オ気楽ナ・・・毎日

休日のドライブや旅先で見つけたモノを紹介しています。
主に、山口県内。たいして珍しいものはないかも・・・

凌雲寺跡

2013-09-24 00:57:06 | 山口県の史跡関係

山口市吉敷にある、大内氏遺構『凌雲寺跡』に行ってきました。

山口市内から、美祢市美東町のほうへ向かって国道435号線進み、登坂車線のために道幅が広がるところで、右折。
要所には案内板が出ていますから、それに従って行けば、駐車場までたどり着くことができます。

向こうに見える、木が生えてない丘が、目指す『凌雲寺跡』。
昭和34年に、国の史跡に指定されました。
写真左端に見える、民家の前の小路を歩いていきます。

丘へ登る石段です。
残念ながら、これは、後年造られたもので、当時のものではないようです。

石段を上がると、いくつかの石塔と、案内板。

大内義興のお墓と伝えられている石塔です。
凌雲寺は、この大内義興によって、本人の菩提寺として創建されたものです。

大内義興は、室町時代後期の守護大名、大内氏の第15代当主。
将軍の後見人となって7カ国の守護職を兼ね、大内氏が最も繁栄していた時代の当主でした。

大名として栄華を極めた人物の菩提寺らしく、その敷地は広大なもの。
ですが、大内氏滅亡後に廃寺となります。
廃寺となった時期も理由も、はっきりしていません。
遺構はほとんど破壊され、ごく最近まで水田として利用されており、当時の柱穴や礎石も残っておらず、建物の配置などの特定も難しいのだとか。
わずかに、敷地となった台地の南側に、惣門跡と伝えられる大規模な石垣が残っています。

案内板に従って、惣門跡まで歩いてみます。
この写真に写っている石垣は、たぶん、後年、棚田を作るために農民が積み上げたものでしょうな。

史跡として管理されているせいか、定期的に草刈りをされているのでしょう。
ひろい草原と石垣に、いろいろと想像をかきたてられます。

惣門の石組み跡が見えてきました。
が・・・・その前に。

一つ手前側にあった石組み。
何か違和感を感じませんか?

わかりやすいように、赤い線をひいてみました。
線の上下で、あきらかに石の大きさや積み方が違う、つまり、二重構造になっているんです。
たぶん、ここにも、門のようなものがあったのでしょう。
ここも後年、元の石組の上に小さな石を積み上げて、棚田の為の石垣にしたんじゃないでしょうか。

惣門の遺構として残っているのは、長さ60m、高さ3m、幅2mの石組み。
一つ一つが、数百キロはありそうな巨大な石が使われています。
石が重くて動かせなかったから、解体されることなく、そのままの形で残されてきたのでしょうね。

中央部に切れ込みがあって、ここに門があったのでしょう。
ここの部分は、石組みの断面が見えて、構造がよくわかります。

二層に積まれた巨石の壁の間に、小さな石を詰め込んであります。
こういう、石組みだけで独立して構成した壁というのは日本では珍しく、朝鮮半島の城などで見られる様式らしい。
そもそも、この寺が存在していた場所が、両側を川に挟まれた台地の上で、

周囲はこのような、高さ10mほどの崖になっています。
義興は、寺院としての役割だけでなく、有事の際には城として機能するように設計したのでしょう。

ところが・・・・・。

義興の子、大内義隆の代になって、家臣である陶隆房の謀反により、大内氏は事実上滅亡してしまいます。
謀反の兵に攻め込まれた義隆は、法泉寺に籠りますが、敵を支えきれず、さらに退いて体制を整え直そうと凌雲寺に向かいますが、時の情勢を判断したのか、凌雲寺の僧たちは固く門を閉ざして、義隆主従が入るのを拒否したのです。
つまり、大内氏の財力によって、菩提寺として建てられたにもかかわらず、肝心な時に裏切ったわけですね。

義隆はその後、長門市にある大寧寺まで逃げ、その地で自害することになります。

戦火に巻き込まれたわけでもないのに、この大規模な寺が廃寺になったのは、後にこの地の支配者となった者(おそらく毛利氏)に、そういうところを嫌われたからではないでしょうか?
寺に関しての記録が、何も残っていないのも、そのへんに理由がありそうです。

わずかに残った石垣のみで、発掘調査をしても詳しい事がわからない、往時の姿は謎のままの、「幻の寺」。
崩れた石組みが、歴史のもの悲しさを漂わせます。

 

・・・・と思っていたら、調べると、この凌雲寺の建物が、移築されて残っていました。
しかも、国宝に指定されてる。

広島市東区牛田新町にある、『不動院金堂』がそれ。
戦国時代、毛利氏に仕えた僧、安国寺恵瓊が、凌雲寺の仏殿をこの地に移築したとのこと。
現存する中世禅宗様の金堂としては、日本最大の建物であるらしい。

さすがに、そこまで行ったことがないので、写真がなくて、スミマセン。
検索して貰ったら、壮大な建物であることがわかると思います。
当時は、こんな豪華な建造物が並んでいたんでしょうなぁ。


で、今の凌雲寺跡にあるのは・・・・

この、粗末なお堂だけでございました。(*_*)