長野県の棚田

長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください。

鬼無里村・日影・樽地区の棚田

2005-06-24 08:29:02 | 棚田と山々
「鬼が居無い里」と書き鬼無里(きなさ)と読みます。
なぜ、鬼無里と言う名が付けられたのでしょうか?

むかし、むかし、村人をいじめる鬼女紅葉がいました。村人は立ち上がり、鬼女紅葉を退治し、平穏な里になったと伝わっています。
鬼無里には、西京、東京と言う名の集落や加茂神社、春日神社など京の都にちなんだ神社の名前が残っています。
この信州の奥深い、鬼無里が京の都との交流があったとはビックリします。
奥に見える山々は戸隠連峰です。
尚、鬼無里村は平成の大合併で長野市に編入されました。

今朝のNHKニュースで福岡県の高校生が田んぼの中で「雨乞い」をしていました。
高校生の願いが天に届きます様に



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5 コメント

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ホッとします (yama)
2005-06-24 10:07:17
私も今朝「雨乞い」のニュースを見ました。

最近の高校生が登場するニュースは気持ちが沈むものが多かったのですが・・・

今日の高校生たちの姿を見てちょっと気持ちが癒されました。

やっぱり一生懸命な若い子達はイイ!ですね。
研究テーマを早く決めたい (棚田耕作)
2005-06-24 20:23:58
父・一郎は今晩も晩酌です。「天よ開け、雨よ降れ!」と僕には分からない事を言っています。僕は大学のゼミが苦手です。6月中に研究テーマを決める様に仲間・教授からアドバイスを受けていますが、まだが決まっていません。父・一郎は「現場へ行き、お百姓さんと話してこい、町の農業振興課に訪ねろ!」と言うだけです。そのうち勇気を出して行きます。
鬼無里は、平和 (棚田見学)
2005-06-25 10:18:09
鬼無里へは、毎年、春と秋に「取材活動?」に出かけます。読んで字の如く、鬼に居ない村ですね。しかし、秋には、村の入り口で、「猿のお出迎え」を受けた事があります。

平和な村でした。帰り道には、「小川村のおやき」を買うのも楽しみの一つですね。

おやき (棚田耕作)
2005-06-25 21:51:51
棚田見学さん いつもありがとうございます。父・一郎はもうー寝ました。小川村のおやきは美味しいですネ!最近気がついたのですが、小川村・中条村・栄村等の北信のおやきは丸いですね?一方、松本・塩尻の中信は平のおやきですね? なぜかな???と思っています。これを研究テーマと思い、お父さんに聞きました。「おす(や)きな様に」との答えでした。ああーー 
紅葉について (紫竜)
2014-02-09 12:22:19
紅葉は、地元では貴女として語り継がれています。
進んだ文化を地元の人達に伝え、子供達に読み書きを
教えたりしていたそうです。
紅葉を成敗したのは、朝廷から派遣された将軍で、
地元の人達が立ち上がったなどと言う話はありません。

こういった話は、3世紀くらいから平安時代にかけて、
大和朝廷(現天皇家)が日本を統一する段階において、
それ以前の王朝(出雲王家)やそれに繋がる地方豪族
を攻撃した話を、体制側に都合よく伝えられた話です。
従わない者は「鬼」とされました。

安曇野の「八面大王」。岡山の「桃太郎に退治された鬼」
これらは皆そういった話です。

つまり、侵略戦争の正当化です。

どうかそういった歴史の裏側(真実)があるという事を
わかっていただきたくて投稿しました。

ちなみに、旧出雲王朝の末裔は、2千年近く、
未だに一子相伝でそういった怨みを語り継いでいます。