北条俊彦
・経営コンサルタント・前 住友電工タイ社長
■■「春の訪れ」
●暖かい陽気に誘われて草木の芽吹く「弥生(いやおい)」三月
我が家の晩酌も熱燗からぬる燗に変わり、今、蕗味噌を肴に春の
気配を楽しんでいる。ついつい過ごし起稿の手を止めてしまう自
分に苦笑い。そこで駄作を二句、
“ひとり酒 熱燗徳利 酔いの月”
“ぬる燗に まあるく温む 寒戻り”
●酒燗といえば“ちろり(銚釐)”が必需品だが、私の父も 晩酌は
“ちろり”で熱燗とし、毎晩2合を常としていたのを思い出す。
そして父の飲む酒はいつも決まって“長龍”だった。
“ちろり”は日本酒を湯煎燗しそのままお猪口に注げる酒器で 江戸
時代後期に登場したらしいが、鬼平こと 長谷川平蔵も“五鉄”で相
模の彦十、おまさ、小房の粂八、大滝の五郎蔵等密偵達と“ちろり”
で燗酒をさしつつ軍鶏鍋をつついていたのだろう。
“ちろり“の素材には銅や錫、アルミ、そしてステンレス等 あるよ
うだが、是非、色々試してみると良い。特に錫製は高価だがまろ
やかで格別な味になる。因みに父の“ちろり”は軽くて割れない、
そして何よりも安いアルミ製であった。
●弥生三月は夢見月(ゆめみづき)辰月(しんげつ)禊月(けい
げつ)など色々別称があるが、特に、夢見月とは春を感じ心地の
良い名称である。
夢のように美しく儚い夢見草(櫻のことをいう)の咲く月を表現
しているらしい。そう言えば 坂口安吾の短編小説“櫻の森の満開
の下”を読まれただろうか?安吾の傑作の一つ、この小説は峠の
山賊と妖しくも美しく、そして異常なまでに残酷な女性との幻想
的な怪奇物語であるが、1975年に篠田正浩監督により映画化され
た。
その京都の撮影現場に遭遇したのが、私がその小説を読むきっか
けであった。女役の岩下志麻は実に美しかった。
異常なまでに我儘で残酷な美、そしてけっして逃れることのでき
ない美は鬼と化し、恐れ狂気と化し、やがて櫻の森の満開の下で
花びらとなり消えて行った。
櫻の花に、人の心の美醜(二面性)を耽美的、象徴的に表現した
安吾の世界であったのだろうか?私如きが理解できるところでは
ないが…..
■■「折々の花」
●タイ人も櫻が大好きなのである。今でこそ彼らの日本での楽し
み方は多様化してきたが、少し前までは“櫻と雪”を体験すること
が彼らの日本訪問の主要な目的であった。
タイにも櫻に似たものがあり“チョンプー・パンテイップ(パンテ
イップさんの桃色の花という意味)“が代表的である。
また日本から移植された和櫻もタイ北部で毎年咲いているようだ。
(●タイ北部の古都チェンマイの桜)
ご承知の通り、櫻は日本の国花(櫻と菊)であるがタイの国花は
“ドーク・ラーチャプルック(王の樹)”と呼ばれ、黄金の国タイ
に相応しい黄色く華やかで“黄金の藤”の様な花である。
(タイの国花)
英語名は“ゴールデン・シャワー“と言われ、その意味する通り美
しい花であり開花期は5〜8月頃である。
タイでは人は生まれた曜日によって色が決まっており、黄色は月
曜日の色で現国王の色である(前国王も黄色であった)。
是非タイを訪問の際はこの美しく高貴な花を愛でて頂きたい。
●タイで映画“クーカム(メナムの残照)”が2013年に公開された
が、大東亜戦争中の日本人将校とタイ女性との悲恋を描いた映画
らしい。残念ながら中国へ転任となっていたため鑑賞する機会は
なかった。興行後タイで最も有名になった日本人小堀大尉とアン
スマリンもゴールデンシャワーの花の下を二人して歩いたのだろ
う。
●櫻に関する漢詩を二首、紹介させて頂きたい。駄作につき厳格
なる評価はご容赦願いたい。
「櫻花」
櫻花春色知薫風 山里回廊霞浪漫
千言萬語不可尽 汝不知蓬山遊漫
(櫻咲く春の季節を、その花薫る風によって知る。
春の霞にかすむ山里を巡るは、是、浪漫なり。
その美しさは、千言萬語では表現しつくすことはできない。
君は知っているだろうか、春の大和を漫遊する喜びを。)
■■「和顔愛語」(西行法師の偉業)
“山川にわが身をうつし山櫻 散りても尚待つ 心のどかに”をイ
メージし作成したものであるが、櫻は日本人の心であり、夢情熱
であるといったものを、より力強く甦らせてくれるものであろう。
日本人であることの幸せであり、神の与え給う天意(“あい”と読
む)であろう。
「風韻」
櫻花散緑風韻閑 飄々為従心所欲
不歓君緑下之宴 我唯請願弾名琴
櫻花は散り、緑萌える薫風の響きは閑かなり。
飄々として我が心の欲するところに従い事を為すのみ。
君は緑下の酒宴においても寂しさを隠そうとしない。
櫻花を惜しむ心の寂しさを琴の音で癒してほしい。
●後撰和歌集に“さくら花 主を忘れぬものならば 吹き込む風に
言伝はせよ”という和歌がある。詠み人は菅原道真である。
菅原道真と言えば“東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花・” を連想
するが、櫻の花を歌ったものもあったようだ。
和歌に俳句と、古今櫻を詠んだ歌は数限りないが、良寛辞世の
句と言われている“散る櫻 残る櫻も 散る櫻”では、櫻をして人の
世無常を歌っている。
櫻は咲いた瞬間からやがて散りゆく運命を背負う、人の命も同じ。
どんなに美しく綺麗に咲いたとしてもやがては必ず散りゆくもの
と心得るべきと。限られた命の中で如何に生き如何に死ぬべきか
と良寛は問いかけているのである。
同じように人の世の無常を詠った、親鸞聖人の和歌もここで紹介
しておきたい。
“明日ありと 思う心の あだ櫻 夜半に嵐の 吹かぬものかは”
古来、日本人は、自然の摂理と一体に生きてきた民族、より感傷
的に自然の現象を捉える傾向がある。私自身も、咲く櫻、散る櫻
に日本人としての生き様の美しさを感じる。
中国でも日本の櫻を見る機会はあったが、深みのない櫻であり日
本の櫻を懐かしむばかりであった。櫻は日本という風土と日本人
の心の中にあってこそ、その真の美しさを発揮するのだろう。
(西行法師)
●最後に、西行の辞世の歌といわれる、“願わくは 花の下にて 春死
なん そのきさらぎの 望月のころ”
(弘川寺)
河内国石川郡弘川(現在の大阪府南河内郡河南町弘川)にある弘
川寺にて文治6年2月16日入寂、享年73歳であった。
この一首をもっても西行の和歌に魅せられた人の多いことは想像
に難くない。
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