JACKIE

Beautiful Things in My Life

42.195km に挑む人達 Runninig is wonderful in my life

2008-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

オリンピック女子マラソンが日本時間8時半にスタートということで、

同じ時間帯に走りたいので、8時過ぎにジョギングに出かけた。

空と空気は確実に夏の終わりを表してくれている。

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この日は、いつも聞いているFMラジオもマラソンの実況だ。

ガンバレ、土佐!ガンバレ、中村!と心で叫びながら、走った。

2時間半走ってもいいのだが、やっぱりテレビを見たいので、

1時間で切りやめて、テレビ観戦をした。(ビール片手に。)

結果は残念なこととなったが、フルマラソンは本当に過酷で、走ってみないとわからないところがある。

私は走り出して、15年近くになる。ゴルフの飛距離アップのために、

足腰を鍛えようと始めたジョギング。

初めは、家から700メートルほど離れたところにある公園まで走って行って、

帰ってくるというものだった。

そんなんでも、息はゼエゼエ、ハアハアで、ジョギングと言えるものでは無かった。

それでも何で続いたのかというと、週に1回でもええか、というイージーさだった。

少しずつ、距離が伸びていった。週1回が2回になった。

始めて3ヶ月ぐらい経って、10キロ近く走れるようになった時、

公園で、近くの顔見知りのおじさんが、「京都のハーフマラソンに知り合いが出て、良かったらしいよ。出たらどう?」と言われた。

ええ!ハーフ? 21キロなんてそんなん無理。と、出場なんて考えてもみなかった。

、、

それから、3年後、フルマラソンに挑戦するぐらいになった。

すでに、ハーフマラソンを1時間42,3分で走れるようになっていたので、

3時間台でゴールできるやろうと、簡単に考えていた。

武庫川の河川敷を何回か折り返す、小さな大会だった。

快調に走り続け、半分の21キロを過ぎてもペースは落ちない。

それが、30数キロを過ぎたところから、異変が。

、、

大会に出て、初めて歩いてしまった。歩いていても気分が悪い。

病人のような状態になった。係員を探した。

いたら、棄権を告げようと思った。

小さな大会が幸いして、係員は見当たらない。

その時、ふと考えた。エネルギーが無くなってんねやと。

何か口に入れよう、と何分か歩いていたら、

パン切れが置いてあるテーブルがあった。

食欲は皆無だが、無理やりそれを口に含んだ。

それから、徐々に徐々に、力が沸いてきて、ゆっくり走れるようになった。

完全になめていた。もっと早く、元気なうちに何か食べなくてはいけなかった。

5時間近くもかかって、何とか完走できたが、にがい初フルマラソンとなった。

フルマラソンはあまりにもしんどいので、次は、大会を選ぼうと決めていた。

、、

そして6年後、アメリカ好きの私は、知り合いが居てるシカゴ市、シカゴマラソンを選んだ。

初マラソンの教訓で、歩くことなく感動のゴールを迎えることができた。

そして、走った距離は裏切らない。と。

こんな事、言わせてもらってええのん?

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。。

Medals_2

これは、私にとっては、金メダル。

その時は、自分で自分を褒めたい。と思った。