OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

天山慰霊碑隣の納骨堂

2008年10月05日 | 硫黄島・小笠原村
天山慰霊碑の向かって右側にある納骨堂です。

「新たに発見されたご遺骨は本土の千鳥ヶ淵に収められるまで、
一時的にここに安置される。」(小笠原村発行 パンフレット「硫黄島」より)
そうです。

写真は、今年の6月に撮影したものです。
お堂の中には今年は入りませんでしたが、
昨年の6月の時には、中に入って見ました。

ご遺骨が安置されている様子は分かりませんでした。
激戦で犠牲なられた将兵の方々の
お名前が記された名簿が奉納されていました。
所属部隊名ごとに多くの名簿が収めれれていて、
戦没者のお名前が、書かれていました。

硫黄島戦について、
栗林中将についてなど、
インターネットで検索いたしますと、
多くの方が、ホームページやブログに
情報を掲載してくれています。

ご遺族の方や、研究者、
戦争の傷痕の最近の写真を多く掲載してくれているのは、
遺骨収集に参加してくださった方のようです。

硫黄島戦が、「どのような戦いであったのか」
「あの戦闘は、何だったのか。(目的、意義)」
について、親類が軍属として犠牲になっている立場の
私は、思うところのコメントを書きません。

激戦の痕を見た様子と感じたことは紹介してきました。

歴史の上での解釈をするには、多くの、史料を綿密に
分析して研究をする必要がありますが、
日本近代史を専攻いたしましたが、
太平洋戦争の研究はしておりません。

思うところはありますが、安易に解釈はできないと
考えています。

いろいろな情報を読ませていただいた中に、
大学の日本史のゼミの先生のホームページに
「硫黄島(1ヶ月余の死闘)」と
載せていただいているのを、見つけて読ませていただきました。
「リンクフリーです」と、ホームページ入り口に
ございますので、
URLを紹介させていただきます。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/ioutou.htm

愛媛県の松山大学の先生のホームページです。
私は以前に1年だけですが、転勤で松山に住んでいたことが
ありますので、松山の写真など懐かしく見せていただきました。

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