シネマの森の迷走と探索

FBに投稿した映画作品紹介を整理し、再掲します。

☆は「満足度」(☆5個満点、★で補足)。

デヴィット・リーン監督「逢びき(Brief Encounter)」(イギリス、1945年)☆☆☆☆

2019-11-29 21:42:04 | イギリス


この作品は、中年の人妻ローラ・ジョンソン(シリア・ジョンソン)と医者アレック・ハーベイ(トレーヴァー・ハワード)との行き場のない愛をテーマとした佳作です。家庭のある女性の平凡な日常に生まれた束の間の愛情がテーマです。

原作と脚本はイギリスの著名な劇作家、ノエル・カワード。きざな会話や劇的な場面はひとつもないですが、それゆえにありふれたメロドラマに終わらなかった叙情詩です。

効果的に流れるラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の旋律。人々が往来するミルフォード駅の喫茶室の風景。蒸気機関車の黒い車体と汽笛。二人の関係が容易ならざるものに向かって行くことを伝える画面展開。デヴィット・リーンの巧みな演出とそれに応えた二人の名優によって生まれた作品です。

蛇足ですが「逢びき」の送り仮名は、本来は「逢いびき」でしょうが、日本公開時から前者が用いられたため、関係するメディアでは、いまでも公開時の題名がそのまま使われています。
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三上智恵監督「標的の村」(2013年)を観ました。☆☆☆☆

2019-11-15 21:44:29 | 日本・2000年~
沖縄への新型輸送機「オスプレイ」配備に反対する闘いを描いた映画です。「オスプレイ」は、2012年9月、多くの国民の懸念と反対をよそに、まず岩国へ、そこから沖縄に配備されました。しかし、とくに9月29日の強行配備前夜、反対する沖縄の人々はアメリカ軍普天間基地のいくつかあるゲートの前で身を挺して完全封鎖しました。この闘いの全貌を、地元テレビ局の報道関係者が記録していました。

強制排除にあたる警察官が非道な撤去を行うのですが、米軍統治下の苦しみを知る老人、東村・高江で日々米軍の演習で生活を脅かされている家族、彼らを支援する多くの人びとは連帯して腕を組み、断固たる抵抗を示したのです。画面には次々と理不尽なシーンが映ります。

権力の暴挙と横暴がまかりとおる沖縄。そこで何が行われているかは、ほとんど国民に知らされていません。この映画は、それを白日のもとにさらし、沖縄の真実を訴えています。
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小栗康平監督「泥の河」(1981年、105分)☆☆☆☆★

2019-11-10 11:24:35 | 日本・1980年~
  

「泥の河」は宮本輝の同名の小説の映画化です。

昭和31年。舞台は大阪。安治川の川べりでうどん屋を営む家族がいます。男の子がひとり。名前は信雄(朝倉靖貴)。そしてその父母、晋平(田村高広)と貞子(藤田弓子)。ある日気づくと、お店の近くに船宿が浮かんでいました。船のなかでは、男女の子ども姉弟が二人と母親(加賀まり子)が生活していました。男の名前は喜一(桜井稔)、女の子の名前は銀子(柴田真生子)。

ストーリーはこのうどん屋の子どもと船宿の男の子が仲良くなり、その交流という流れで進みます。とは言っても、船宿は、噂によれば、行ってはいけないところのようなのです。

天神祭りの日。すっかり仲良くなった信雄と喜一は、お小遣いの50円を握りしめて出かけますが、喜一はそのお小遣いを雑踏のなかで落としてしまいます。運悪く、あずかっていた信雄のお小遣いも一緒になくしてしまいます。

しょんぼりした喜一は、信雄を船宿に招き、自慢の泥の河につっこんだカニの巣をとりあげ、たくさんのカニを得意げに見せます。喜一はカニの甲羅にランプの油を塗ってマッチで火をつけて遊びます。そして・・・・最後のシーンが悲しいです。
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アーヴィング・ラッパー監督「アメリカ交響楽(Rhapsody in Blue)」(アメリカ、1945年) 

2019-11-09 23:21:23 | アメリカ・1940年~


アメリカに生まれ、38歳で脳腫瘍のため亡くなったブロードウェイの作曲家ジョージ・ガーシュイン(ロバート・アルダ)の生涯を映画化した作品です。原題は「ラプソディー・イン・ブルー」で、彼の代表作品です。

ジョージの人生の喜びと苦悩、彼を中心とする家族、友人とのつながり、ジョージが目指し、作り上げた音楽とその環境などを知ることができるだけでなく、音楽、踊りがふんだんに盛り込まれ独特の音楽的香りを持った作品です。

アル・ジョンソン、ポ-ル・ホワイトマン、オスカー・レヴァントなどのジャズ演奏家本人が出演しているほか、俳優が扮してですがラヴェル、ハイフェッツ、ラフマニノフなどクラシック界の大御所も出てきます。音楽ファンにはたまらないです。

最後のシーン、ジョージの死がコンサート会場に伝えられ、友人のオスカー・レヴァントが追悼の気持ちをこめて The Rhapsody in Blue をピアノ演奏しています。ジュリーの顔、そして生涯独身であった生前のジョージの演奏姿が重なります。
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パーシー・アドロン監督「バグダッド・カフェ」(西ドイツ、91分、1988年)☆☆☆★★

