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負の遺産

2006-12-31 16:29:15 | Weblog
ネバーエンディングストーリー。






日本目指したナチ潜水艦から水銀漏れ ノルウェー沖(抜粋)
2006年12月29日(金)

第二次大戦末期に日本に向かう途中

連合軍によって「ノルウェー沖で撃沈」された

「ナチス・ドイツの潜水艦の残骸」から

「多量の水銀が漏れ」出していることが分かり

ノルウェー政府がこのほど汚染対策に乗り出した。


<独公共放送ドイチェ・ウェレ>

 ○この潜水艦は「U-864」
 ○73人が乗っていた
 

同艦は「敗戦濃厚の同盟国・日本を支援」するため

「ジェットエンジン部品やミサイル誘導システム」とともに

「武器製造に使う水銀65トン」を搭載して

独北部キールを出港。

ノルウェー西部ベルゲンを経由して

日本に向かう途中だった。


しかし、英国海軍が

「作戦の暗号解読」に成功

1945年2月に

「魚雷で潜水艦を撃沈」した。

残骸は現在

「深さ約150メートルの海底」に横たわるが

「多量の水銀が漏れている」ことが確認され

「周囲1キロが禁漁海域」となっている。







戦争が終わっても

「置き土産」が

残ってる。








ベトナム戦争における枯葉剤(ウィキペディアより抜粋)

ベトナム戦争中に

「米軍によって撒かれた枯葉剤」は

軍の委託により

ダイヤモンドシャムロック、ダウ、ハーキュリーズ、モンサント社などにより製造され

オレンジ剤、ホワイト剤、ブルー剤の三種類があった。

その内の6割が2,4-Dと2,4,5-Tを混合したオレンジ剤と呼ばれるものであり

「不純物として催奇性があるとされるダイオキシン類等」

を含んでいた。

ベトナム戦争で行われた

「枯葉作戦」は

名目上は

「マラリアを媒介する蚊や蛭を退治」するためとされたが

実際は

「ベトコンがジャングルに隠れられないようにするため」

であったと言われている。

なお

アメリカ政府は

「枯葉剤と奇形児出生の因果関係は認めておらず」

「戦後補償も行っていない」。







本来であれば「フツーの生活」を送っていたに違いない二人も。






ドクさん結婚「新しい生活が始まる」(抜粋)
12/17(よみうりテレビ)

「ベトちゃんドクちゃん」の愛称で親しまれたグエン・ドクさん(25)が16日、1つ年下の女性と結婚した。

ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤が原因とみられる結合双生児

「ベトちゃんドクちゃん」

の弟、グエン・ドクさんが16日

ベトナム・ホーチミン市内で結婚式を挙げた。

相手は、2年前にボランティア活動で知り合ったティエンさん(24)。

結婚式はベトナムの伝統的な方法で行われ

指輪の交換では、新婦が涙ぐむシーンもあった。

ドクさんは

「今日から自分の新しい生活が始まります。家族ができることで、乗り越える新しい問題も増えますね」

「(Q 子供は欲しいですか?)それはもちろんです」と話した。

ドクさんは

「兄のベトさんと下半身がくっついた状態」

で生まれた。

その後

ベトさんが重い脳炎にかかったため

日本で度々、治療を受け

「7歳の時に分離手術」

を受けた。

ベトさんは

「今でも脳に障害があり、寝たきりの生活」

を送っている。






結婚したことが

「ニュース」

になってしまう。

芸能人じゃないのに。



ドクさんは「幸せ」だけど

「もう一人の人生を背負ってる」かのようだ。

彼には「全く罪がないのに」。



「地雷」も同じ。






地雷(ウィキペディアより抜粋)
古典的かつ伝統的な物では

「一定の重量が信管にかかることによって作動し、爆発することで通過した人や物を殺傷・破壊する」

ことを目的としている。

対人地雷には

 ○圧力式のほか
 ○ワイヤでピンが抜かれることで爆発するもの(引張式)
 ○遠隔操作で起爆させるもの
 ○赤外線センサー等を使用するもの

がある。

設置方法はさまざま。




対人地雷全面禁止条約(同、抜粋)
このような地雷に対し、人道的な見地から

「対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約」(対人地雷全面禁止条約、オタワ条約などともいう)

が作られ、1999年3月1日に発効した。





んだけど、








地雷除去(同、抜粋)
戦乱のあった地域では、対人地雷が残存し、戦争終結後も一般市民への事故(傷害事故だけではなく死亡事故も多い)が後をたたない。






「タイ・カンボジア・アフガニスタン」とか

まだまだ「地雷が残ってる」。

「地雷」の中でも多くの「対人地雷」の目的は






対人地雷(同、抜粋)
安価で数多く使われる小型のものは

「敵兵を殺すことではなく」

敵兵に重傷を負わせることにより

「戦闘不能にすること」

を目的としている。

敵兵を1人戦死させれば

それは「敵の兵力を1減らす」ことになる。

しかし

「敵兵1名に重傷を負わせれば」

敵は重傷者を後送する兵・手当てする兵を確保せねばならず

「前線の敵兵力を2名以上減らす」

ことができることに加えて

「重傷者が身近で苦しむ姿を見させる」ことにより

「戦闘可能な敵兵の戦意をも喪失させる」

ことができる。





兵器が生まれた背景そのものが

「殺さずに苦しませる」ことを

目的としている。



だから「足を失ったり」

「手をなくしたり」

「死なずに」

生き残る。



「死んでしまう」ことは

「悲しい」けれど、

「悲劇は一瞬」だ。



でも「生き残る」ことで

「悲劇は終わらなくなる」。



戦場と同じ。



「本人」のみならず、

「家族・友人・恋人」を

まきこんで

悲劇の連鎖を作る。



テレビで特集したり、

キャンペーンが行われたり

(2001年に、坂本龍一が中心となりN.M.L.(NO MORE LANDMINE)というユニットを結成、地雷撲滅のチャリティーソング「ZERO LANDMINE」を発売した。このCDの収益は地雷除去活動を支援するために使われた。)



何も終わっていない。








原爆投下日時「正答」64% 大学生調査 過去最低並ぶ 創価学会平和委=広島 - 読売新聞







悲劇が忘れられつつあっても







原爆症認定訴訟 カルテ取り寄せ採用 国の主張地裁認める 結審来夏にずれこむ
2006年12月28日(抜粋)

原爆症認定を却下された県内の被爆者27人(うち6人が死亡)が

国の却下処分の取り消しなどを求めた集団訴訟の進行協議(非公開)が

27日、長崎地裁であった。


<原告側代理人の弁護士>

田川裁判長は

「一部原告の症状が放射線に起因しないことを立証するため」

  →カルテの取り寄せを求めた国の申し立てを採用する意向

原告の症状について

「原爆放射線の影響を否定できない」

とする意見書を作成した医師5人の証人尋問を国が求めていたこと

→判断を保留した。


カルテが証拠採用される見通しとなったことで

「来年3月に予定された同訴訟の結審」は

「来夏にずれ込む」とみられる。


<原告を支援する長崎原爆被災者協議会の山田事務局長>
「原告は高齢でいつ倒れてもおかしくない。一刻も早く判決を出してほしい」








被害を受けた「本人」の人生は終わってない。
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