれいな月がすっきりと見え、気持ちの良い月見となりました。

 ところで、今年は茸が豊作なんだそうです。
 我が家でも昨日シメジを頂きました。一昨日はなめこ、その前日は松茸、その前はシシタケ、その前は舞茸を頂きご飯やお吸い物、天麩羅などにして秋の味覚を存分に味わうことが出来ました。感謝です。(合掌)
 
 そうだ写真を撮っておこうとシメジを撮ったけど、他の茸は既にお腹の中 残念。
 

50年に1度の大雨

2015-09-13 | Weblog
 50年に1度と言われる今回の大雨は、茨城県や宮城県、福島県などに大きな爪あとを残しました。
 そして南会津町でも橋やスキー場のゲレンデの崩落、桧沢川の決壊、田圃や畑の冠水など大きな被害がありました。
 多分田島地区では初めてであろうと思うのですが、広域消防のゴムボートで救助され非難したご家族も降りました。
 道路が遮断され、孤立した地区もでて、報道やDrヘリがいつに無く何度も飛んでいました。

 住職と二人、一日中テレビの画面に釘付けになりました。
 画面には地区の方や、住職の元同僚、檀家さんなどがマイクを向けられ、「今まで初めてです。」「こんなことはなかった。」等と答えていました。
 
 孤立した地区に住む元職場の同僚に連絡を取ろうとしましたが、停電で家電も携帯もつながりませんでした。今日やっと連絡がつき話すことが出来ました。
 田圃もカスミソウの栽培をしているハウスも水の底に沈み砂利が入って大変な状況、家も蔵も床上浸水、外に出ると水が大腿部まであってとても怖かった。これからどうしてよいか解からないと落ち込んでいました。

 我が家では、幸いに大きな被害はありませんでした。
 
  
 雪解けの時や大雨の時にさらさらと流れる程度の境内を流れる川が、朝様子を見に行くとごうごうと大きな音をたてて流れていました。こんなに勢い良く流れる、春のみの小川は初めて見ました。河川敷にあった花壇は見事に流されていました。

   
 
 桧沢川も上流が決壊、私たちの地区も橋げたに木などが引っかかり、水位も上がり所々田圃に流れ込んでいました。水も盛り上がり、こわかったー。

  
 町の入口にある枇杷の影を流れる川も怖いくらい水位が上がっていました。

 沢山の親戚や知人の方から「大丈夫」と心配をする連絡を頂きました。中には「南会津といったらMちゃんの所だと思って。」と10数年ぶりに連絡を下さった友人もおりました。
 皆さんの思いに感謝です。

 

 

高野山

2015-09-04 | Weblog
弘法大師空海の手で密教の道場が開かれてから1200年を迎えた高野山に行ってきました。
 高野山は人で溢れており、駐車スペースを探すのが大変でした。

 到着してまず奥の院まで参拝、境内には豊臣秀吉、石田三成、上杉謙信・景勝、武田信玄、織田信長など、沢山の戦国武将の墓がありました。
 ヤクルト、UCC、パナソニック、福助など、日本の名だたる企業の墓も多く、日本しろあり対策協会で建立した「しろありよやすらかにねむれ」と刻まれた供養碑もあり、ヤクルト、珈琲、しろあり、ロケットなど、あらゆるものに魂が宿るという日本的な信仰心からか、従業員の意識の高揚と物故者の慰霊なのか、かたちも個性的なものが多く楽しく参拝させていただきました。
 親鸞さや法然さんなど他宗派の僧の墓もあり、昨年読んだ五木寛之さんの「親鸞」がよみがえってきました。

 東日本大震災物故者慰霊塔
 
 前回訪れた時には建立予定地だったところに、慰霊塔が建っていました。参道を隔てた隣には同じ形の阪神淡路大震災の慰霊碑もあり、しっかりお参りをさせていただきました。
 建立者を見ると、両方とも同じ一族であろう個人の名前が彫られており、団体でなく個人でこのような慰霊碑を建立する方が居られることにびっくりしました。
 
 他にも境内には沢山の人々の墓や供養碑があり、丁寧に見ていたらいくら時間があっても足りません。

 
 夜の参道
 
 恵光院さんで実施しているナイトツアーに参加。参加者は10名。
 参道の常夜灯の窓は月の満ち欠けが表されており一つ一つ違うこと、高野山の焼き討ちをしようとしていた織田信長の墓がどうしてここにあるのか、二つ並んだ鳥居の形が少し違っている訳など、案内の僧侶の方の説明を聞きながら往復4㌔の参道を、楽しく歩きました。
 夜の奥の院は数え切れないほどの燈籠に灯が入り、とても神秘的でした。

 生身供
 
 宿坊での朝の勤行を失礼させていただき、6時に行われる生身供を見にいきました。
 TVなどでは、今も生きて瞑想を続けている弘法大師に食事を届ける生身供をよく見ますが、今回はその場で見せていただくことができました。
 6時と10時の2回届けられるのですが、6時の時は観光客の方は宿坊の朝の勤行に出るため見に行かれる人は少ないということですが、今回も私たちの他には若い女性が一命でした。
 奥の院で食事を供えている様子を見学していると「どうぞ、上におあがり下さい。」と声を掛けていただき、奥の院での朝の勤行に参加することが出来ました。僧の声明の声が気持ちよく耳に届き、厳粛な気持ちでお参りをすることができました。感動しました。

 いつもと違った、良い高野山参拝が出来たことに感謝です。