ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

小説『1Q84』(村上春樹)の中の挿話

2009-07-02 13:52:00 | ときのまにまに
危険なカルト集団から逃げてきた一人の少女をめぐって、謎の老婦人と主人公青豆(「あおまめ」というのが女主人公の名字)との会話。作品の中ではかなり重要な場面で交わされる会話である。

<「男たちは毎日数百万匹の精子をつくります」と老婦人は青豆に言った。「そのことは知っていましたか?」
「細かい数は知りませんが」と青豆は言った。
「端数まではもちろん私も知りません。とにかく無数です。彼らはそれを一度に送り出します。しかし女性が送り出す成熟した卵子の数は限られています。いくつか知っていますか?」「正確には知りません」。
「生涯を通しても約四百個に過ぎません」と老婦人は言った。「卵子は月々新しくつくられるわけではなく、それは生まれたときから女性の体内にそっくり蓄えられています。女性は初潮を迎えたあと、それを月にひとつずつ成熟させ外に出していくのです。この子(少女つばさ)の中にもそんな卵子が蓄えられています。まだ生理は始まっていませんから、ほとんど手つかずであるはずです。引き出しの中にしっかりと納められているはずです。それらの卵子の役目は言うまでもなく、精子を迎え入れて受胎することです」。
青豆は肯いた。
「男性と女性のメンタリティーの違いの多くは、このような生殖システムの差違から生まれているようです。私たち女性は、純粋に生理学的見地から言えば、限定された数の卵子を護ることを主題として生きているのです」。>403頁

この会話についてのわたし自身のコメントはない。ただ、厳粛な事実として受け止める。老婦人と青豆との間ではこんな会話もされる。

<老婦人:「私も歴史の本を読むのが好きです。歴史の本が教えてくれるのは、私たちは昔も今も基本的に同じだという事実です。服装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちが考えることややっていることにそれほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物(キャリア)であり、通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちを乗り継いでいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちが幸福になろうが不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです」。
青豆:「それにもかかわらず、私たちは何が善であり何が悪であるかということについて考えないわけにはいかない。そういうことですか?」。
老婦人は肯いた。「そのとおりです。人間はそれについて考えないわけにはいかない。しかし私たちの生き方の根本を支配しているのは遺伝子です。当然のことながら、そこに矛盾が生じることになります」、彼女はそう言って微笑んだ。>385頁

老婦人は冷徹な眼で生物としての人間をリアルに見ている。その目で見ると、すべの人間は文化や歴史によって培われた個性というものが完全に拭い去られてしまう。しかし、そのように単純化できないものが人間にはある。

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