庭のアチコチに自生しているこの植物(名称不詳:雑草ではないと思う)は、花もカワイらしいし、姉の好みでもあるので、適当に間引きをしても残すよう気を付けて草取りをする・・・今の時期、放置していた鉢に自生したものが、結構、イイ感じに紅葉して目の保養となっている。
カール・マルクス著「資本論」をTV番組で聞きかじっている(我が視力の問題で、実際に読書する事が容易でないとかこつけて、毎度の如く、怠慢を享受しているだけだが・・・)。
難しい事は、とりあえず、傍らに置いて・・・19世紀中、既に資本主義の問題点を問うていることに、純粋に感心し興味を持った。
特に、現代声高に叫ばれている「イノベーション」を追求すると「ブルシットジョブ(くそどうでもイイ仕事と訳すらしい)」が増え、労働者は労働に対して思考が停止し機械の部品化する・・・という見識は、「うん!うん!」と頷けるものがあった。
先日(21日)忘年会と称して会食した友人とは、1960年代に、同じような金融関係の会社に就職し、何かと環境が一致するから、割合、話題に登場する機会も多いが、その席でも、かつて勤務した時代は、金融界と雖も、まだ、事務処理の機械化・デジタル化は進んでいなくて、殆どが手作業のアナログ処理だった為、確かに問題点もあっただろうが、自分自身が前向きに勉強し研鑽して改善も出来るという環境だったように思うし、業務は忙しかったが、とても仕事に前向きだったという記憶を持っている・・・私達は、案外、いい時代に生きて来たんだよね・・・と、懐かしく語り合ったばかりだった。
機械の部品化する一歩手前を体験した、単なる「老人の懐古趣味」なのかも知れないけれど・・・
で、「資本論」では「労働の疎外」を解決するのは、「構想」と「実行」が分離した現代の労働を「統一」する事だそうだ・・・素人である私が考える(到底、及びもつかないが)と、昔に戻れって事なの?と、何か、納得できない気もするが、「資本主義」が行き過ぎているという感じはあるから、修正に値するものがあるのだろうな。
そう言えば、ちょっと前の出来事で、ネット回線に不都合が生じ、世間(私を省く)が混乱し買い物等が出来なくなった時、専門家なる人にその対処法を問うたところ「現金を手許に置く」と答えた事が思い出された・・・どんなに「イノベーション」が進もうと、最終的には「アナログ」が勝つのだ!・・・と、ど素人には力を得た思いであるが、一方で、だから一層取り残されるのだ・・・とも思うよね。