イタリアを旅した時のこと。
ローマをぶらぶら散策していて、
SANTAMARIA IMMACOLATA CONCEZIONE
(サンタマリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ)
という小さな教会に入った。
別名、骸骨寺。
その名の通り、教会の内部は人骨だらけ。
骸骨を安置してあるのではなく、
人骨を素材としてパーツに分け、芸術的に室内装飾してあるのだ。
壁や天井の模様も、吊り下がるシャンデリアも全て徹底的に人骨のみ!
部屋のあちこちに、十字架を抱いて立つミイラもいる。
カプチン派という宗派の修道僧たちが
みな望んで装飾の一部となったのだそうだ。
もう、ただただびっくり。あっぱれ。
怖いとか、気味悪いとか、そんな気持ちはまるで感じず、
むしろ、その潔さが美しかった。
教会の入り口にはこんな言葉が。
「昔は私たちもあなたたちのようであり、
いずれはあなたたちも私たちのようになる」
ひとはひとである限りいつかは肉体と別れる日がくる。
カラダは、一時の器なんだと改めて気付かされた。
この教会を後にした時、
「生きてるうちが花だなあ」と呟いた。
おいしいもんも「生きてるうち」しか食べられない。。。
その旅の残りは、美味しいパスタやジェラートを
「生きてるうち、生きてるうち」を合言葉に
こころゆくまでお腹いっぱい食べた
(結局、食欲~!?)
受け取り方はさまざまだろうけれど
この場所は、何かを伝えてくれる。
ローマを訪れる機会があったらぜひどうぞ。
ローマをぶらぶら散策していて、
SANTAMARIA IMMACOLATA CONCEZIONE
(サンタマリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ)
という小さな教会に入った。
別名、骸骨寺。
その名の通り、教会の内部は人骨だらけ。
骸骨を安置してあるのではなく、
人骨を素材としてパーツに分け、芸術的に室内装飾してあるのだ。
壁や天井の模様も、吊り下がるシャンデリアも全て徹底的に人骨のみ!
部屋のあちこちに、十字架を抱いて立つミイラもいる。
カプチン派という宗派の修道僧たちが
みな望んで装飾の一部となったのだそうだ。
もう、ただただびっくり。あっぱれ。
怖いとか、気味悪いとか、そんな気持ちはまるで感じず、
むしろ、その潔さが美しかった。
教会の入り口にはこんな言葉が。
「昔は私たちもあなたたちのようであり、
いずれはあなたたちも私たちのようになる」
ひとはひとである限りいつかは肉体と別れる日がくる。
カラダは、一時の器なんだと改めて気付かされた。
この教会を後にした時、
「生きてるうちが花だなあ」と呟いた。
おいしいもんも「生きてるうち」しか食べられない。。。
その旅の残りは、美味しいパスタやジェラートを
「生きてるうち、生きてるうち」を合言葉に
こころゆくまでお腹いっぱい食べた
(結局、食欲~!?)
受け取り方はさまざまだろうけれど
この場所は、何かを伝えてくれる。
ローマを訪れる機会があったらぜひどうぞ。