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世にも奇妙な無線LAN

2006-09-30 23:16:28 | Weblog
ひどい目にあった。

正確には「遭いそうになった」。


やっぱり、どんなことであっても「無知は罪」だ。

でも、フツーは分らないものだと思うんだよなあ。


いつものように始まった。

まず、リモコンで明かりをつけ、テレビもスイッチを入れる。

冷蔵庫の麦茶を飲み、さて、と。


おもむろにVAIO type youのセッティング。

できたところで「スイッチオン」。

しばらくすると、ネットが立ち上がって・・・来ない?!


「あれ」


まずはネットワーク環境のチェックだ。我が家はワイヤレスLAN。


「シグナルの強さ 非常に強い」「状態:接続」


「つながってるじゃん」

LANのモデム機器を見る。「ランプ・・・正常」

設定がおかしい?あ、「システムの復元」。

やってみる。何度やっても、「未完」。え、じゃ、設定は変ってないと。

ネットワークの設定を開いて、接続を変えてみたりする。「変化なし」。


「インターネットオプション」をいじる。まったーく、変化なし。



「どうする!」



このとき、頭に浮かんだのは「ウイルス」


ケイタイとつないで見る。



なーんと!!ネットにつながる。


ケイタイの接続を切る。接続、切れる。


ホンキがっかり・・・。


ここに至って、ついにあきらめた。ハードディスクの初期化しかない。



データを外付けHDに避難。順調に逃げるデータを横目に、さむいー気持ちで別の場所にあるディスクトップでネット接続…できない。


あーれー。これは。


モデム電源オフ。そしてオン。


あーーーーーーーーーーーーーーつながった。



なんじゃそりゃあ、「シグナルの強さ 非常に強い 状態:接続」でも、つながってない時があるってことかい!


「分るかあーーーーーーーーーーーーーーーーーい!」


無知は罪。クビの皮一枚でつながったオレ。運が良かったって言わないといけないのかな。


でも、なんかクヤシイ。



ちなみにニフティで「FUJITUのW5」ってモデム(アッカのサービス)使ってます。

もし、同じ症状が出た方がいたら・・・あきらめず、いろいろやりましょう。自分が見つけたのは偶然だけど。


ということで本日は失敗談。あー、ホッとした。
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自由とメーワク

2006-09-30 00:12:55 | Weblog
最近、トラックバックを拒否するようになった。あんまり、ひどいトコでなければいいか、と放っておいたんだけど、何か、見るからに怪しい、英語つづりのサイトが1日に何十件も登録されるようになったからだ。


Eメールでも携帯メールでも「メーワク」メールとの戦いが白熱してきてる。自分もくらってるけど、社会問題にもなってるようだ。


かなり前だけど、ドコモに対して、「メーワクメールをどうするつもりか?」っていうので大騒ぎになったことがある。携帯メールは受信してもカネ取られるわけでハラも立つよ、それは。


キカイを使ったコミュニーケーション、「通信」の歴史は「限定解除」の歴史だ。長い時間をかけて、どんどん自由になってる。ざっくり、過去を見てみると、


電話
1876年 グラハム・ベル電話発明(コレは有名)
ちなみに プッシュホン登場は1969年らしい。

ファックス
1843年 スコットランドの電気技師、アレキサンダー・ベインが発明
なんと、電話より前!

それが安くなってきたのは1980年代後半位から。

そう考えると、普及のスピードが最近ケタ違いに早くなった気がする。

ケイタイ
始まりは1979年。東京23区内で自動車電話サービスが開始(ステイタスシンボル!)。

Iモード
1999年 NTTドコモがiモードサービス開始(各社もサービスが始まる)

ポケベル
1993年 「ポケベルが鳴らなくて」流行る(唄 国武万里。第35回日本レコード大賞新人賞受賞。)

この頃がポケベル全盛期。数年後にはPHSとかケイタイが手軽になって、急速に廃れた。ちょっとしかデータ送れないのに女子高生は工夫して「会話」を楽しんだ(記号や数字を使う)。すげえ、女子高生!

以上、電話系。

電子メール
1971年 Tomlinson氏が最初の電子メールを送ったのが最初らしい(ちなみに@マークもこのヒトが考えたみたい)。

パソコン通信
1986年 nifty運営の「エヌアイエフ」設立、10月サービス開始。

インターネットとかEメールにつながる流れなんだけど、この頃は、メールも掲示板も、同じ会社(プロバイダー)の会員同士でしか行えなかった。実に閉鎖的。

インターネット
1995年 Internet Explorer公開

「あれ」とか思う。「インターネットエクスプローラー」って、意外と最近だあ。ADSLとか「常時接続」がフツーになって、グッと身近になった。で、それはもっと最近のハナシ。ウインドウズ95も、もう10年以上前か…。


歴史はこんな感じ。で、最近は

「電話(加入電話)」の存在価値が無くなりつつある。


理由は「使えないから」。

「ポケベル」とか「パソコン通信」と比べると、「電話(加入電話)」は使い道がありそうだけど、加入権制度(崩壊してるけど)がある上に「持ち歩けない(当たり前)。時間の流れは残酷だ。

ファックスが生き残ってるのは「手軽」な上、「コピー」でも使える(普通紙ファックス増えたし)。商用・個人用どちらでも、まだまだ使える感じだ。


でも、「ネット」の自由度と比べるとFAXは電話と変らない。その自由度が高い「ネット」が持ってる大きな特長が「メーワク」だ。



電話でも「メーワク電話・無言電話」はあったし、「オレオレ詐欺」だの、「架空請求」ってのはあるんだけど、ツールの自由度が上がるのに比例して、そのリスクも上がってる様な気がする。


