原題は「不死の回廊」。
1943年1月18日、独軍の包囲下にあったレニングラード市内で、「ソビエト軍が包囲網を破り解放した」との市街放送が流れ、歓喜の声を上げる市民。しかし、実際にはラドガ湖沿岸の幅4~8㎞の「回廊」が開かれただけで、市民に必要な物資を運び込むには、これでは全く不十分でした。
レニングラードの最高指導者、軍事評議員のジダーノフ中将は、この「回廊」に、鉄道敷設を命令します。
200万市民を餓死から救うためには「回廊」の鉄道建設が不可欠。総動員態勢により17日で鉄道は開通しますが、それは独軍監視のの至近距離を通過する危険なルートで、「死の回廊」と呼ばれていました。
その頃レニングラード市内では、女学生のマーシャ(アナスタシア・ツィビゾワ)とソーニャ(スヴェトラーナ・カツァガジヴェヴァ)が軍隊に徴用されていました。音楽を学ぶ二人は軍の楽団への入隊を希望しますが、それはかなわず第48鉄道隊への配属を命じられます。彼女たちの鉄道隊での生活が始まります。二人に与えられた仕事は、鉄道の建設に従事すること。
二人は市民たちと共に森に入ると木を切り倒し、野宿して作業を続け、鉄道ルートを切り開く労働に従事し、4月に列車は孤児院の子供たちと、軍の機密貨物を載せレニングラードを出発しますが・・・。
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