ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズゲン 8/22

2010-08-28 08:14:55 | ローズンゲン
8月22日(日)
主であるわたしはぶどう畑の番人。常に水を注ぎ、害する者のないよう、夜も昼もそれを見守る。(イザヤ27:3)
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながって実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。(ヨハネ15:1-2)
私の黙想
福島園の百姓福島君のブログを見ていると、畑にせよ田圃にせよ、植物を育てるのは大変なことである。何しろ植物は自分で環境を選べない。だから百姓は植物のために環境を整えなければならない。環境さえチャンとすれば、植物は自分で育つ。

8月23日(月)
主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。(民数記11:23)
イエスがシモンのしゅうとめのそばに行き、手を取って起こされると、彼女の熱は去った。(マルコ1:31)
私の黙想
砂漠で100万人以上の人に肉を食べさせるという「約束」は無効に近い。しかし主は言われる。「私の手は短くない」。出エジプト物語の1つのクライマックス。「力不足で申し訳ない」というのは人間の言い訳。神の辞書には「力不足」という言葉はない。

8月24日(火)
主は代々限りなく統べ治められる。(出15:18)
イエスはピラトに言われた。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」(ヨハ18:37)
私の黙想
神は天地創造の時から世界の終末の、さらにその後も神である。改めてこのことを口にすることの意味は大きい。当たり前のことを当たり前のこととすること、それが信仰である。神は神であり、人間は人間である。それが主の祈りにおける「御名が聖となりますように」の意味。

8月25日(水)
主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。(サムエル上1:27)
あなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。(1コリント4:7)
私の黙想
良いね。こういう祈り。願ったことがかなえられる。自分の力ではどうにもならないことを神に願う。神がかなえてくださる。神に感謝する。こういう関係の持続が信仰。神は予定を変更してでも聞いてくださる。

8月26日(木)
わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。(列王記18:37)
パウロの手紙:キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。(ガラテヤ1:6-7)
私の黙想
人間はマンネリズムに弱い。習慣化してしまうと、それがどんなに特別なことであっても「普通」のことになってしまい「新奇なこと」に魅力を感じる。それが宗教の「泣き所」。マンネリズムの魅力、威力を学べ。

8月27日(金)
神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。(創世記1:31)
主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られた。(黙示録4:11)
私の黙想
今日の聖句、私の好きな言葉。ここには「人間と人間の営みのすべて」が含まれている。こに信仰、神学、生きる根拠、喜びの源泉のプリンシプルがある。

8月28日(土)
御名を愛する者はあなたに守られ、あなたによって喜び誇ります。(詩編5:12)
わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。(ヨハネ15:10-11)
私の黙想
「保護されていることを喜び誇りにする」という心理は、ニーチェにいわせれば弱者の論理であろう。「あなたによって喜び」の「あなたによって」の意味がよく分からない。口語訳や祈祷書訳の方が分かりやすい。翻訳者は日本語が分かっていないのか。

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