「電話(加入電話)」は結局、「個」VS「個」のツールだけど、「ネット」は「個」VS「集団とか世界」なんだよね。

いたずら電話は電話線抜いたり、番号変えたりってのもあるけど、ネットのいじめや糾弾は「陰湿で強力」だ。そんなものじゃ逃れられない。


ワンクリックするだけで、「誹謗中傷も個人情報」もあっという間にネット内で拡散し、リアルとヴァーチャル両方からの攻撃を受ける。



でも、これは、自分と「攻撃を仕掛ける相手」との間に何らかのつながりがある場合だ(直接でないとしても、「犯罪行為を行った」とか)。


もっとイヤなのは、今、自分が遭遇してるようなこと。


匿名の相手から、全く、脈絡もなく送りつけられるメールみたいなヤツ。DMならまだいいけど、時に「爆弾」が入ってる。


リアルの世界で「爆弾入りの封筒」送ったら、どっかでバレて、捕まりそう。

でも、ヴァーチャルでは捕まえるのが難しい。

警察なんかも最近、特別な部署を作って取締りをしてるけど、「国境を軽く越えて入ってくる」敵を殲滅するのは、一筋縄じゃない。


一般市民は「亀のように」手足を引っ込めて、身体を守り続けるしかないのかな。


「限定解除」が逆に自由を束縛し始めてる。

安部公房の作品にある「砂の女」。その「砂のイメージ」。

いつの間にか、入り込み、忍び寄り、どんなに戸を堅く閉めても防ぐことはできない。


でも、よく考えてみれば、「当たり前」のことなのかもしれない。濃密な人間関係を拒んでネットに入り込むけど、そこにいるのもまた「人間」。

彼らは「楽しみ」「鬱憤を晴らし」「ダマし」「陥れ」る。みんな、何かをするために、そこに存在してる。「人間関係がない」んじゃなくて、新しい形で「再構成」されてるだけだ。だから、フツーの世界と同じ。いい人もいるし、稼ぎたい人もいる。もちろん詐欺師や愉快犯みたいなヤツも。


フツーの世界では「完全に顔を隠して、外を歩く」のはムリだし、勝手に「電話ボックスにビラを貼る」と捕まる。でも、今、ネットではそれができる。

違うのはそれだけなのに、その違いは大きい。


どうしたらいいのか。

匿名性に「縛りをつければ」いいんだと思う。

フツーは外を歩くとき、顔を見せて歩く。サングラスをかけるヒトは悪いヒトか、芸能人か、まぶしいヒトか、かっこつけ。つまり意味なく顔を隠しては歩かないからね、天下の往来を。

その「顔」に当たるものを何か作る。情報の開示の仕方を考える必要はあるけど、何らかの足跡を残さないと「特定の送信」はできなくするってのはどうだろう。

送る手段に縛りをかければ、威力も減るんじゃないかな。いまどき、野菜の産地も作ったヒトも分る時代だしね。ま、ミクシーの「先祖帰り」もありだけど。


「自由と平等」のために「匿名性」の壁を乗り越えられないんだろうけど、正直、そのことによって阻害されてる「自由」の方が大きいよね。


ちょっと番外編 

匿名性といえば「2ちゃんねる」
「交通違反の揉み消し方」から始まったそうだ。開設日は1999年5月30日とする説が有力(BY ウィキペディア)

2ちゃんねるって「電車男」のイメージもあるけど、なんかヤバげなヒトがいるイメージも強い。でも、

2003年夏、折り鶴放火事件により焼かれた広島原爆慰霊碑の折鶴を折って終戦記念日に届けようという「14万羽折鶴プロジェクト」が行われ、最終的に83万羽が集まり、高校の社会科資料集にも掲載され話題を呼んだ。またこの「折鶴オフ」では「しない善よりする偽善」とのフレーズも生まれた。
※勢い余った2ちゃんねらーの不謹慎な行動(平和公園内で胴上げをしたり、慰霊碑によじ登った)がインターネット中で非難される。

「しない善よりする偽善」・・・らしいなあ。

やっぱり・・・いいヒトもフツーのヒトも悪いヤツもいる。違うのは「顔」と「法律」がないことだけ。

それにしてもウィキペディアってスゲー!
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風がふけば桶屋が損する?

2006-09-29 01:11:20 | Weblog
「風が吹けば桶屋が儲かる」ってのは、世の中の出来事は回りまわって、思いがけないことになる、ってことだと思うんだけど、大体の場合、損する方が多いよね、桶屋は知らないけど。じゃなきゃ、不景気になんかならないよ。


で、実は結果が見えてたり、分かってるのに、どうしても逃れられないことがある。

「風が吹けば桶屋が儲かる」なんてのは、あんまり無くて、世の中は「ああ、やっぱり、だから気をつければいいのに」ってことばかり。


自分を振り返っても、


ラーメン食べるのに(気をつけてるつもりなのに)ネクタイとかに汁飛ばすし、ボールペンもったまま動いてて、シャツに書いちゃったり、マジックで書けば下写りするし、カッターで下地まで切っちゃうし、スプレーのり使えば、床ガビガビにするし、転写式の用紙の上で封筒に住所書いて、下に移っちゃうし、マジックで書けば、手のひら真っ黒になるし、さっきも汚れてる風呂場のミラーきれいにしようとシャワーかけて、せっけん箱水びたし(なんで、水びたしになるのか、先程、判明しました)。飲みに行けば、汁物にネクタイ浸かるし、酒が進めばコップ落とすし。リモコンを変なトコで使って場所分からなくなるし、ディズニーランドで駐車して、帰りに場所分からなくなるし、冷蔵庫にモノ詰め過ぎて、奥に行った明太子腐らせるし。


