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茅葺の民家が点在していたことを覚えています。
確かに棚田がたくさんありましたが、当時は民家
ばかり注目していました。
棚田の景観を守りたいですね。日本の原風景、と
言ってもいいですね。
司馬遼太郎さんは晩年「土地問題」をしきりと考えておられました。棚田は「万里の長城に匹敵する」は名文句として記憶に残っています。
棚田一郎です。
梼原町には「茅葺の里」があります。
きっと、U1さんが若い頃に見た茅葺の民家があると思います。
棚田一郎です。
司馬遼太郎の本は若い頃に多く読みました。
今回の四国棚田巡りにあわせて「街道を行く」を読み直しました。
改めて読み直すと、司馬遼太郎さんの農民・農家に対する思いが伝わってきました。