ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

ローズンゲン発足の日

2010-05-03 13:21:44 | ローズンゲン
5月3日はローズンゲン発足の日とのこと、ともかく先ずは「おめでとう」と挨拶すべきでしょう。何しろ、282年前(1728年)に始まったローズンゲンが現在もまだ続いているということは驚異的であす。それだけこれが人々の要求にマッチしたということを意味しています。日本でもかなりの人々が愛用していると思われますが、どうしたことか、あまり人々の話題にならないようです。何か、他人には知られたくない「合い言葉」で、愛用者だけが「密かに」恩恵を受けているような気がします。それはそれで、結構なことだと思う。信仰生活にはそういう側面もあります。
わたしの場合は、恩師、松村克己先生が「熱心な」愛用者で、先生が運営委員長をしておられた日本クリスチャン・アカデミーの主事をしていた頃(11年間)に、ドイツ語を忘れないようにと、ドイツ語版を下さった思い出があります。わたし自身は先生ほどに熱心な愛用者ではありませんでした。つまり、不肖の弟子です。アカデミーを辞して日本聖公会の聖職になった頃からローズンゲンから離れてしまいました。今年に入ってけからまた再びローズンゲンを愛用するようになり、恩恵を受け、松村先生のことを思い出しています。
今日は、ローズンゲン発足の日ということで、宮田光雄先生の『御言葉はわたしの道の光――ローズンゲン物語――』から発足当時の頃のことを引用します。
≪反宗教改革の重圧から美しい故郷を捨ててきたボヘミア兄弟団の人々が、第1にに願ったのは、新しい共同体で自由な礼拝生活を送ることでした。≫
≪この人たちを迎えて安住の地を準備したのはニコラウス・L・ツィンツェンドルフ伯爵で、1970年代の初め、迫害のためにオーストリアから逃れてきたボヘミア兄弟団の人々を自分の領地内に住まわせ、「ヘルンフート(主の守り)」と呼ばれるキリスト教団体を建設するのです。≫
≪1728年5月の初めのある日、人々が簡素な祈りの家で賛美の歌とともに一日のわざを終えたとき、ツィンツェンドルフは「翌日のためのローズング(合い言葉)」として、次の言葉を示したのでした。「愛のゆえに主は来られた。愛のゆえに天の玉座を離れられた。わたしは主を愛することなしにいられようか」。この短い、覚えやすい讃美歌の一節が最初のローズングとなったのでした。≫
≪同じ年かその翌年から、毎朝、兄弟団の仲間の一人がヘルンフートの村の32戸の家々を訪ねて、その日のために選ばれたローズングを告げて回る慣行が生まれました。彼は、あらかじめ長老の家におかれた小箱から1枚の巻紙を取り出すのです。それには、短く聖書の言葉や讃美歌の一節が記されているのでした。ツィンツェンドルフ自身、雨まじりの雪の悪天候の中を、このローズンゲンを伝えて回ったこともあるようです。≫


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