2019-11-08 23:38:58 | ドイツ
 


なんともいえぬ、ニュアンスのある映画です。
 
舞台はアメリカのラスベガス近郊のモハーヴェ砂漠のなか。ひなびたカフェがあります。そこで偶然に出会った奇人・変人(?)、とくにジャスミン(太めのドイツ女性)という女性と宿泊所の女主人とその子どもたちとの確執と心の交流が、この作品のテーマです。こういう映画もあり、と思います。
 
そこはモーテル(簡易宿泊)です。仕切っているのは、ブレンダ(CCH・パウンダー)という女性です。夫と喧嘩のすえ、追い出しました(逃げていった?)。
 
カフェに太めのドイツ女性がひとり、とぼとぼ荷物を引いてやってきます。あてどもなくここに来た様子です。名前は、ジャスミン(マリアンネ・ゼーグブレヒトが)です。わけあり人生を背負っている様子。
 
映画の冒頭に、夫と一緒にラスベガスを目指していたのに、ささいなことで言い争いになり、車から降ろされ、おいてけぼりになったシーンがあります。砂漠のど真ん中で。やっと歩いてこのカフェにたどり着いたという感じです。
 
宿泊所に泊まりこみ、長居するジャスミン。この怪しげな女性に落ち着かないブレンダ。
 
次第にジャスミンはカフェにたむろする人たちとなじんでいきます。覚えたマジックで人気を博し、噂を聞いて、お店に来る人も増えます。お店が繁盛するのであれば、ブレンダも悪い気持ちはしません。彼女への不信感も徐々に消えていきます。
 
しかし、突然・・・。ジャスミンに不法就労の疑いが・・。
 
話は筋だって、きちんと進んでいくわけではなく、奇妙な感覚でシーンが展開します。カットが短く、意表をついてくるので、目をはなせません。
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小栗康平監督「伽倻子のために」(1984年、117分)☆☆☆☆

2019-11-06 11:28:52 | 日本・1980年~


李恢成氏の同名の小説が映画化されたものです。
 
昭和33年の晩夏。大学生の林相俊(呉昇一)は、北海道の森駅に降り立ちます。父の親友の松本秋男(浜村純)に再会するためでした。父は樺太からの引き揚げ者でした。松本の妻はトシ(園佳也子)、二人は伽倻子(かやこ)(南果歩)という高校生と同居していました。伽倻子は二人の子ではありません。本名は美和子で、敗戦の混乱期に日本人の両親に棄てられた少女でした。

相俊は解放(日本の敗戦)後、父の奎洙(加藤武)、母の辛春(左時枝)、兄の日俊(川谷拓三)らと日本に留りましたが、自分が朝鮮人であることに確信がもてず、屈折した心をもっていました。貧しい東京の下宿生活の中で相俊は、在日朝鮮人二世の存在であることに矛盾を感じながら、伽倻子を思い出していました。

翌年、早春の北海道でふたりは再開し、心を通わせます。この映画は、二人を中心にしたドラマとして、静かに展開していきます。
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小津安二郎監督「秋日和」(1960年、128分)☆☆☆★

2019-11-03 10:57:51 | 日本・1960年~


夫を亡くした妻・三輪秋子(原節子)とその娘・アヤ子(司葉子)の縁談をめぐる世話ばなしです。

三輪の友人、間宮宗一(佐分利信)、田口秀三(中村伸郎)、平山精一郎(北竜二)は居酒屋で酒をくみかわしては、美人の秋子の再婚、アヤ子の縁談を酒のつまみにしています。

三人は間宮が推薦する後藤(佐田啓二)がアヤ子に似合いと考えますが、アヤ子は母・秋子が心配で結婚を考えようとしません。

そうとわかった3人は秋子の結婚が先決と判断し、妻を亡くして独身の平山に話を向けます。

そんな話がアヤ子の耳に入り、彼女は母に怒りの矛先を向けます(実はこの噂は秋子自身も知らないのですが)。それをなだめる友達の百合子(岡田茉莉子)。そして百合子は噂の根源である3人、間宮、田口、平山に抗議の行動をおこします。

娘のアヤ子と冷戦状態の節子は、ある決心をします。
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アンリ・ヴェルヌイユ監督「ヘッドライト(Des Geno Sans Importance)」(フランス,1956年)☆☆☆☆

2019-11-02 21:45:24 | イタリア


親子ほどにも年が違う男女にも愛は生まれます。純粋そのものの愛です。何の打算もそこにはありません。

しかし,社会,家族の制約は超えられません。束の間の幸せは,長続きしません。不幸がはりついている一時の幸福。

人生は万人に平等ではなく,不公平にできているのではないでしょうか。貧しい者には,幸福を味わうことも,限られた範囲でしか認められないのでしょうか。

この映画は,初老のトラック運転手ジャン・ヴィアール(ジャン・ギャバン)と街道の宿屋を兼ねた居酒屋「ラ・キャラバン」の若い娘クロことクロチルド(フランソワーズ・アルヌール)との哀しい愛の物語です。原題は「取るにたりない奴ら」。

ジョゼフ・コスマのメロディは,貧しい生活者の人生のはかない喜びと哀しみを切々と訴えるように流れます。
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