ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

対馬にて(6) 「ろくべい」と「対州そば」

2009-05-23 16:35:51 | ときのまにまに
この度の対馬観光での最後の食事は「ろくべい」であった。対馬の思い出とともに、この「ろくべい」についてのもう一つの「思い出」も記録しておかねばならないであろう。もう既に述べたように、対馬について最初の夕食は、対馬一といわれる郷土料理屋「志まもと」で石焼きを味わったが、その時、汁物として、小椀に「ろくべい」が供された。黒い、こんにゃくのような麺に鶏汁がかけてあり、評判通りとても美味であった。その時、わたしの脳裏に一つの思い出が甦った。これは以前に食べたことがある。もちろん、こんなに美味しいものではなかったが、これと同類ものが目の前に映し出されてきたのである。
すでに述べたとおり、わたしとわたしの家族とは戦後満州から帰ってきた「引き揚げ者」で、帰国した当初は衣食住はもちろん皆無で、完全な裸同然の状態であった。しかも、栄養失調はほとんど病気と同じ状態で、「骨皮筋右衛門」という言葉がぴったりであった。幸い、母の弟の家族が鉄工所を経営しており、そこに迎えていただき、何とか日本での生活が始まった。その頃の思い出である。その頃、日本政府は海外からの引き揚げ者に対する「援助」の一貫として、ひと月に数食分の「外食券」というものが配給され、ときどき、家族揃って町の指定の食堂に食べに出かけた。その時、確か「代用うどん」としてこれに似たものを食べた記憶がある。とにかく当時の食糧事情であり、慢性欠食児にとっては何でも口に入るものならば「美味しい」と思ったのであろう。その後、ときどき、あの時の「代用うどん」を思い出すこともあった。それとよく似たものを対馬で出会うとは。そのことを話すと、「志まもと」のお女将さんは、終戦直後、サツマイモのデンプンでうどんのようなものを作ったという話を聞いたことがある、という。お女将は、ただ、対馬の「ろくべい」はサツマイモが原料であるが、細かく砕いたサツマイモを発酵させ、それを水に晒して、デンプン質と繊維だけを取りだし、それを水でこねて大きなおにぎりのように丸くまとめ、それを特別製のふるい状の道具を使って、沸騰するお湯の中に押し出して作るという。おお仕掛けのところてんのようなものである。それに鶏のだし汁と山菜をのせて食べる。これが対馬の「ろくべい」である。この製法を発明した人が「ろくべいさん」だという。成る程、わたしの知っている「代用うどん」とは姿形は似ているが、全然違うものらしい。

        

そんな話を聞いて、先日、島原半島を一周したとき、あちらこちらで「ろくべい」という店の名前を見たことを思い出した。そうすると、お女将さんはムキになって、確かに島原にも「ろくべい」はあるが、対馬のとは全然格が違う。あちらの「ろくべい」は発酵というプロセスが省略されており、対馬の「ろくべい」のようなコクがない。ともかく対馬の人は負けん気が強いようだ。
ともかく、島原で「ろくべい」という看板を見たとき、わたしはそれは単にうどん屋のチェーンだと思い食べなかったので、わたしには比較できない。ともかく、対馬の「ろくべい」には郷土の香りがある。
「ろくべい」のことに触れたついでに「対州そば」についても一言。「対馬は海国かと思ってきたが、実は山国であった」というような意味のことを司馬遼太郎さんは書いているが、確かに対馬は山ばかりである。従って米産は少ない。それを補っているのが芋類とそばである。対馬のそばは香りが高く、ねばりがあるのでつなぎが必要ない。それで対馬のそばのことをふるい地名を冠して「対州そば」という。評判通り非常に美味しい。対州そばはそばにするよりも「そばがき」の方が美味しいぐらいである。

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