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皮肉にも東京タワーに背を向けた方が良好に受信出来て

2007-12-11 17:59:15 | ラジオ(オーディオ)

たまたま見つかったテクニクスのFM専用2素子の小型アンテナ"TA-2200FM"のカタログ。
このアンテナを、FM放送のエアーチェックが全盛だった頃に使っていました。
今となっては"エアーチェック"と言う言葉自体が死語に近く、その意味を解せない世代が多くなっている様な気がします。蛇足ながら、"テクニクス(Technics)" も同じかもしれませんが・・・
音楽ソースの入手はネットからのダウンロードが当たり前、電波媒体を介する時代はとうの昔になっているようですが、当時は正に真剣勝負の様な有様で、自分のコンポやアンテナのチューナップをしていました。
東京タワーから2kmも離れていないところ、到来する電波の強さも強電界に準じる様なレベルで、しかも、伝播経路にはビルが建ち並び、直進してくる電波以外にアチコチのビルなどで反射してくる電波が沢山あって、いわゆるマルチパスに悩まされていました。
マルチバスが多いと言う事は、受信時にエコーを生じる様なもので、受信音が濁ったりガザガザと聴こえ、高忠実度の受信が出来るはずのFMに於いて、何とも情けない状態でした。
それでアンテナの工夫で何とかこれらの不具合を改善しようとして、秋葉原の石丸電気で買い求めてきたのが、この強電界地域用"TA-2200FM"でした。
小型軽量、2素子ながら位相差給電方式のアンテナです。これを10m程のマストの上に取付、一回転360度、手で回してみて一番良好に受信出来る方向を調べてみました。必ずしも東京タワーの方向が良いとは言えず、また、アンテナの高さを何通りか変えてみて、同じ様に調べました。
結果的に、一番良好な受信音が得られたのは、一番高い位置に取付て、東京タワーに対し殆ど真後ろ方向にアンテナを向けた時がスッキリと抜ける様な澄んだ受信音が得られる事が分かりました。
アンテナが軽いこともあり、32mm径の鉄パイプ二本と28mm径のアルミパイプ一本を繋ぎ合わせた自立型のアンテナマストになりました。これが幾度かの台風にも耐え1970年代後半から十年間ほど便利に使いましたが、その後、CDやMDの登場と相まってデジタル化が進み始め、何時までもカセットテープの時代でないように感じ、エアーチェックすることさえ忘れる様になってしまいました。
このアンテナは既に朽ち果て、代替わりしていますが、往時のコンポは今も健在で、昔懐かしいアナログの柔らかなサウンドを聴かせてくれています。因みにチューナーはTRIO "KT-6100"、アンプはTRIO "KA-6100"、カセットデッキはSONY 2-Head "TC-K65"、同 3-Head "TC-K71"、同 プログラムタイマー"PT-77" それに、画像にはありませんが、スピーカはTRIO 25cm 3-way "LS-101" の構成です。
しかし、当時はこれだけ頑張っても、都内で良好に受信可能なFM局は、NHK-FM(82.5MHz)とFM東京(80MHz)の二局だけ。それでも、FM fanやFMレコパル、週刊FM、FM STATIONなど、いわゆるFM情報誌を頼りに毎日毎晩、エアーチェックに追われた日々は、既に四半世紀も彼方のことになってしまいました。


東京タワーは間もなく開業から半世紀、ネオパンSで撮ったその当時の姿は

2007-12-06 12:29:15 | 東京タワー
平素の無精ゆえに堆く積まれた書籍を整理している途中、どの本だったか定かではありませんが、紙片が一枚抜け落ちました。手に取ると東京タワー開業20周年記念のチケットの半券でした。
東京のシンボル?として、また定番の観光名所で在り続けた東京タワーは、1958年(昭和33年)12月23日の開業から来年で50年になります。20周年と言うと、30年も前の事で、今となっては行った事さえ記憶にありません。
工事が始まったのは、1957年(昭和32年)6月頃のことで、ある日突然、芝増上寺の裏山?に重機が入り地面を掘り始めたのが発端でした。大きな大きな窪地が出来て、そこに十文字にコンクリートが流し込まれ、その先端に四本の脚が据えられました。この当時、通学していた学校が直ぐ近くであったため登下校時に工事の進み具合を毎日眺めていました。
初めの頃は何が出来るのか?分からないでいましたが、その後、ラジオか新聞でテレビ放送用アンテナの鉄塔が建つと知って納得しました。
日に日に延びていく鉄塔に周辺住民もその存在をハッキリと認識する様になり、翌年、1958年(昭和33年)10月には竣工、約一年半で完成してしまいビックリしました。
その当時、何枚かの写真を撮った記憶があり、古びたアルバムを繰ってみました。もちろん、白黒写真の時代のモノですが、二枚だけ残っていました。
父の蛇腹式カメラを借り、ネオパンSで撮ったベスト版の密着焼きです。白黒ながら退色していて細かなところは分かりませんが、雰囲気だけは伝わってきました。ネガフィルムも探せばあると思いますが、時間もかかりそうで、取りあえず紙焼きそのモノをスキャンしてみました。
撮影場所はタワーの真南方向、古川に架かる赤羽橋の北詰め付近です。一枚が1958年(昭和33年)1月20日、もう一枚が同年5月11日と撮影日付が記録され、この12月には早くも開業になっています。
この写真で見る限り、塔自体の建設が先で、展望台は後で工事が行われた様ですが、今となっては記憶にありません。しかし、半世紀もその姿を変えずに、芝公園の一角に立ち続けている 高さ333メートルの鉄塔ですが、地デジ完全移行後のために、更に100メートルほどアンテナ支持部分を継ぎ足す計画もある様で、まだまだ歳をとるヒマはなさそうです。