ハイデルベルクに住む熊本の友人の一人に写真家のマンフレート・リトゥケ氏がいます。
熊本市は1992年、30年来の願いがかなってハイデルベルク市と「友好都市の盟約」を結びました。また、この年、発足当時から姉妹都市実現に尽力してきた熊本日独協会は創立30周年を祝いました。
その記念誌『熊本日独協会’62~’93』の表紙にはManfred Liedtke氏提供の写真が使われています。
リトゥケ氏の熊本との最初の関りは1984年夏。
その3年前、星子敏雄熊本市長はツンデル市長の招きでハイデルベルク市を訪問、交流促進を協議されました。ハイデルベルク大学産婦人科にて手術やアフリカなどでのフィールドワークの記録も担当する映像技師は初めての日本旅行で、かねて耳にした「Kumamoto」を目的地に加えました。
そして、カンカン照りの午後、ホテルに荷物を置くとカメラを首に熊本市役所に直行したのです。当時、4期目にあった星子敏雄熊本市長は満州国の高官を務め、シベリア抑留も経験し、謹厳で知られた方でした。そこへ、突然とも言える〝ハイデルベルク〟からの表敬訪問。それでも、80に近い市長はスーツ姿で背筋をピンと伸ばし、Tシャツ姿の若者を応接室に迎え入れ歓談されました。
以来、リトゥケ氏は度々、熊本を訪問。熊本日独協会の会員の中には親しみを込めて「マンちゃん」と呼ぶ人もいます。熊本市、ハイデルベルク市で開催される友好都市週間などでは双方の市の紹介にマンフレート・リトゥケ / Manfred Liedtke 氏が撮影した写真やビデオが用いられてきました。
このブログでは、10月19日の「Apfelkuchen (アップルケーキ)のレシピに寄せて」でリンゴを話題にし、「アップヘルクーヘンを作る際、ドイツは日本に比べ酸味のあるリンゴが多いので、日本のリンゴは紅玉がベスト・・」というChiekoさんのアドバイスも紹介しました。
そこで、日本のリンゴとどう違うのか、見た目の上だけでも比べたくてマンちゃんに相談。保存している画像にはないので、新たに撮影するとの返事。
届いたのはリンゴだけでなく、ハイデルベルクを代表する景観や普段なじみのない郊外の自然を鮮明に捉えた画像でした。
マンフレート・リトゥケ氏の秋の情感漂う作品を縮小するのは惜しいので、原寸のまま数回に分けてアップいたします。
熊本市は1992年、30年来の願いがかなってハイデルベルク市と「友好都市の盟約」を結びました。また、この年、発足当時から姉妹都市実現に尽力してきた熊本日独協会は創立30周年を祝いました。
その記念誌『熊本日独協会’62~’93』の表紙にはManfred Liedtke氏提供の写真が使われています。
リトゥケ氏の熊本との最初の関りは1984年夏。
その3年前、星子敏雄熊本市長はツンデル市長の招きでハイデルベルク市を訪問、交流促進を協議されました。ハイデルベルク大学産婦人科にて手術やアフリカなどでのフィールドワークの記録も担当する映像技師は初めての日本旅行で、かねて耳にした「Kumamoto」を目的地に加えました。
そして、カンカン照りの午後、ホテルに荷物を置くとカメラを首に熊本市役所に直行したのです。当時、4期目にあった星子敏雄熊本市長は満州国の高官を務め、シベリア抑留も経験し、謹厳で知られた方でした。そこへ、突然とも言える〝ハイデルベルク〟からの表敬訪問。それでも、80に近い市長はスーツ姿で背筋をピンと伸ばし、Tシャツ姿の若者を応接室に迎え入れ歓談されました。
以来、リトゥケ氏は度々、熊本を訪問。熊本日独協会の会員の中には親しみを込めて「マンちゃん」と呼ぶ人もいます。熊本市、ハイデルベルク市で開催される友好都市週間などでは双方の市の紹介にマンフレート・リトゥケ / Manfred Liedtke 氏が撮影した写真やビデオが用いられてきました。
このブログでは、10月19日の「Apfelkuchen (アップルケーキ)のレシピに寄せて」でリンゴを話題にし、「アップヘルクーヘンを作る際、ドイツは日本に比べ酸味のあるリンゴが多いので、日本のリンゴは紅玉がベスト・・」というChiekoさんのアドバイスも紹介しました。
そこで、日本のリンゴとどう違うのか、見た目の上だけでも比べたくてマンちゃんに相談。保存している画像にはないので、新たに撮影するとの返事。
届いたのはリンゴだけでなく、ハイデルベルクを代表する景観や普段なじみのない郊外の自然を鮮明に捉えた画像でした。
マンフレート・リトゥケ氏の秋の情感漂う作品を縮小するのは惜しいので、原寸のまま数回に分けてアップいたします。
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