洋画の好みがとってもよく似てるともだち mさんと
「インビクタス 負けざる者たち」を観てきた。
(「Invictus」2009年アメリカ)
イーストウッド監督はさすがだ~。
映画のすべてを極めた映画人だね。
前作の「グラン・トリノ」もよかったけれど、
この「インビクタス」の臨場感たるや、物凄い。
映画館にいながらにして、ラグビーの試合まで鑑賞してきた気分。
いろんな意味で、たいへん気持ちよくエンドロールを迎えられる映画だ。
ラグビーチームの真摯な主将を演じるのはマット・デイモン。
そして、モーガン・フリーマン演じるマンデラ氏。
ふたりの人間のこころの通い合いがとても美しい。
そして、ひとりのひととしてのマンデラ氏の
慈愛の精神がよく描きだされている。
そういえばテレビのインタビューでモーガン・フリーマンが、
こんな素晴らしいストーリーは一番素晴らしい監督に
撮ってもらいたいから、イーストウッドに持ち込んだんだ、
と話していたなあ。
世界を動かした、まるで映画のような実話。
詳細は、まだ公開中だから書かないけれど!
モーガン・フリーマンの、この映画への入れ込みようは
マンデラ役のあの英語の訛り具合からもよくわかる。
まさにマンデラ氏そのものに見えてきたよ。
以前からマンデラ氏本人が、自分を演じてほしい俳優に
モーガン・フリーマンの名を挙げていたという逸話にも大きくうなずける。
フリーマン扮するマンデラ氏の発するコトバは
ひとつひとつが燻し銀さながらの重厚感を持ち、
こころに響く幾つものたいせつなメッセージを
伝えてくれている。。。
「I'm the captain of my soul.」
このコトバ、しっかりと受け止めて胸に刻んでおこう。
「マルタのやさしい刺繍」2006年 スイス映画
以前ともだちと川越スカラ座でも観ていたのだけれど、
また観たくなってDVDを借りてきた。
スイスの保守的な美しい田舎町。
伴侶を亡くしたひとりのおばあさんの人生の再出発の物語。
身近な友の温かな友情、眠っていた情熱、五十年の前の夢。。。
少しづつ、冷え切った体の温度が上がるみたいに
柔軟に解きほぐされてゆくこころ。
閉鎖的な人々の反対勢力に負けることなく
信念を貫く強さまで彼女の中に生まれてくる。
そして周りの人々も徐々にその柔らかい温風の渦に巻きこまれてゆく。
困難なことに思えても、あきらめないこころがたいせつなんだよね。
はじめの一歩はとっても勇気がいる。
だけれども、二歩目は案外簡単なもの。
三歩目には伴に歩いてくれるひとが
側にいてくれることもある。
何か新しいことを始めたいひとには必見の映画だ。
「夢に年齢は関係ない!」ご高齢のおばあさんに
きっぱり言われちゃうと、ぐうの音も出ないよ。
自分に言い訳ばかりするのはもう止めにしよう
誰かが喝を入れてくれるのを待ってないで、
自分で喝を入れなきゃね。
たいてい長くて、いつも同じような話が多く
生徒の右耳から左耳に通りぬけてゆくものと相場が決まっている。
だけれども、ひとつだけ、いまだに時々思い出す、
高校時代の「校長先生の話」がある。
それを想い出すのは、決まってスーパーのレジに並んでいるとき。。。
レジに並んでいて、隣のレジが早そうだと思って移ると
決まって元のレジの方が進みが早くて、
しまった!と悔しい思いをする。
かといって、そのままそこに留まってみれば
隣のレジの方がやっぱり早かったりもする。。。
と、スーパーのレジに置き換えて、人生を語ってくれた。
ここと決めたら、あっちへこっちへとフラフラせず、
ひとを羨まず、自分の信じた道をしっかり歩けばいい。
というようなことを話してくださった。
そんな庶民的な話に例えて、人間味のある話をしてくれた校長先生は
ほかにはいなかったなあ。
その校長先生は、まだわたしが在校中に急病で亡くなられた。
そのことで、より一層そのエピソードが
わたしの中に印象づけられたのかもしれない。
スーパーのレジの列で、何十年も後に
