先日、立田村へ蓮見に行った帰り、蓮のつぼみを買ってきて、花瓶に挿して開くのを楽しみにしていたのですが、結論から言うと、つぼみのまま、花弁が外側から一枚一枚と落ちて、真ん中の軸だけになってしまいました。
蓮は、泥中に生じて気高く清らかで大きな花を咲かせます。その気高く清らかで大きな花を咲かせるには、泥中でなければならなかったということです。
蓮の根は、言うまでもなくレンコンです。水を通すための空洞が何本も通ったレンコンがしっかりと水を吸い上げないと、蓮の清らかで大きな花は開かないということなのでしょう。私にとっては一つの発見でした。
これは、大きく開いた蓮の花の中心部。いわゆる蓮の実です。花に水をやる如雨露(じょうろ)の注ぐところも蓮の実といいます。
蜂の巣に似ていることから、「はちす」→「はす」と名が付いたともいいます。
開くことなく、花びらが落ちてしまった蓮の花の芯です。まさに如雨露の注ぎ口です。
その開かなかった蓮のつぼみの軸を輪切りにしました。レンコンと同じように水を吸い上げるたくさんの穴が開いています。
蓮の花が咲くには、本当にたくさんの水を吸い上げなければならない、つまり、大きなレンコンがついていなければ、花は開かないわけです。
蓮は、泥中にあるからこそ、清らかな花を咲かせるのです。
不染世間法 如蓮華在水 (ふせんせけんほう にょれんげざいすい)
法華経にある言葉です。
濁った世間にあって、仏様の教えを弘め、苦しんでいる人々を救う。
私たち仏教徒のつとめであると思います。