一気に書いてしまった。ああ、思い返すも腹立たしい、自分に。ぜーんぶ、結果が見えてるのに、一瞬見えなくなる内容。自分の場合、「桶屋」のコト考える前にまず、アシモトをナントカしないと。

なんで、分かってることをまたやってしまうのか。なんで、波平さんは頭に載せたメガネを「メガネ、メガネ」と探してしまうのか(ヤスキヨの漫才でもあったネタですね)。


人間の根源的な特性なのか?(自分の個人的な特性とは考えたくないし)


清水義範さんていう、シニカルでパロディっぽい作品が得意な作家さんがいて「神々の午睡」っていうのを書いてます。

作品は世界の三大宗教の開祖の人たち・宗教の始まりをパロディっぽく書いてる内容で結構おもしろいんですが、その中に「人の行動の先が読める」ってヒトが出てきて、その特技を使って、宗教の開祖になるってハナシがあります。いわゆる「予言者」ですね。

とっかかりは大したハナシじゃなくて、例えば、

主人公のお兄さんが山でマキを割ってて、切り株に斧を突き立てます。それを見てた主人公が「あんなとこに斧を置いたら、絶対忘れるのに。バカだなあ。」

で、テキメンに「斧が無くなった」って大騒ぎ。

主人公が「オレ、夢に見た」って言って、例の場所を伝える。

半信半疑で見に行くと、そこに斧が。

こんなのを続けるウチに、「予言者」としての名声が高まってく…ていうようなハナシ。


まさにコレ!欲しい能力。

これさえあれば、ぜーったい、失敗しないぞお。


でも、持ってないので、リモコンの場所を決めるところから始めます。

いや、決めてるつもりなんだけど、テレビとか見ながら使うと、変なトコに置くんだよね。で、その上にクッション置いちゃったり…ミチノリは長いなあ。
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柔らかな頬

2006-09-28 01:13:33 | Weblog
読み終わった。


で、実は珍しいことだけど、少し批判めいたハナシをすることになりそうだ。もっとも、本当につまらない本ならハジメから、黙殺だけど。


ストーリーは、夫の友人と不倫している主人公が別荘で逢引をしてる時に娘(5歳の女の子)が行方不明になる、ってハナシ。

乱暴に言えば、子供を放り出して、パチンコをしていたら、クルマの中で子供が死んでしまったってのと変らない(ある意味、もっとヒドイかも)。身勝手さの代償は大きかったってコト。


題名の「柔らかな頬」は、おそらく、行方不明になったこの女の子のことだろう。ふわふわとした、「どこに力点があるのか」分からないストーリーの中で、全編を通してのキーは唯一、この子の存在だから。


自分の中で、この本の評価は二転三転してる。

珍しく、読んだヒトの評価も見たけど、重い・暗い・よく分からない・最初の100ページは死ぬほどつまらない。

ってトコでしょうか。全てナットクだ。

読み始めはホントにつまらなかった。しかし、読み進めていく内におもしろくなっていく。


人物の造型がうまい。リアルで細やか。

で、登場人物の心理描写のはさみ込みがうまい。

実は昔(小学生の頃)、作家になりたかった。当時、数十枚の「SF小説」なるものをモノして、得意満面に先生に見せたものだ。

先生は赤字で巻末に感想を載せた「将来、きっと、いい思い出に」

当時の自分はフンガイした。「思い出だと!この作品は誇るべき第1作なのに。」


先生の予想は結果的に的中して、今はいい思い出だ。

当時、ノーベル文学賞を取りたかった自分(モノカキの最高峰と信じて疑わなかった)はさらに、イロイロ書こうとしていた。そんな自分が行き詰ったのは「誰の視点で書くのか?」「登場人物の心象はどこまで書くのか」。


主人公の気持ちを書く。まあ、それはアリだけど、犯人の気持ちを書いちゃうと手品の種明かしになっちゃう、とか、あんまり、みんなの気持ちを書いちゃうと安っぽくなったり、リアルじゃなくなったりする。

ヒトの気持ちが分からないから、主人公の行動が成功するかどうか分からないわけで、それは「現実」と同じ。

もし、それが見えちゃったら、ドキドキ感は半減する。読み物のおもしろさのほとんどは「ナゾ」が占めてる。

その点、「ウマイなあ」と思った。


じゃあ、ほめといてナンデ批判的になるのか。それは後半だ。


後半、現実と虚構(夢?心象?)が交錯し、果たして、誰の視点なのか、現実なのか、虚構なのかがさっぱり分からなくなる。

あるところで「あれ」と思ったんだけど、そこから、ストーリーの展開が全く変ってしまう。


「ナゾぶち壊し」な感じ。


もしかしたら、この後半の描写がウケて「直木賞」受賞になったのかもしれない。

でも、個人的な感想で言えば、途中までのリアルな描写やタンタンと書いてきた主人公の心理描写を後半が「ダイナシ」にしてしまったような気がする。

フリーシナリオっぽい感じ、言い方を変えると「読む方で勝手に考えて」って感じ。

ゲームでもよくある「フリーシナリオ」。あれはシナリオが無いのと同じじゃないかな。製作者がストーリー作りを「放棄してる」って思っちゃうんだよね。

ストーリーは一本で、「いかに、読者や視聴者の予想を裏切れるか」が製作者の技量の見せ所だと思う。何本もストーリー作るんじゃ、意外さもヘッタクレもない。物語は一本でも、人間のウラガワを感じさせたり、「ホントはこうだったんじゃないの」って、作家がはっきりとは書かないストーリーをウラ読みさせたりするのがテクだと思ってる。

