心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

三河国八橋のかきつばた 1

2016年05月23日 | 日記

伊勢物語の東下り(あづまくだり)で名高い、三河国八橋のかきつばたを見に行ってきました。

GWの頃から咲いていたようで、私が行ったときには、残念ながら、もうほとんどの花は終わってしまっていました。でも、こうしてきれいに咲いているところだけを切り取って写真にすれば、それなりに見えますね。

伊勢物語は、1100年ほど前に成立した日本最古の物語です。在原業平(ありわらのなりひら)をモデルに一人の雅(みやび)な男の生涯を描いています。

主人公は、許されぬ恋のため、京を離れ、わずかな従者とともに、あづまの国へと傷心の旅に出ます。途中、三河国八橋に至ります。水の流れが蜘蛛の足のように八筋に分かれ、八つの橋が架けてあるので八橋というのだそうだと聞きます。八橋の沢のほとりで、当時の携帯食「乾飯(かれいい)」を食べます。沢のほとりには、かきつばたが美しく咲いていました。旅の憂さを晴らすため、一行は「かきつばた」の五文字を句の頭に織り込んで、即興で歌を詠もうということになりました。主人公は都に残してきた恋しい女を思って歌を詠みます。

ら衣つつ慣れにししあればるばるきぬるをしぞ思ふ

(五七五七七それぞれの句の頭( 部)が「か・き・つ・は・た」になっています。)

誰もが都を思い出し、その歌に涙しない人はなかったと言います。

(その涙で「乾飯」は、ふやけてしまった(ほとびにけり)というオチがついていますが、私の母は、うどんやラーメンが水分を吸ってのびてしまうことを表すのに、今でも「ほとびる」という言葉を使います。)

かきつばた園は、無量寿寺という寺の境内にあり、かきつばた祭りで賑わっていました。

昔から描かれてきた、橋を八つ渡した様子を再現した庭園もありました。

京都の銘菓「八橋」も売られていました。

ここ八橋にちなんだ名だそうです。

(続きます)

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