自分が小学校に入学したとき、
登校班の班長さんだった六年のおにいさんが
わたしに「たいようちゃん」というあだ名を付けて
妹みたいに面倒をみてくれた。
いつも前髪をきゅっとちょんまげにして、
広いおでこをピカッと出していたせいだったのだけれど、
わたしはその一年間、毎朝「たいようちゃん」と呼んでもらったおかげで、
なんだか自分があったかい太陽になったみたいな気持ちになって、
すこしだけ引っ込み思案がなおったような気がするんだなあ。
もしもあのとき、班長さんに
いやなあだ名を付けられていたりしたらどうだろう???
きっとわたしこんなふうに懐かしく思い出したりもしないだろうし、
太陽のモチーフをトレードマークみたいに
すきになったりしていないかもしれない。
(写真の太陽は、ローマで一目ぼれした小さな真鍮製の壁掛け)
ちょっとの期間の縁でも、ひととひとの繋がりはふしぎなものだね。
そして、コトバは生き物なんだってこころから思うのだ。
あのおにいさん、全然顔は思い出せないのだけれど、
あのひとこそ、太陽みたいな笑顔だったことだけは覚えているよ。
この前、ともだちのメールの「己のコトバ、ひとにこそ生きる」って
名言に感動したのだけれど、まさにそうね。
あのおにいさんはきっと覚えていないでしょう。
なのに、「たいようちゃん」はわたしの中でず~っと輝いているよ。
ありがと。班長のおにいちゃん!!
(今頃は、笑顔の似合うなにわのおっちゃんね!)