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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

硫黄島の隆起の速さを示すもの 2008年

2008年09月23日 | 硫黄島・小笠原村
鶉石がある、米軍が上陸した南海岸の写真です。

昨年も、この地点の岩の写真を紹介して、
「以前は、海から先が見えていたのが
全体が見えることからも、島が隆起していることが分かる。」という
内容を紹介いたしました。

同じ位置、同じ潮の干満、同じズーム、角度で撮影しないと
昨年の写真と比べて、
より、隆起したかどうかは、分かりませんでした。

小笠原丸係留場所の正面にあるコンクリート船も
観察しましたが、「明らかに一年で、隆起したと分かるぐらい
上がっている」とは、思いませんでした。

昨年の6月は、
雨の後で、一部、道が横に筋が入ったような陥没があって、
車では通れなくなっていて、車は海岸入り口の上側までで、
歩いて往復をしましたが、今年は、下まで車が通ることができました。

いずれにしましても、
一年で、明らかに違うと、実感できる速度の隆起では
ないにしても、海岸は毎年、隆起で面積を増やしているのは
確かなようです。
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戦前の元山部落のあたり

2008年09月23日 | 硫黄島・小笠原村
南北の道路が空港周回道路にぶつかる手前の地点から
撮影したものです。

空港の手前側は、このように道の両側が森です。

向こう側に移っている建物群より手前側に
滑走路があります。


このあたりが、向かって右側が村役場のあった場所で、
左側の少し後ろぐらいが、学校、さらに戻った地点に
硫黄島神社があります。

この撮影地点から右側に舗装されていない両側が同じような森の
道が、硫黄ヶ丘入り口まで通じています。

最初に硫黄島を訪れた時から、このあたりの
森(主に銀ネムの木です。)の中に分け入っていますが、
建物の跡らしき石などは、木々の中にあります。

この写真を撮影しているあたりから、向こう側が
元山だったことは確かのようです。
太平館だった場所も、この写真の正面の方角です。
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