宮澤賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。
毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。
その第3回です。
「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる」
これは、妹トシが激しい熱とあえぎの間に、ひとりごとのようにつぶやいたことばです。
「また人間に生まれてくるとしたら、今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきたい。」
トシは大学在学中に結核を発病し、入退院を繰り返します。大学の卒業はなんとか認められ、花巻女学校の教師見習いになりますが、満足に働けないまま、死んでいかねばなりません。
「自分のことばかりで苦しむのではなく、すべて人のために働きたい。」
トシの切実な願いでした。
伝教大師最澄は、「すべての人が仏になれる」法華経の教えを広めるために、日本に天台宗を伝えました。
その最澄のことばに、「 好事を他に与え、悪事を己れに向え。己を忘わすれて他を利するは慈悲の極みなり」ということばがあります。
これは、いいことは人に分け与え、悪いことは自分が引き受け、自分の幸せは忘れ、人の幸福のために尽くす、これが最高の慈悲であるということばです。
己のことは忘れ、他人に尽くす。法華経にもそんな菩薩が何人も登場します。
続きます。