だから「認められない」んだよなあ。


ここでは言わないけど、特にラストの数ページは「がっかりした」。


「何それ」って感じ。


これだけ、悪く言うと、「絶対、見ないで!」「つまらん」とか言いそうだけど、言いません。


面白いところもあったし、何より、ラストを体験して欲しい。今までにないラスト。確かに見たことはない。


もしかしたら、ヒトによっては最高のラストなのかもしれない。「6センス」好きなヒトもいるんだろーし。


この本は読んでよかったと思うけど、「同じような本」は二度と読みたくない。

アガサクリスティの「オリエント急行殺人事件」同様、オキテ破りは二度許されない。
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歓迎するイス

2006-09-26 23:51:09 | Weblog
通勤途中にある駐車場の料金表示にびっくり。

8:00~16:30 30分500円

都内でも、少ないよ。こんな値段!

どうやら、銀行なんかの駐車場らしく「一般車は駐車しないでね」ということらしい。まさに無言の拒絶。


少し前、映画を見に行った時のこと。


映画自体もそんなに満足できるものじゃなかったけど、なにしろ、イスの座り心地が「最悪」だった。ガマン大会じゃなければイヤガラセだ。

大型の映画館ができて、小さい映画館がどんどん減っていく。システムが旧式(席指定できないとか)ということもあるけれど、視聴環境の違いも大きいんじゃないかな。

お客は、けして少なくはない「1800円」というリスクを背負って映画館に入る。同じお金をかけるなら、「音がよく、広くて、座り心地のよいイスのある」映画館を選ぶ。それは仕方ないよね。

お客が入らない→設備投資をかけられない→お客がさらに離れてく。

デススパイラルが目に浮かぶ。

じゃあ、居心地のよいイスって?

いろんなイスがあるけど、いすには二種類あるような気がする。


「歓迎するイス」と「拒絶するイス」


「歓迎するイス」

普通に応接間にあるソファなんて、そうですよね。ただ、フカフカしすぎてると、応接テーブルに手を伸ばしずらくて、コーヒーこぼしそうになったりしません?

有名な喫茶店「ルノアール」のイスなんてのも、そうですよね。座ったとたんに眠くなる。


それとは逆に「拒絶するイス」

例えば、「マクドナルド」のイス。座り心地の悪い硬いイスって、多くないですか?あれは長時間、滞留するのを嫌って、ワザと硬めにしてあります。ショッピングセンターでも長時間の座り込み防止のため、あえて、そういうイスを使ってるところがあります。

他には乗物のイス。といっても、座席ではなく、運転席。公共交通の運転席には座面がナナメになってるものがあります。座るというより、寄りかかってる感じなので、寝てしまうと、イスからずり落ちてしまいます。

といっても、少し前にあった「イネムリ運転手」さんみたいに「睡眠時無呼吸症候群」みたいなヤツだと、それでも寝てしまうのかな。


この例はどれも、目的に沿って作られてるものだからいいんだけど、問題は「歓迎するイス」に「拒絶されてる」場合ですよね。座り心地の悪い「映画館のイス」なんて、その最たるモノじゃないかな。

座ってる時間が2時間を超えると、もう苦行ですね。


僕が以前、ブログに書いたカレー屋も実は、イスが最悪です。もともとは立派なイスだったのかも知れないけど、今は弾力も無く、とにかく座りづらく、痛い。

おいしい店ではあるのだけど、昼時に満席になってることがありません。イスが一因となってるのはマチガイナイでしょう(ホント、けっこうカレーは旨いんだけどなあ)。


「パチンコ屋のイス」ってのも、そうですね。

だいたいが、狭くて、位置も変えられない。しかも、隣のヤツの「副流煙」が死ぬほど流れてくる。

パチプロの人をウラヤマシがる人がいますが、僕はパチプロの人をソンケイします。あんなトコに3時間も4時間も座ってるなんて、トウテイ、ムリです。


「恋から」で女の子が「回転イスにかっこよく座ってる人がいい」なんてハナシをしてました。イスはステータスでもあるんですよね、確かに。結構、奥が深いなあ。



てなこともあって、誰かのトコに行って、座り心地の悪いイス出されたら「オレ、キョヒられてる?」って思っちゃいます。

京都の「ぶぶちゃ」の習慣みたいに、イヤなやつが来たら、「座り心地のワルいイス」を出しましょう。

「これでもくらいやがれ!」てな感じで。
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シーエム

2006-09-26 00:09:35 | Weblog
日差しもギラギラからサラサラと、風も爽やかな季節。すっかり秋です。過ごしやすくはなりました。


最近、偶然見たCM。センスがいいなあ、と思った。

手のアップ。忍者が印を結ぶみたいに、次々と手の表情が変る。

「なんだろう」と思うと、渋いオジサンのバストショットに切り替わる。次の瞬間、オジサンの手元に「気品のある人形」が重なり、手の動きに合わせて(手は見えないから、雰囲気だけど)人形が動く。で、「文楽」という文字。人形浄瑠璃ですね。