こうして校長先生の話を想い出しているひとりの元生徒がいようとは、
きっと天国の校長先生も夢にも思わないことでしょう。
コトバってすごい力だ。
ひとたびちゃんと届けば、そのひとのこころに
永住することだってできる。
そのぶん、気をつけることも必要ってことね。
「Jellyfish」2007年 イスラエル映画
2007年カンヌ国際映画祭の新人監督賞受賞作品。
誰もが完璧な人生を送っているわけじゃない。
おとなはみんな、こころのどこかが乾いている。。。
ひたひたと、どこかから潤いを与えてくれるような映画だ。
でも、こういう映画は、すきと思うかキライと思うかどっちかだろうな。
エネルギッシュなパワーに満ち溢れているときには、
もてあましてしまうだろう。
こころにうるおいが必要だと感じたときに、
静かな部屋で、ひとりきりで、できれば深夜に観るのが望ましい。
忘れていた自分の中に眠る「こども」と向き合える。
自分のなかの「こども」を、心理学の専門用語では
「インナーチャイルド」というらしいが、
時には、そのインナーチャイルドをちゃんと認識して
抱きしめてあげることがたいせつだとものの本で読んだことがある。
たまには立ち止まって、ガンバッテル自分を褒めることも必要だよね。
自分を知ることは、次の自分へのステップになることもあるものね。
この映画がただのフシギムービーで終わらないのは、
幻想的で、非現実的なストーリーのようでありながら、
イスラエルの複雑な現実をしっかりと織り込んであるから。
静かに静かにストーリーがすすむうちに
いつの間にかこころがひたひたに潤って、
ラストにかわいい歌声の「ラ・ヴィ・アン・ローズ」が流れる頃には
知らぬ間に温かい涙がこぼれてる。
こころを静かにしたいひと、
自分を見つめ直したい気分のひとにはおすすめ処方の映画
再び、奥野ビルへ。
スダ美容室という昔の看板の残る306号室。。。
この部屋に入るのは初めて。
素敵な女性の写真家の方が個展をしていらして、
観せていただく。
そのままの空間が残っていて驚いた。
昭和六十年代に美容院を閉めた後、2008年まで、
百歳になる最後の住人である女性が暮らしていたという。
その空間をそのままのかたちで
維持してゆこうというプロジェクトの一環の個展なのだそうだ。
メンバーの方々が、ありのままの部屋をいかして
展覧会を企画されているとのこと。
ぱらぱらとペンキのはげ落ちる壁。
電灯からぶら下がるむき出しのスイッチ。
その空間をたいせつに思う気持ちで繋がるって
とても素敵なことだなあ。
すばらしいプロジェクト、尊敬いたします。。。
またこの場所にすうっと入って、
目には見えない、ここに留まる時間の層に
巻かれてみたくなりそうだ。
いいことがある。
かわいいもの、みっけ。
知らないひとのお宅だけれど、つい立ち止まってしまった。
ここに暮らす方のお人柄がわかるよう。
このポストに手紙を届ける郵便やさんも
朝の早い新聞屋さんも
このスマイルにはきっといつも癒されていることだろうなあ。
70年代に少女時代を過ごしたわたしたちの世代には
パンダのイラストでお馴染みの内藤ルネ。(1932~2007)
今回初めて展覧会を観に行ってきた。
中原淳一に才能を見いだされ、
1954年創刊の「ジュニアそれいゆ」で
活躍した可愛い少女画を描くアーティスト。
わたしたちの母親の娘時代からのひとだったのねえ。
パンダとかわいい少女画しか知らなかったのだけれど、
手芸雑誌やインテリア雑誌でも活躍してらしたのね。
かわいい色使い、かわいい図案、
直筆の字や文章からも、とても可愛くてすてきな人柄が伝わってくる。
半分くらい観たところで、展示の雑誌の記事を読んでいて
「えっ?!」
「ええっ~???」と声をあげそうに。
だって。。。!
わたし、ず~~っと内藤ルネって女性だと思ってたんだもん。
男性だったとは、こころから驚いた!
一緒にいたkさんに、そっとそのことを告げると、
kさんはわたしが知らなかったことにまたまたびっくり!
