長野県の棚田

長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください。

棚田を通り抜ける風が(京都府・京丹後市・丹後町・袖志)

2008-06-12 08:19:23 | 近畿地方の棚田
ここは京都府・京丹後市・丹後町・袖志です。
「袖志(そでし)の棚田」です。
「日本の棚田百選」の一つです。



日本海のすぐそばだけに、どこからでも水平線が見渡せます。
のどかな棚田風景との対比がとても印象的です。



海の青さと空の青。
棚田を通り抜ける風が非常に清々しかったです。

棚田から美しい日本海を(京都府・京丹後市・丹後町・袖志)

2008-06-11 08:08:42 | 近畿地方の棚田
ここは京都府・京丹後市・丹後町・袖志です。
「日本の棚田百選」に選定された「袖志(そでし)の棚田」です。



棚田からは美しい日本海を望む事が出来ます。 
遠くに丹後半島の経ヶ岬が見えます。 
 


山々と日本海に挟まれた地域で、約400枚の棚田が拡がっています。
海岸線は若狭湾国定公園区域です。

青い日本海がすぐそこに(京都府・京丹後市・網野町・磯)

2008-06-10 08:15:23 | 近畿地方の棚田
ここは京都府・京丹後市・網野町・磯です。
「磯(いそ)の棚田」です。




京都の棚田の中でも日本海を真正面の望むことができる美しい棚田です。
青い日本海がすぐそこにあります。



思わずスケッチブックを取り出し、写生をする人がいました。



アザミの花が咲いていました。

「磯の棚田」の近くには静御前が祀られている静神社がありました。
静御前は毎日、磯の棚田を見ているのですネ

「田んぼ学校」(東京都・府中市・本町)

2008-06-08 17:13:27 | 田んぼの学校
ここは東京都・府中市の東京農工大学の田んぼです。
公募と抽選で集まった児童40組の「田んぼ学校」が始まりました。



開校式後に皆で田んぼに入りました。
初めての田んぼです。



NPO法人・市民と農業大学の学生の指導で田植え経験をしました。
慣れない手付きで、早苗を一本、一本植えました。



開校式の風景です。
熱心に聞き入ります。



田植えの後にバケツ稲(バケツ田んぼ)の作り方の指導です。
バケツ稲というのは、バケツで育てる稲のことです。
お母さんも熱心に聴いています。



大学生による田んぼの生き物の説明です。
漫画で分かりやすく説明しました。
大学生5名がボランティアで熱心に活動しています。
偉い!



すり鉢状の地形に沿って・・(大阪府・富田林市・甘南備)

2008-06-08 08:19:29 | 近畿地方の棚田
ここは大阪府・富田林市・甘南備です。
「甘南備(かんなび)の棚田」です。

「下赤坂の棚田」の近くには多くの棚田があります。
その一つが甘南備の棚田です。



すり鉢状の地形に沿って幾重の畦筋が緩やかな弧を描いています。
この棚田も下赤阪城の城郭の一つであったのでしょうか?



奈良県・大阪府の棚田の田植えは信州に比べて遅い様に思われます。
金剛山脈の懐には、まだ世の中に知られていない棚田があると思われます。

巾の狭い田んぼが階段状に・・(大阪府・千早赤阪村・森屋)

2008-06-07 06:42:45 | 近畿地方の棚田
ここは大阪府・千早赤阪村・森屋です。
千早赤阪村(ちはやあかさかむら)は、大阪府でただ一つの村です。
「下赤阪の棚田」です。棚田百選の一つです。



等高線に沿って巾の狭い田んぼが階段状に作られています。
多くは2~3条くらいの巾しかありません。



棚田が城壁の一部と考えることが出来る程、急です。

千早赤阪村内にはいたるところに棚田があり、四季折々にのどかな景色を楽しむことができます。

下赤阪城の城郭は棚田(大阪府・千早赤阪村・森屋)

2008-06-06 08:26:37 | 近畿地方の棚田
ここは大阪府・千早赤阪村・森屋です。
「下赤阪の棚田」です。棚田百選の一つです。



丁度、訪れた時に「畦塗り」「黒塗り」の真っ最中でした。



幾重にも階段状の棚田が40段ばかり続きます。
この地は楠木正成が築城した下赤阪城跡です。
下赤阪城は、丘陵の自然地形を利用して築かれた山城です。

下赤阪城の城郭は、棚田だった様に思われます。

棚田は伝統文化を生むのですネ(奈良県・明日香村・稲渕)

2008-06-05 08:28:22 | 近畿地方の棚田
ここは奈良県・明日香村・稲渕です。
神奈備(かんなび)の里です。棚田百選の一つです。



棚田の入り口には、飛鳥川を渡して「勧請縄」と呼ばれる大綱が張られていました。
集落の出入り口等にかけられ、集落に悪疫や災難が入ってこないようにするとか。



棚田に巨大案山子の桃太郎がありました。
堂々とした案山子です。
なぜ、明日香のこの地に桃太郎?
飛鳥川付近に、桃太郎のモデルとなった吉備津彦兄弟の父に当たる孝霊天皇の都、黒田廬戸宮があったとされいるためです。



「すすき」です。独特のわら積みです。
明日香村では「すすき」と呼びます。

棚田は伝統文化を生むのですネ!