何のCMかと思ったら、「亀屋の川通り餅」。

こりゃローカルだ、と思ったら、やっぱりそう。毛利元就が広島に城を築いた時に生まれたものらしい(なんと500年前!現代風にアレンジしてるそうです)。


東京にいるときは考えもしなかったんだけど、地域でCMって違うんだよね。東京でCMがブレイクして、全国放送でそのハナシを聞くと、全然、知らないヤツだったりする(東京ガスとか)。

逆に、自分がいるとこで、結構メジャーなCMでも、東京のヒトは知らない。当たり前なんだけど、少しカンドーです。

とはいっても、やっぱり、全国区のCMの方がカネもかかってるし、いいのも多い。


思い出すのはサントリーのヤツ。

昔は結構、いいのを作ってたんだよなあ。

写真はガウディのヤツ。「サグラダ・ファミリア」なんてのは、これで初めて見た。サントリーのサイトにも残ってなかったけど、確か、バックに流れてたセリフは

「過去から来たのか、未来から来たのか分からない」

っていうような内容だったと思う。大聖堂の各所にフシギな面を付けた人間が現れては消え…印象的なCMだった。

バルセロナでは当時「モデルニスモ」と呼ばれるアールヌーヴォーの流れの建築様式が盛んで、ガウディだけじゃなく、他にも、同様の建築物がたくさん建てられたらしい。なので、周辺にもデザイン性の高い建築物がたくさんあるようです(最近読んだ蔵前仁一さんの「旅人たちのピーコート」に出てました。読まれる方は文庫版の方がお得です。文庫版は最後にニューヨーク編が追加されてます。)。

砂漠を大道芸人が旅する「ランボオ」編てのもありました。

その詩人は底知れぬ渇きを抱えて放浪を繰り返した。
限りない無邪気さから生まれた詩。
世界中の詩人達が青ざめたその頃、彼は砂漠の商人。
詩なんかよりうまい酒をなどとおっしゃる。
永遠の詩人ランボオ。
あんな男、ちょっといない。

ランボオって、ほんとに商人だったんだよね。気になって調べたら、ほんとにそうだった。で、「地獄の季節」って詩集も読んだんだけど、イマイチよく分らなかった。やっぱり詩人にはなれないみたいだ。

でもCMはよかった、他にないつくりで。踊るピエロに火を吹くヒト、映像で見たいなあ。サントリーのCMは好きだった。

当時、洋酒は高級品だった。ウイスキーというと、リザーブとかでも、少し高級なイメージ(ニッカだとスーパーニッカが同格かな)で、外国の、例えばワイルドターキーなんか、ほんとに高級品。バーボン飲むのがちょっとカッコよかったり、そういう時代。

時代は流れ、海外のお酒は安くなり、普通に買える時代。

最近のサントリーはビールとかが中心で、やってもリザーブだもんなあ。ああいうムード第一のCMは難しいよねえ。プレミアムモルツは好きだけどね。


CMの役割は二つ。芸能人やきれいな自然なんかのイメージで商品をイメージアップすること。錯覚させるわけだね。

もう一つは商品の性能とか長所をコンパクトに宣伝すること。


イナバ物置だと「丈夫さ」。「100人乗っても大丈夫」ホントか?

昔、「象が踏んでも壊れない」っていう筆箱があったけど、結構カンタンに壊れた。


クルマのCMなんかは「イメージ優先」と「性能中心」の二通り。あんまりイメージ優先だと、宣伝する内容がないんじゃないか、とか思っちゃうんだよね。

大ブレイクしたオデッセイは「しあわせづくり研究所」とかいうヤツで、CMキャラクターは「アダムス・ファミリー」。一見、イメージ型に見えて、実は「大勢乗れる」っていう性能型だったんだよね、よく考えると。


効能を宣伝できない「クスリ系」関連はツライ。

この前、広末涼子のCM(からだ巡茶)で「広末涼子、浄化計画」ってやって、「治療効果を謳うことは「医薬品」以外には許されない」っていう法律に引っかかるんじゃないか、って大騒ぎ。

結局、「気分浄々」に。コトバは注意せねば。


同じように規制がかかるのは金貸し系「アコム」とか「プロミス」とか。


「ご利用は計画的に」とか、注意する内容のCMしか作れません。

その代わり、ものすごーく「イメージ系」です。必ず、カワイイ女の子。小野真弓ちゃんもそうですね。レイクは夏川純・アコムは熊田曜子とか競い合ってます。


「ストップ借りすぎ」とか「計画的に」とか、計画的なヒトは高金利の消費者金融でなんか借金しないと思う。タバコのCMもそうだけど、ムジュンがつきまとうよね、こういうのって。


アイドルがニコニコしてる裏側で、勝手に生命保険掛けられてるってのは「現代の怪談」だよなあ。

そういえばタバコのテレビCMは規制されて、流されなくなった。消費者金融も不祥事が続くと、消えるかもね。


最近、気になるCM少ないなあ。一時期「コラボ」が流行って、全然、関わりの無い会社のCMに共通のタレントがストーリー仕立てで出演するってのがあった。布袋さんと永瀬君のヤツ。あれ結構スキだった。サントリーのボスとかケイタイとかスカパーとか。

割と最近のシリーズでは「どうするオレ」。ライフカードだよね。あれ、おもしろい。


ただ、個人的なシュミで言えば、サントリーの昔のCMみたいなイメージ系、ムード系のシブイヤツもたまには見たいなあ。
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キターー

