シュツットガルトの Dr. マンフレート・コルンさんからの7月17日のメールの末尾には次のように書かれていました。
「シュツットガルトから4枚の写真も合わせてお送りします。こちらの墓地で撮影したもので、名前を見れば、すぐに何者かお分かりになるでしょう。Ervin Baelz は近隣の出身で妻とともにここに葬られています。」
いただいた4枚の写真には類似のものもあるので、2枚を掲載します。
知識の中の存在だったエルヴィン・ベルツがコルンさんによって突如、確かに実在した人物になりました。
お墓には「はな」の旧姓が「荒井」だったと記されている。花子夫人は夫の死後、日本に帰国。1930年に実家の菩提寺である豊川市の曹洞宗「西明寺」に供養塔を建立。西明寺にはエルヴィンと花子のベルツ夫妻のお墓もあるとのこと。シュツットガルトのお墓に供えられた卒塔婆に「西明寺」の名があるのはこの縁によるものでしょう。二人の名前の下には『ベルツの日記』を編纂した長男「トク」の名も見える。並んでいrるお墓もベルツ家のもの。
なお、Ervin von Baelz はシュツットガルトの北約20キロのビーティヒハイム・ビッシンゲンに生まれ、シュツットガルトのギムナジウムで学んだ。
(M.S)
「シュツットガルトから4枚の写真も合わせてお送りします。こちらの墓地で撮影したもので、名前を見れば、すぐに何者かお分かりになるでしょう。Ervin Baelz は近隣の出身で妻とともにここに葬られています。」
いただいた4枚の写真には類似のものもあるので、2枚を掲載します。
知識の中の存在だったエルヴィン・ベルツがコルンさんによって突如、確かに実在した人物になりました。
お墓には「はな」の旧姓が「荒井」だったと記されている。花子夫人は夫の死後、日本に帰国。1930年に実家の菩提寺である豊川市の曹洞宗「西明寺」に供養塔を建立。西明寺にはエルヴィンと花子のベルツ夫妻のお墓もあるとのこと。シュツットガルトのお墓に供えられた卒塔婆に「西明寺」の名があるのはこの縁によるものでしょう。二人の名前の下には『ベルツの日記』を編纂した長男「トク」の名も見える。並んでいrるお墓もベルツ家のもの。
なお、Ervin von Baelz はシュツットガルトの北約20キロのビーティヒハイム・ビッシンゲンに生まれ、シュツットガルトのギムナジウムで学んだ。
(M.S)
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