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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

21014年小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅(2) 毎年訪問している背景など

2014年06月22日 | 硫黄島・小笠原村
今年は、硫黄島に行く前後に寄った父島では前線の影響もあって天気が悪く例年になく暑くない小笠原を経験しましたが、6月15日(日)と16日(月)には天気に恵まれて海の静かで硫黄島に上陸して一泊することができました。おいおい、様子を紹介していきたいと思います。

今回で、硫黄島への慰霊墓参の旅への参加は、小笠原丸で行くのが9年連続で10回目でした。他に前には入間基地からの日帰りに4回参加したことがあります。このブログを始めた頃には詳しく紹介をしておりましたが、このところ、私がどういう関係で参加をしているのかを言っておりませんでしたので、あらためて整理して紹介いたします。

私の祖父母が戦前に硫黄島に住んで、魚や雑貨などの扱う焦点を、硫黄島の中心の元山地区で営んでいました。昭和11年生まれで昭和19年の強制疎開で引き揚げるまで硫黄島で暮らした私の母(2007年死去、故人)を含む10人兄弟のうちの7人目までが硫黄島で生まれました。
強制疎開で多くの在住島民が本土に引き揚げた中、壮年男子の80余名(82人、83人、84人と諸説があります。この違いは、どこまでが戦前在住の日本人住民であったかという点の解釈のずれに起因するそうです。)は、硫黄島戦に投入された将兵と共に軍属として残らされて犠牲になり戦没しました。祖父のすぐ下の弟は34歳で、母の従兄弟(祖父の甥)の従兄弟同士だった二人は18歳で硫黄島で散りました。他にも、数人の親戚が硫黄島で死にました。

私は、祖父母、伯父、叔母、母が戦前の硫黄島在住島民であったことと、親戚が硫黄島で散ったことから、慰霊の式典に参加をするために、
そして、硫黄島を可能な限りは見続けて、できるだけ多くの人に知ってもらいたいと希望して、この訪島に参加を続けてきております。

写真は式典が行われる硫黄島島民平和祈念墓地公園に咲いていたホウオウボクです。例年この6月の時期には父島の商店街にも咲いているのも見ることができますが、ここ硫黄島でも満開で、鮮やかでした。
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