2006-09-24 22:53:10 | Weblog
ベタな展開。


近年、マレに見る安心して見てられる番組だ。「祭り」ってことで、前週、「映画版」で今週「テレビ版スペシャル」だった。


「映画版」は初めて見たんだけど、「テレビ版」を見てたせいか、なんかあらすじを見てるような感じでイマイチだった。でも、これは最初に「テレビ版」見ちゃったからで、「映画版」から入ってたら、違う感想だったかも。


ストーリーは

「プロポーズにあと一歩踏み切れない「電車」が、自信をつけるためにタヒチへ「運命のブラックパール」を取りに行く。」

ってヤツ。で、そこに「エルメスにアプローチするイケメン実業家」が絡んでくる。


「電車」の純愛も感動の要素だけど、それだけだとベタベタしてるだけのような気がする。やっぱり、「○チャンネルの住人」の活躍だろうなあ。

ネットってマイナスイメージが強い(詐欺とか殺人とか)。それは匿名性のせいだ。

オレンジカラーの「mixi」は株価がエライことになったけど、「知り合いの紹介」ってフィルターを通すことで「一見さんお断り」にして、匿名性を排除するシステムにしたからだ。


「電車男」の泣けちゃうところはまさに、この部分にある。

「誰だかわからない」匿名の住人たちが「全く得しない(むしろリスクを背負って)」のに、これも誰だか分らない「電車」のために奔走する。

「mixi」みたいに「知り合い」のコミュニティじゃなくて、みんな「一見さん」同士で、互いに顔も名前も分らないのに、「電車」と一緒になって、「泣いて、笑う」。


「お互い様だから」って言ってた昔のニホンだったら、その辺に転がってたかもしれないけど、最近、全然見かけないストーリーだ。


しかも、「助け合い」ですらなくて、一方的な「奉仕」だもんなあ。


人間の心の中には「妬む心」もあるけど「幸せになって欲しいなあ」ってのもあるわけで、時代とは逆行してるようなストーリーでも、やっぱり、それなりに「リアル」な感じもあるのかな、と。


見てないヒトもどっか再放送で見るかもしれないから、ラストは言わないけど、いつもみたいに、いつもの人たちが、同じ感じで…ああ、分ってるのに、号泣。


殺伐とした時代でも、こういうハナシはちょっとホッとするよね。

やるじゃん、フジテレビ。
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キタは北極からミナミは南極まで/地球温暖化

2006-09-23 23:17:51 | Weblog
解けてるらしい、氷。


大丈夫か?地球。


北極海で氷が大量消失=8月撮影の衛星写真で判明
2006年 9月21日 (木) 00:35


北極海で8月、ブリテン諸島(英国とアイルランドおよびその周辺の島々)に相当する面積の万年氷が消失し、欧州北方の島から北極点まで船で容易に行き着けるほどになっていたらしいことが衛星写真で分かり、欧州の科学者たちは驚きの声を上げている。欧州宇宙機関(ESA)が20日までに明らかにした。
ESAが運用する2つの衛星から8月23日―25日に撮影された写真で判明した。それによると、一年中あるはずの万年氷が広範囲で消失、ノルウェーと北極点の中間にあるスピッツベルゲン諸島の北からロシア北極圏にかけて万年氷のない海が広がり、北極点にまでつながっていた。

地球温暖化の進展で北極海の万年氷が減り、かつ薄くなってきていることは過去25年間の観測で分かっていたが、今回の消失は前例のないほどだという。既に薄くなっていた氷が今夏の嵐によって砕かれ、散乱させられたのが原因かもしれないと科学者たちはみている。

ESA関係者は、氷の消失により「スピッツベルゲン島や北シベリアから北極点まで、船で問題なく行けたのではないかと考えられる」と述べている。

海氷が消失すると、太陽光線を反射するものがなくなり海水温が上昇、これが氷の融解をさらに促進するという悪循環を生む。海氷が解けても海面上昇はもたらさないが、北極海の氷が減ると、欧州西部に穏やかな気候をもたらしているメキシコ湾流が不安定化する恐れがあるほか、ホッキョクグマなどの生物にも影響が及ぶ可能性があるという。


ということのようです。「そうか、海面は上昇しないのか」と思ったら



温暖化で海水冷える、南極の氷が解けて流入

 地球温暖化に伴って上昇し続けてきた海洋上層部の水温が、2003年から05年にかけて低下していたことが、米海洋大気局(NOAA)と米航空宇宙局(NASA)の調査で分かった。

 水は冷えると収縮して海面が下がるはずなのに、海面上昇は続いていることから、研究者は「南極やグリーンランドの氷が解けて海へ流入した影響が考えられる」と指摘している。

 両局は、世界の海洋に設置されているブイや船などによる観測データを解析。その結果、深さ750メートルまでの海水温は、03年までの10年間に0・09度上がったが、その後の2年で0・03度も下がったことが判明した。海水は過去半世紀の間、大気などから熱を吸収して温まってきたが、その熱の5分の1をわずか2年で失った計算になるという。



「やっぱり上昇してるじゃん」


北極も南極もトケまくり!海水温も変動しまくり!


