常楽院

福島県南会津町 真言宗

そう言えば

2020-01-27 | Weblog
 先日と言うか、ちょっと前に職場の新年会がありました。とっても賑やかにワイワイ、ガヤガヤと楽しい会でした。
 食べ物も飲物も進み、話も盛上りました。
 ひょんなことから出身地の話になり、事務の若い女の子の祖母と私が同じ地区の出身であることを知りました。その子の祖母は私の一つ下。それなのにこんなに綺麗で大きなお孫さんがいることにびっくり。我が家の孫は中学生と高校生、内孫にいたってはまだ2才 えらい違いです。

 そこで思い出しました。
 そう言えば今は小中学校の教科書は無料でそれが当たり前だと思っているし、従業員の私も子供たちの就学時に当たり前に教科書を受け取り名前を書いたけれど、昔は有料だったんだよなーと。
 親から新しい教科書を受け取るときに、いつも「来年も使うのだから綺麗に使いなさい。落書きなんかしんなよ。」と渡されたものです。そう言えば学年が終わると、近所のおばさんが来られて「毎年わりいな、助かる。今年もよろしくな。」と頭を下げて教科書を大事に抱えて行かれたっけ。低学年の頃は意味が分からずとりあえず大事に使ったけど、何年生の頃だろう来年も使うという意味を理解したのは、意味が分かってからは教科書への書き込みもせず大事に使った。
 教科書が有料だと分かったのはいつ頃だったろう、今では記憶にも無い。
インターネットで調べたら、教科書・教育費無償化の戦いは戦前からあり、戦後も各地で進められてきたとか、その中で昭和36年から始まった高知・長浜の教科書無償闘争が大きな影響を与えたとか。
長浜のある地区の母親たちは仕事らしい仕事が無く、教科書の負担が大変だった。母親達と学校の教師たちは署名活動や、多くの団体に働きかけ昭和38年に国会でも大きな問題として取り上げられ、6年掛けて小・中学校の教科書が無料になったとのこと。大変な苦労があったんだなー お母さん達の力は大きかったんだなー 感謝です。

 近所のおばさん家は子供が多かった。しかも私の教科書を使う子は双子の一人だった。きっと教科書代も大変だったのだろう。考えるとお譲りの教科書を使っているお友達は何人かいた気がする。新しい教科書を使わせてくれた両親に今頃感謝です。鉛筆や消しゴムも小さくなるまで使った。ちびた鉛筆にはサック(鉛筆の補助軸)を付けて大事に使った。 今では考えられないなー
 鉛筆、消しゴム、ポールペン、マーカーなど沢山有り過ぎて、無くなるまで使うなんてことがなくなってしまった。 反省!


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