ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

対馬にて(5) 豆酘崎

2009-05-23 14:36:52 | ときのまにまに
対馬での3日目の朝は大快晴。ホテルのテラスに出て対馬海峡から上る日の出の写真を数枚取り、朝食。
9時には、花子さんが門前で待ち構え、今日は先ず上見坂公園へ3度目の挑戦と張り切っている。連日3回も上見坂公園に登るのは初めてとのこと。確かに、上見坂公園から眺める淺茅湾の島々は美しかった。青い海にお椀をふせたような緑の島々、まるでお伽噺の絵のようである。残念ながら韓国は見えなかった。タクシーの運転手に聞くと、ほとんど毎日ここに来るが、今までに見えたことはないとのこと。おそらく見えるのは「徳恵姫の郷里、心の朝鮮」であろう。
今日はここから内山山上にある「アカハラダカ観測地」に立ち寄り、鮎戻し自然公園をちょっと覗き、美女塚公園で小休憩。石に刻み込まれた美女伝説を読んだ。ここには昔からいろいろな民族の人が漂着し、自然に混血が進み、よそでは見られない美女が多い地域であるといわれている。
昔、豆酘(つつ)に鶴王という美しい娘が住んでいた。賢く親孝行な彼女はあるとき采女として都へ召喚されることになった。年老いた母を残していく悲しみに耐えられず、都へ上る日、この場所で自らの命を絶った。「美しく生まれたために、二人は哀しみにあうのなら、これからは、この里に美女が生まれませんように・・・」このような言葉を残して世を去った。これがこの地方に残る「美女伝説」である。

        

そのどんな美人が居るのか心に描きながら、豆酘崎まで。豆酘崎の景観は大したものである。この先で、対馬海峡と朝鮮海峡とに別れている。バルチック艦隊が来襲したときには、ここから右に行くか左に行くか、日本全体の目がここに注がれたことであろう。福井県の東尋坊を思わせるような断崖絶壁の上に立つと、日本の南端に来たという実感が湧き上がってくる。昔はここにも砲台があったらしく、弾薬庫跡だけが残っていた。わずか8畳敷きの部屋ぐらいの大きさでその狭さに驚いた。

        

        

大量の砲弾を必要するような事態を想定していなかったのであろう。ここは「戦う」というより「監視と警告」という任務であったのかも知れない。
豆酘崎から少し戻ったところに美女塚茶屋がある。わたしたちは「噂の美女に会える」という期待をもって店に入ると、そこの女将さんは期待に十分応える美女であった。

        

ここで、3日間の対馬観光を終える。花子さんは、対馬観光の締めくくりとして、対馬特有の「ろくべい」を勧めてくれた。「ろくべい」については項を改めて。

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