学生の頃に読んだハズの 鴎外の「青年」を読みかえす。
本を読んでいると、時に
コトバが新鮮な水のように自然にからだに沁み込んで来ることがある。
それも、その時々の自分のこころ模様次第だけれど。
主人公 純一が
日記に書きしるすくだりを読んでいて
ああ
ホントにそうだよなあ・・・
と、からだの内に響いてくる。
「いったい日本人は生きるということを知っているだろうか。
小学校の門をくぐってからというものは、
一しょう懸命にこの学校時代をかけぬけようとする。
学校というものを離れて職業にありつくと、
その職業をなしとげてしまおうとする。
そのさきには生活があると思うのである。
そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃した一線である。
この線の上に生活がなくては、
生活はどこにもないのである。」
青年・純一、
「そこでおれはなにをしている。」
と自問がつづく。
青年・純一の問いかけは
「現在」に生きるすべてのニンゲンへの問いかけだ。
「今日」は将来のためのリハーサルじゃない。
自分に喝! です。