オ気楽ナ・・・毎日

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淡海和尚の石畳道

2013-10-14 23:31:10 | 山口県の史跡関係

前回の記事で書いた『淡海和尚』ですが、別に「遺徳之碑」というのが建てられています。

下差川の交差点から国道2号線まで北上し、国道を越えてさらに100mほど、道の右手にあるのがこの碑。
半分、雑草に埋もれてしまってるな・・・・。
せっかくの碑なんだから、もうちょっと草取りしようよ・・・。

ツタが絡まっていて文字が読みにくいのですが、碑の文字は、安倍総理のお父様である、安倍晋太郎元外相が書かれたらしいですよ。
下の方に、和尚の功績などを記しているのであろうプレートもあるのですが、草に阻まれて近づけず、読めません。

ただ、『淡海和尚』という人。
道の改修をしたり、用水路を造ったりと、村民のために数々の土木工事をしているのです。
その痕跡の一つが、ここから1kmほど先の道脇に残っています。

この石畳の道、『クズシ坂』といい、淡海和尚が整備したものだそうです。

横にあった標柱を見ると、道路下にも、ゆかりの石橋があるみたい。

たしかに下に降りる道がありました。

むぅ・・・これのことか?

石の柱を3~4本、小川に架けただけのシンプルなもの。
苔むして、いい味は出てるが・・・。

小川の下流側にも道は続いてましたが、その先までは行きませんでした。

さて、この道はただの田舎道ではなく、江戸時代に山陽道の脇街道として使われた、『中往還』という道でした。
高森から小郡までの山中を抜ける街道で、城下の萩まで行くには、こちらが近道だったらしい。
このまま坂を登っていき、『御上使峠』を越えて、この前『早乙女塚』を見た、樋余地の集落に出るルートだったそうな。

-----≪10/16 追記・訂正≫-----

この石畳坂のことを、当初『クズシ坂』と書いたのですが、再度現地で探索した結果、別の場所で『クズシ坂』と思われる石畳道を発見いたしました。
「淡海和尚による石畳道」=「クズシ坂」と誤認していたためですが、文献を調べると、淡海和尚による石畳道は『クズシ坂』以外にも数か所残っていたのです。
よって、ここで紹介した石畳坂は、奥長野から明神の集落へ至る道のものであると、訂正させていただきます。

また、『中往還』に関してですが、『クズシ坂』から『御上使峠』を通る道の他に、「明神から梅の木を経て樋余地へ至る」と書かれている文献があります。
その場合、ここで紹介した道が『中往還』になるでしょう。
『クズシ坂』がある道のほうが、『中往還』である可能性が高いですが、昔の街道は、時代によってルートが違っていたりする場合もあります。
ここの道が『中往還』であることが否定できないので、本文そのものは訂正せず、追記の形をとらせていただきました。
あと、タイトルの部分からは『クズシ坂』の表示を消させていただきます。

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石畳のところまで戻って、坂を登ってみましょう。

坂の上のほうは、石畳はなし。

50mほどで、スタート地点の車道が遠回りして上がってきたところに、ぶつかります。
この車道、国道376号線の旧道でして、『御上使峠』を通る道。
峠への方向とは違う気もしますが、坂は道を横切って先に続いていますので、そのまま進んでみましょう。

なんか標柱も立っています。
『右 川越近道』
『左 仝 木道』
『仝』という漢字は、『同』という漢字の別文字らしいが・・・意味がよくわからんなぁ。

とにかく坂をのぼっていくが、方向は、行きたいほうとは逆の、現国道のほう。

林の中に入りますが、この先、未舗装の林道にぶつかります。
『御上使峠』の方向に曲がってみましたが、しばらくして行き止まり。
逆方向にこれ以上のぼっても、明らかに行き先が違うので、あきらめて下りてきました。

と、なると、『中往還』って、さっきの石畳坂から先、どういうルートだったんだろ?

旧国道を、峠のほう向かって少し進んだところ。
大きな岩がある先が

ずっと前、ブログで紹介しましたが、国土地理院の地形図で滝マークがついていた場所です。

方向から考えると、『中往還』は坂の上で折り返して、この旧国道沿いと進むと見るのが、理にかなっているのかなぁ。
ただし、この滝(?)部分を横断していたとは考えにくい。

うーん・・・・。
いろいろ謎が残ってしまったな。

 

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『左 仝 木道』の部分 (kaクン)
2020-01-25 05:44:20
『左 仝 木道』は、
『左 仝 本道』だと思います。
2013、10,14の文

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