OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

伊豆下田は田牛にある民宿「硫黄島」に行ってきました。(1)

2009年08月20日 | 硫黄島・小笠原村
伊豆半島や箱根には、これまでに数多く行きましたが、下田には幼い頃に行った記憶がありますが、今回で2度目でした。

下田の海岸の中でも、下田海岸から西側、南伊豆に近い田牛(「とうじ」と読みます。)にある、民宿「硫黄島」には初めて行きました。

硫黄島訪問の時や、「島民の集い」の時に、皆さんに自己紹介をする時に、祖父の名前を出すと、多くの方が、「民宿「硫黄島」には何回ぐらい行ったことがあるか?」という反応が多いです。硫黄島出身の方は、民宿「硫黄島」に行ったことがある人がかなり多くいます。

私は母が硫黄島出身ですので、別の父の姓になっていますが、
民宿「硫黄島」は、祖父の兄の長男(以下、下田のおじさん)が、下田田牛の地元の人(以下、初代女将さん)と一緒になって始めたので、祖父と同じ姓です。

「下田の民宿「硫黄島」には、去年行ってきたが、何回ぐらい、よく行くのか?」などと、訊かれる度に、
「父母は、何度かいっているけれど、まだ、行ったことがないです。」と答えていました。


下田のおじさんとお会いするのは、10年以上ぶりだと思います。
1994年に小笠原丸で初めて硫黄島に行った時に、ご一緒でしたし、親族が葬集まる葬儀などの時にはお会いしたことがありましたが、しばらく話していませんでした。

硫黄島で生まれて子供時代をすごした母の従兄弟たちの中で、下田のおじさんが一番年上で、当時の島の様子をご存知です。
もっと年長、2学年上だった、二人は当時18歳で軍属で硫黄島に残らされて戦死しています。

「一度も民宿硫黄島に、行かせてもらっていないな。」と思っていたのに
加えて、「下田のおじさんとは、しばらくお会いしていない。
いろいろと話を聞かせてもらいたい。」と、
前から思っていましたが、8月19日(水)に初めて民宿「硫黄島」に泊ってきました。


下田のおじさん、初代女将さん、お元気でした。
泊った晩には、おじさんたちは、下田市街に集まりで行っていてお留守番だった
初代女将さんと、親戚の連中についてのお話をしました。
「全く、数が多くて、覚えるのが「えらい」(「大変だ」の意味)。」と言いながら、古い帳面を出してきて下さって、祖父たちの一族の方々の住んでいる場所、兄弟姉妹の順番、消息などについて、話をさせてもらうことができました。
私も今年の6月の硫黄島便小笠原丸で別の親戚から教えてもらった内容などをメモしてあるノートを持って行っていて、話を照らし合わせたりすることができました。初代女将さんは、非常に数が多い母の従兄弟達の多くの人が、民宿に来ていますので、実際に会ってご存知ですが、私が会ったことがあって顔と名前が一致する人はあまり多くありません。小さい頃に会ったかもしれないですが覚えていない人がほとんどでした。
それでも、「若いのに、よく、そこまで調べてあって、感心だ。」と褒めてくれました。

祖父は男6人女4人の10人兄弟。私の母が男4人女6人の10人兄弟という具合で、姻戚関係まで含めると、膨大な「家系図」になります
それらの情報が「頭の中には、だいたい入っていた」母の長兄、母、祖母と、
続けてなくなったので、近くの親戚からも断片的な情報は教えてもらえますが、まとめて知っている人がいなくなってしまいました。


下田のおじさんとは、着いた直後に、少しだけ話をしていましたが、
泊った次の朝、縁側で漁のしかけを作る作業をしていた下田のおじさんと
いろいろな話をすることができました。

こちらの親戚の近況や、6月の小笠原丸訪問、「島民の集い」や、「硫黄島帰島促進協議会」でお会いしている人たちのことや、
私が名前しか知らない親族の近況や、当時の硫黄島の様子、祖父たちのこと、などについて、教えてもらうことができました。

あらためて、戦前の生活が豊かであったということを、確認できるお話でした。

民宿「硫黄島」は、民宿 兼 漁師の家です。
祖父の弟が硫黄島で漁師でしたが、ずっと、漁師の家で、
今は、下田のおじさんの長男(私の はとこ になります。)が中心で
漁をしています。最近まで、おじさんも船に乗っていたのですが、
ご年配なので、最近では、長男と孫 が 漁に出ているようです。

民宿は、長男のお嫁さん(以下、二代目女将さん)が、中心です。

下田のおじさんと、二代目女将さんは、
今年の3月の、入間基地から自衛隊輸送機での日帰り墓参で、硫黄島を
訪ねたそうです。
(東京都による、この日帰り墓参は年に2回 3月と9月に実施されていて、
9月11日の回が、3年ぶりにうちに案内が回ってきた番で、参加申込済です。)


下田のおじさんは、硫黄島で、
現在、「島民の集い」会長 兼 「硫黄島帰島促進協議会副会長」で、
6月に硫黄島に行った時に祈念館で同じ部屋だった大先輩の方と同じ学年だったそうです。
当時の同級生の方の多くの人が既に故人になってしまったことを嘆いていました。
「9月の「集い」で会ったら、よろしく伝えてくれ。」と頼まれました。

写真は19日に着いて海水浴に行った田牛の海を、翌日の午前の帰る時に撮った写真です。

小笠原とは違いますが、三浦半島や相模湾内の湘南の海水浴場と違って、水がきれいな海でした。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
凄い家系図みたいですね!! (ピカッとサリー)
2009-08-22 00:06:07
こんばんわ
島唐辛子とマイクロトマト見せていただきました。
田牛ってサンドスキーで新聞に出てました。
子供たちが楽しそうに・・・
とても外部の人間が聞いても分からないですがなかなか凄い家系図ですね!!
この頃は途中で切れて探しまわっても分からずあきらめたり、大学生が卒論等でよく聞きに見えますが難しく断念される方が多いんですよ!!
感心の一語です。
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