こりゃあ、異常気象も起こりますね、全世界規模だもの。


「STOP!温暖化」もう少しちゃんとやらないといかんなあ、「クールビズ」もいいけど。

ニホン沈没するよ、マジで。
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国旗のハナシ/国旗・国歌義務化

2006-09-23 22:19:05 | Weblog
問題はたいへん重いんですが、ネタはチョイネタです。自分的には結構、タイヘンなことだと思うんだけど・・・。

国旗・国歌義務化は違法という判決が東京地裁で出ました。記事の主内容は以下

2006年 9月22日 (金) 03:36


 東京都教育委員会が卒業式などの行事で、教職員に国旗に向かっての起立や国歌斉唱を求めているのは、思想と良心の自由を定めた憲法に違反するとして、教職員ら401人が、起立と斉唱の義務がないことの確認のほか、慰謝料の支払いなどを求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。

 都教委は平成15年10月、学校の式典での国旗掲揚や国歌斉唱時の起立などを求めた通達を出しており、これまでに通達違反として延べ345人の教職員が懲戒処分を受けた。判決は通達違反を理由にした処分も禁じており、都教委の対応に影響を与えそうだ。


 訴訟では(1)教員らが国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務があるか(2)都教委の通達は違法か(3)教員らは通達によって精神的損害を受けたか-が主な争点となった。


 難波裁判長は「日の丸、君が代は第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱だったのは歴史的事実」と述べた上で、反対する権利は公共の福祉に反しない限り保護されるべきで、起立や斉唱の義務はないと判断した。


 通達については、「合理的な基準を逸脱している」とし、「教職員が起立や斉唱を拒否しても、式典の進行や、国旗と国歌に対する正しい認識を生徒に教えることを阻害するものではない」と述べた。


 難波裁判長はこうした判断の上で、「原告の教職員は義務がないのに起立や斉唱を強要され、精神的損害を受けた」として、都に慰謝料の支払いを命じた。


 都の中村正彦教育長は判決を受け「主張が認められなかったことは大変遺憾。判決内容を確認して今後の対応を検討する」とのコメントを発表した。



ということらしい。これを受けて、各新聞社が小泉サンに意見を求めている。


まずは「読売オンライン」から

違憲判決で首相「国旗に敬意も表せないのは変」

 小泉首相は22日、国歌斉唱などを教職員に義務づけた東京都教育委員会の通達を憲法違反とした東京地裁判決に関連して、「社会人になって国歌も歌えない、国旗に敬意も表せないのは外国で変に思われる。個人の考えも大事だが、社会性、協調性がいかに大事か、どういうことに敬意を持って接するかという教育は大事だ」と述べた。
 また、教師の対応について、「(国旗国歌への態度など)礼節の問題について、はっきりとした態度を示さないことの方が問題だ」と批判した。首相官邸で記者団に語った。


次に「朝日ドットコム」から

国旗や国歌に敬意「法律以前の問題」 判決で小泉首相

 小泉首相は21日夜、入学式や卒業式で国歌斉唱などを強要した東京都教委通達を違法とした東京地裁判決について「法律以前の問題じゃないですかね、人間として国旗や国歌に敬意を表するのは。人格、人柄、礼儀の問題とか(だと思う)」と語り、強要によらず、礼儀作法として国旗・国歌に敬意を表するべきだとの考えを示した。


同じことについて言ってるんだけど、スゴーク違って聞こえるんですけど。


読売の方は、「個人の考えも大事だが、社会性、協調性がいかに大事か」っていうクダリとか、「(国旗国歌への態度など)礼節の問題について、はっきりとした態度を示さないことの方が問題だ」と教師を批判したり・・・。


聞きようによっては「個人的な考えで「起立や斉唱」を拒否すべきでない」と取れるし、「教師は国旗国歌に対しては「礼節を尽くす」のが義務だ」とも読める。「違憲判決」自体が間違っているという論調のようだ。

対して、朝日は「法律以前の問題じゃないですかね・・・と語り、強要によらず、礼儀作法として国旗・国歌に敬意を表するべきだとの考えを示した。」という書き方。

「強要によらず、礼儀作法として国旗・国歌に敬意を表するべきだ」とはっきり言っている。しかも「法律以前の問題」という発言を使うことで(これはホントに言ったんでしょう、たぶん)、首相が判決は判決として認めていることと、義務ではなく「礼儀作法」が大事だ、と言ったという記事にしている。


どっちが本当なんだろうね。


タイトルを見れば一目瞭然!

読売

違憲判決で首相「国旗に敬意も表せないのは変」

朝日

国旗や国歌に敬意「法律以前の問題」 判決で小泉首相

読売は「違憲判決」が「変」と見えてしまうし、朝日は「国旗や国歌に敬意」は「法律以前の問題」と判決については「異議を唱えない」という立場が明確です。


こういう記事を見るために、「洗脳」されないようにしようと思う。なんとなく読んでる人間に対して、「発言内容の一部を取捨選択すること」で「インプリンティング(刷り込み)」をしようとしてる。「言論の自由」という言葉もあるから、新聞社や記者があることについての「独自の見解」を述べるのはいいけど、ヒトの意見をネジ曲げるのはどうかと思うなあ。正確に客観的に伝えてほしいもんだ。


新聞は決して「中立」の立場ではない。


「鼠―鈴木商店焼打ち事件」という本があります。城山三郎さんの本です。


かって、三井・三菱とならぶ大商社であった「鈴木商店」が台湾銀行の破綻をきっかけに没落していく様を書いたドキュメンタリー本です。

その中に「ある新聞社がデタラメな記事を書いて「鈴木商店」を貶めようとしたのではないか」という疑惑が書かれています。地方紙じゃなく「大新聞」です。


「右翼・左翼」とかいいますが、どんな新聞もナニガシかの「色」が付いてるもんです。


ホントに「裏づけのない情報」とか「偏ったニュースソース」はクソだと思うなあ。
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ベータの悪夢

2006-09-23 09:43:10 | Weblog
ハードディスク付は75,000円?!


