黄昏叔父さんの独り言

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四国八十八箇所霊場・第八十一番札所『白峯寺』

2020年01月21日 16時18分45秒 | 四国88箇所霊場

        

 

 『白峯寺』(しらみねじ)は、香川県坂出市の五色台の白峰中腹の標高280m付近にある真言宗御派の寺院で四国八十八箇所霊場の第八十一番札所で本尊は千手観音。

 

 すべての千支の守り本尊が各お堂に祀られており、四国で唯一の御陵である白峯陵が隣接し、古来より本尊千手観世音菩薩は身代わり観音として、鎮守白峯大権現(日本八天狗の一狗)は開運招福、商売繁盛、勝負事の神様として、崇徳天皇は悪縁切り、芸術、学業の神様として信仰されて居る。

 

 寺伝に寄れば、空海(弘法大師)が弘仁6年(815年)に此の地に訪れ、白峰山頂(標高337m)に如意宝珠を埋めて、仏に供える水を汲む井戸を掘り、衆生救済の請願をした。また、円珍(智証大師)が定観2年(860年)に山頂に輝く瑞光を見て登頂、其の時、地主神である白髪の老翁よりご神託を受け、瀬戸内海に現れた光明に輝き、芳香薫ずる可思議な光を放つ霊木で千手観世音菩薩を刻み、当寺本尊として安置し、仏堂を創建したと伝えられて居る。

 

 後に、長寛2年(1164年)崇徳上皇が讃岐流刑地で没し、遺詔に寄り当寺上の稚児獄上で荼毘に付され陵墓が作られた。其の3年後には西行法師が詣で慰霊の為に法楽を行なった。其の後、建久元年(1190年)後鳥羽上皇に寄り、慰霊の為、陵墓近くに、崩御までの6年間を過した鼓岡の御所である木の丸御殿を移築し法華堂が建てられ、更に応永22年(1415年)に後小松天皇は上皇の成仏を願い自筆の「頓證寺」と書かれた勅額を奉納し頓証寺殿となった。そして延宝8年(1680年)には高松藩主に寄り頓証寺伝と勅額門が再建された。

  

  

          



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