今日は芒種(ぼうしゅ)です。
稲や麦の種を蒔く頃という「芒種」。

円形舞台を思い浮かべる棚田(円形舞台を思い浮かべる棚田)

2008-06-04 08:38:12 | 近畿地方の棚田
ここは奈良県・明日香村・稲渕です。
神奈備(かんなび)の里です。
「棚田百選」の一つです。



円形舞台を思い浮かべる棚田がありました。
舞台や観覧席があるように見えます。



明日香は大和の発祥の地です。
そのすべてが日本の歴史の始まります。
この棚田の円形舞台で卑弥呼女王が・・・・と思い浮かべます。



田植え前の棚田です。
棚田に綺麗な筋が描かれています。
のどかな時間の流れを感じさせます。


神奈備の里はまだ田植え前(奈良県・明日香村・稲渕)

2008-06-03 08:27:25 | 近畿地方の棚田
ここは奈良県・明日香村・稲渕です。
神奈備(かんなび)の里です。
「棚田百選」の一つです。



まだ、棚田は田植え前でした。
畦焼き、野焼きを行っていました。



稲床がありました。
かまぼこ型の白いビニールの中は苗床です。
田植え用の早苗が育っています。
野焼きの煙が見えます。



そ~そ~お
今、近畿地方をご案内中です。(緑の線の部分です)



棚田発祥地「高野山領荒川荘」(和歌山県・紀の川市・桃山)

2008-06-02 08:34:02 | 近畿地方の棚田
ここは和歌山県・紀の川市・桃山です。
「棚田のルーツをさぐる」ために和歌山県紀の川流域の棚田「発祥」地を訪ねました。



紀の川流域の棚田発祥地の「高野山領荒川荘」です。
1406年(応永5年)、高野山文章に棚田の存在が記載されています。



海老澤 衷氏(早稲田大学教授)の説明に聞き入りました。
熱心に資料を見ています。



現在は国道424号バイパス工事で埋め立てられ、その形跡は見ることはできませんでした。
忍法「棚田流心眼術」で現地を見ましたが・・・
思わず「う~ん~??」



前日はお勉強です。お勉強の風景です。
パネルディスカッション「棚田のルーツをさぐる」
コーディネーターは田中卓二氏(紀の川市農林商工部)
パネラーは全て地元の方々です。

シンポジウム・現地見学会は楽しい二日間でした。
紀の川市、かつらぎ町の役場の皆さま・関係者には大変お世話になりました。
お陰で、紀ノ川流域の棚田のルーツをさぐることが出来るとともに、地元の歴史を知り、地元の人達との触れ合いができました。
ありがとうございました。



根来寺です。



粉河寺です。

棚田発祥地「高野山領志富田荘」(和歌山県・かつらぎ町)

2008-06-01 06:31:21 | 近畿地方の棚田
ここは和歌山県・かつらぎ町・東渋田です。



「棚田のルーツをさぐる」ために和歌山県紀の川流域の棚田「発祥」地を訪ねました。
紀の川流域の棚田発祥地「高野山領志富田荘」です。
この地が建武3(1338)年に「棚田」があったことが高野山文書に記載されています。
「棚田」はこの紀ノ川の流域で生まれ、やがて全国に広まりました。
紀ノ川が蛇行しています。



高木徳郎氏(和歌山県立博物館)の説明に聞き入りました。
忍法「棚田流心眼術」で現地を見ると、昔の棚田が目の前に広がりました。



むかし棚田と思われる場所には、多くの桃の木が栽培されていました。
紀ノ川流域は桃、柿、蜜柑など果物の産地としても有名です。



前日はお勉強でした。お勉強の風景です。
シンポジウ「棚田のルーツをさぐる-文化財としての棚田-」に参加しました。
地元からも300名以上の参加者があり盛況なシンポジウムとなりました。
基調講演は海老澤 衷氏(早稲田大学教授)による「棚田発祥地としての紀ノ川流域」でした。