高くないそうだ、性能を考えると。PS3はソニーの目指す「単なるゲーム機ではないもの」の具現化なんだろうな。


一方、任天堂「Wii」は25,000円。PS3のネダンを聞いた後では割安に感じられる。でも、ただのゲーム機と考えれば、特に安いワケじゃあないと思う。


じゃあ、PS3は50,000円分のプレミアムを購入者に与えられるのか。

ソフトとか、後天的な要素はもちろん大きいけど、まずは「画像の美しさ」と「ブルーレイ」だ。


「ブルーレイ」は次世代DVD規格。「HD DVD」と統合されるハナシもあったが、それは消えた。ソニー、松下電器産業など9社が推進する「ブルーレイ」。東芝とNECが共同提案した「HD DVD」。


コンテンツではウォルト・ディズニー・ジャパンや20世紀フォックスやソニーピクチャーズが「ブルーレイ」でワーナー・ユニバーサル・パラマウントが「HD DVD」。


はっきりしてるのは「ブルーレイ」が主流になるとは限らないということ。しばらくは制作・配給によって見ることができないソフトが存在してるのも確か。不便なこと、この上ない。

以前、「PS2」が発売されたとき、その発売によって、爆発的に「DVD」が普及したのはマチガイナイ。でも、今回は状況が違いすぎる。この状況はむしろ、「ベータビデオ」だ。

当時、「ベータ」「VHS」の2方式のビデオが発売され、「VHS」に敗北した歴史がソニーにはある。

「またか」とも思われる。

「高品質のゲームができて、「DVD」もついてるなんてお得!」って考えられた「PS2」だけど、「PS3」の場合は「ゲームしたいだけなのに「中途半端」にしか、映画を見られない機能が付いてるだけで、こんなに高いのかよ!」ってことにならないかな。

新規格についてはハイビジョン録画に便利だけど、ほとんどのヒトが「様子見」なんじゃないかな。その状況で、これはどうだろう。それに録画問題については著作権問題が絡む「1回だけ録画」の問題も解決していない。どんなにすばらしい機能でも「使い道が限定されたら、魅力半減だよね。


で、肝心のゲームはどうか。

これはもう結果が出てる。PSPを持ってる自分が言うことじゃないかもしれないけど、残念ながら、今のゲーム人口の大半は「きれいさ・画像の美しさ」を求めてない。だから、「DS」が大人気なんだ。

これはゲームを作る側の問題もあると思う。

大容量のソフトじゃないと売れなくなり、小さな面白いゲームソフトを作る会社が淘汰された。で、スクエアエニクスみたいな大企業は以前作ったソフトの焼き直ししか作らない。これでRPGマニアが離れ、マニアはネットゲームにはまる。ネットゲームは定額で確実な収入を得られるだけでなく、武器などのオプション収入も得られる「オイシイ商売」だ。

ココ最近で、大ヒットしたRPGタイトルなんか一つも無い。

その代わり、DSのソフトなんかが結構売れたりしてる。「大容量もグラフィックの美麗さ」も一切必要ないソフトだ。


カンタンに言えば、一般人はもう、ゲームに飽きてしまったんだと思う。

ゲームそのものというより、「役に立つ」とか「ひまつぶし」しか、求めてない。醒めたもんです。


発売タイトルもなかなか揃わないようだ。「PS2」がバカ売れした理由の一つは発売と同時に「100タイトル」とか、ゲームコンテンツをそろえたことも大きな理由。ソフトのないハードなんて、ただのハコだからね。発売予定のソフトはそれなりに魅力的でぜひ、やってみたいとは思うけど、ネダンを考えると躊躇するね。


一般的には「ブルーレイのついたゲーム機」なんだろうけど、買う側からすれば「ゲーム機のついたDVD」。


「ブルーレイ」を選ぶかどうかの「踏み絵」みたいだ。



さて、最新情報。書いてる内に9月22日付ニュースです。いよいよ年末戦争勃発!

「Wiiより安い」――Xbox 360

「セットの内容をよく見れば、実はWiiより安い。年末に発売されるゲーム機で一番お得」弱点と言われてきた国産タイトルも続々投入予定。

標準セットよりも約1万円安価な「Xbox 360 コアシステム」。価格は2万9800円(税込み、以下同)で、期間限定でソフト2本(「プロジェクトゴッサム レーシング 3」「NINETY-NINE NIGHTS」)が付属。
「ファイナルファンタジー」シリーズの坂口博信さんプロデュースRPG「ブルードラゴン」とのセットも2万9800円で12月7日発売予定。 同日発表したXbox 360用HD DVDプレーヤー(11月22日に発売予定。価格は2万790円。「Xbox 360」とUSBケーブルで接続するだけで、1080pのフルハイビジョン(フルHD)の高品質な映像とサウンドを再生できる。)とコアシステムを組み合わせれば、HD DVD再生環境が約5万円で手に入る。


かたやソニー。同日ニュース。

プレステ3国内価格を引下げ。HDなしを62,790円→4万9980円に値下げ。


X BOX対抗ですね。HD付きも値下げだろうな、たぶん。


いつのまにか、時間は流れてる。

まさに混戦模様。最近、パソコンの充電池不良でもミソを付け、PS3の販売延期でも評判を落としたソニーさん、崖っぷち。このイクサは負けられないですね。


鍵を握るのは・・・ブルーレイだろうな。


ちなみに「ブルーレイ」と「HD DVD」については

「どっちが主流に? ブルーレイ or HD DVD」ていうサイトに詳しいです。

http://allabout.co.jp/computer/av/closeup/CU20060915A/index.htm
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