女性よりも、完璧に女性的だよ。。。
本当にこころは女性だったんだなあ。
途中まで作品には男性を想わせるところは微塵もなかったもの。
ひととして、性別なんてどっちだろうと関係ないってことの証明ね。
展覧会の後半にきて、同性愛者向けの雑誌「薔薇族」に
描いていたイラストも展示してあって、やっと納得。
戦前のひとだから、生きにくい時代だったことだろう。。。
こういう、夢の世界で存分に女性らしさを表現できたことは
まさに天職って感じだっただろうなあ。
ロマンティックの真髄、内藤ルネ。
展覧会はあと少し!8日まで大丸ミュージアム・東京にて
あの古いオルゴールみたいな音楽のせいかな。
大きな馬の背にひとりぼっちで乗るこころもとなさが
記憶に焼き付いているからかな。
昔は華やいでいたデパートの屋上遊園地が
姿を消してしまったのは、いつの頃からだろう。
6~7年前だったかな、子どもたちが小さい頃、
池袋西武に行ったついでに、
「そうだ、屋上で遊ぼう!」と上がってみたら・・・
なんと、ほんの数日前に閉園。
遊具には幌がかかってロープが張られていた。
信じられない思いで、愕然としてうろうろしていると、
ちょうど、遊園地の係のオジサンが歩いていらして、
暫し立ち話。。。
こころなしか、オジサンもさみしそうだったなあ。
わたしのすきだったここのメリーゴーランド。
ちょっと小振りなお馬さん。
レトロな色の褪め具合がなんともよかったのに。
木馬のゆく末が心配になって、
思わず、「一頭だけ譲ってもらうことなんてできませんよね??」
とオジサンに聞いちゃったよ。
オジサンは笑って、まとめて買い取ってくれるところを
探しているんだとおっしゃっていた。
夢の回転木馬。
一頭譲ってもらえたら、うちの店の前に置いて
誰でも乗せてあげたかったんだけどな。(時計屋に関係ないけれど!)
デパートの屋上は、いつでも夢がいっぱいの
うきうきする場所であってほしかったな。
シートとロープの巻かれた木馬達の姿はあまりにも哀しかったよ。
その後、どこへ旅に出たのだろう。
今もどこか別の場所で、元気に回っていますように!
1918年 KENKYUSHA発行の和英辞典。
父のものだけれど、年代からいって祖父のものかも。
祖父はロシア語が堪能だったため、
満州鉄道で技師兼通訳の仕事をしていたそうだが、
父がまだ1歳の頃に、満州のハルピンで病死してしまった。
それ故、あの恐ろしい騒乱の時代の始まる前に、
祖母と赤ん坊だった父は日本に帰国している。
これは唯一わたしの手元にある祖父の形見ということかな。
それとも、苦学生だった若き父が古本屋で買ったものってこともあるか。
いづれにしても、そんな古い本がなぜうちにあるのかというと。。。、
家族での数々の引越しのたびに、処分されてしまいそうなものは
わたしがこっそり拾い上げて、しっかり確保してきたから!
新しモノ好きな父は物をぽんぽん捨ててしまうタイプ。
後ろを振り返ることはなく、今不要ならゴミにしてしまうひと。
新しい家に移る引越しも、生活一新の趣味のようなものだったのだろう。
それに引きかえ、わたしは子どもの頃から
趣のある古いものがすきだったってことか。
家族のみんなが、とっくに捨てたと思っている物が
ここにはたくさんあるのだよ。
幸いうちの子どもたちも、ハリーポッターに出てくる本みたいだと
この古い本を結構気に入っている。
しばらくは、これからもこうしてここに鎮座することだろう。
ぼろぼろで、しかも漢字も旧字体で、実用には向かないけれど、
その堂々たる存在感になぜかとても惹かれてしまうのだなあ。
ちゃんと春が始まっている。
近くの大きい公園に久しぶりに次男、末っ娘と三人でさんぽに。
長男も以前はよく一緒にここで一日中遊んだものだが、
一応誘ってみるも、「いってらっしゃ~い」
テレビの部屋をひとりで占領できるから「ラッキー!」ってところね。
「さあ!春をみっけといで!」とふたりに探させるものは。。。
春の始まりを告げる小さなコバルトブルーの花。
あったあった。まだ落ち葉だらけの原っぱに、ちょこんと顔をだしていた。
この「オオイヌノフグリ」が咲き始めるのは、
まだ寒くても春のしたくがすすんでいるというしるし。
誰もが目にしたことのある可愛いこのお花。
こんな可憐な花につけられているこの学術名…。
以前、ヘンな名前が気になって由来を調べてみてビックラ。
え~!なんで~!?とガクゼン。
名付けられた当時、植物学もやはり男性社会だったということだろうか。
知らなくていいこともあるものなのだな~
可哀想だから「青い小さいお花」とだけ呼んでおこう。
この花の寿命はたったの一日だという。
儚くて、可愛らしい空色の小花。
踏んづけちゃわないように気をつけて歩こうね