シネマの森の迷走と探索

FBに投稿した映画作品紹介を整理し、再掲します。

☆は「満足度」(☆5個満点、★で補足)。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督「ニュー・シネマ・パラダイス (Nuovo Cinema Paradiso)」(イタリア、1989年)☆☆☆☆★

2019-09-28 10:40:41 | イタリア


ストーリーは?

舞台は第二次世界大戦後のシチリアのある小さな村です。人々の娯楽といえば、村の映画館、パラダイス座で上映される映画を観ることぐらいです。この映画館では初老にさしかかった、一見、気難しいが、映画をこよなく愛するアルフレード(フィリップ・ノワレ)が撮影技師として、働いていました。

同じ村に住む少年トト(サルヴァトーレ・カシオ)ことサルヴァトーレ・ディ・ヴィータは、映画が大好きでパラダイス座で上映される映画見たさに、母親の目を盗んでは映画館へ通っていました。

アルフレードはトトに、かつては手回しで映写していたため摩擦でフィルムが発火したこと、皆が映画を見て笑っていると自分が笑わせたようないい気分になると話しをする一方、「つらい仕事だから、お前にはさせたくない、グレタ・ガルボやタイロン・パワーに話しかけても答えは返ってこない寂しさがある、大きくなったらこんな仕事についてはいけない」と諭すのでした。「みんなが楽しんでいるのを見るのは素晴らしい。しかし、この仕事はそれ以上に孤独な仕事だ」と。

時は経過し30年後。立派な映画監督となったサルヴァトーレ[トト](ジャック・ペラン)のもとに、アルフレードが亡くなったという報せが届きます。アルフレードの葬式に参列するために島へ戻った彼は、新しいパラダイス座が廃館となったことをしります。

旧きよき時代の映画館を舞台に、映画を心から愛した人々の人間模様を描いた秀作である。
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ヘンリー・コスター監督「オーケストラの少女(One Hundred Men and A Girl)」(アメリカ、1938年)☆☆☆☆

2019-09-24 23:14:45 | アメリカ・戦前
 
天才少女歌手と騒がれたダイアナ・ダービン、指揮者で当時の最高権威であったレオポルド・ストコフスキー、そしてフィラデルフィア交響楽団が出演し話題となった作品です。全編に少女の希望と行動、人間の善意が溢れ、心が温まります。原題は「100人の男と少女」。

冒頭、レオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア交響楽団によるチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」第4楽章が流れます。
失業中のトロンボーン奏者、ジョン・カードウェル(アドルフ・マンジュー)を父に持つパトリシア[愛称パツィ](ダイアナ・ダービン)は、父に再び楽団で演奏できる機会をつくってあげたいと願っていました。ジョンはいくつかのオーケストラに楽団員として雇ってくれないかと頼みにまわっていましたが、どこにも相手にされません。しかし、フロスト夫人が失業者楽団を結成し、ジョンもそこに加わります。

パツィは一計を案じ、楽団の指揮をストコフスキーに依頼しようと奔走します。ストコフスキーがオーケストラのリハーサルをしている場所に乗りこみ、パッツイはそこでモーツァルトの「ハレルヤ」を歌い、交渉のきっかけを得ます。しかし、ストコフスキーには既に半年間の欧州旅行の予定が入っていて、失業者楽団の指揮は断られます。しかし、パツィは粘り強く交渉します。

パツィの強引なやり方に、当初は不快感を示していたストコフスキーでしたが、熱意にほだされ、失業者楽団がストコフスキーの前で「ハンガリー狂詩曲第2番」を演奏すると、彼の手がしだいに動き出し、やがていつもの力のこもった指揮をとりはじめます。

ストコフスキーは少女の願いを全面的に受け入れ、楽団員はホールで彼の指揮のもと、感激で胸一杯の演奏をしました。パツィはストコフスキーに挨拶を求められます。その時、聴衆のタクシー運転手から「歌ったらどうだい!」と声がかかります。幸運を感謝し、喜びの涙で頬を濡らしながらのトラヴィアータを歌う少女パッツィ。いつまでも胸に残る感動的なラストシーンでした。
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リュイス・マイルトン監督「西部戦線異常なし(All Quiet on Western Front)」(アメリカ、1930年)☆☆☆★

2019-09-19 10:29:29 | アメリカ・戦前


原作はレマルクの同名の小説です。戦争経験のない老教師に扇動された血気盛んな青年ポール(リュー・エアーズ)は前線で非人間的状況、死の恐怖に遭遇し、戦争そのものに疑問を持ちますが、最後に戦地であっけなく死んでしまうという悲惨な物語です。

戦争の非人間的性格、残酷さ、悲惨さを浮き彫りにした作品です。蝶にむかってのびた兵士の手が一発の銃声で力を失っていくさまを捉えたラスト・ショットは、静かな反戦の表現ですが、衝撃的でもあります。

ポールが休暇で家族のもとに帰ったおり、かつて妹と一緒に蝶を採集し、それを標本として飾ってある部屋で二人が過去を降りかえる場面があります。ポールは最期の一瞬、そのことを思い出したのでしょうか?

反戦的な言辞が前面に語られるわけではありませんが、全編をつうじて戦争の悲惨さが見るものにひしひしと伝わってくる秀作です。
第3回(1929年-30年)アカデミー賞作品賞、監督賞受賞。
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ジョン・アブネット監督「フライド・グリーン・トマト(Fried Green Tomatoes)」(アメリカ、1991年)☆☆☆★

2019-09-18 10:44:33 | アメリカ・1990年~
 
1920年代から30年代の女性の友情と60余年後の老女と中年の女性の交流、そして老女の友情が倦怠期にある女性の行き方を変えていくという、興味尽きないテーマをつきつけた映画です。二人の俳優、ジェシカ・タンディとキャシー・ベイツの絶妙な演技が印象的です。

フライド・グリーン・トマトは、老女がかかわっていたカフェのメニューのひとつです。
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ジャック・ドワイヨン監督「ポネット(Ponette)」(フランス、1996年)☆☆☆

2019-09-16 22:22:11 | フランス


4才の女の子ポネット(ヴィクトワール・ティヴィンソル)が母の突然の事故死を現実的に受け入れるまでを描いた物語です。

舞台はプロヴァンスのある村。母親を自動車事故で失ったポネットは死の意味が分かりません。いつかママに会えると、おまじないやお祈りをするポネット。ポネットは、その同じ事故でケガをし、左手にギブスをつけ、ヨヨットという大切な人形をいつも手にしていました。
父親は最初、ポネットに「ママはひどいケガで死ぬかもしれない」と死を隠していますが、そのうち「ママは死んだ、分かるよね」と諭します。

ポネットは、母の死を受け入れることができません。ママとおしゃべりをし、ママと遊びたいのです。そのためにいろいろな努力をします。父親はそんなポネットに「ママを待つなんて少しおかしいぞ。神様なんていない。神様は死んだ人たちのもの。ママに神様とイエス様とお話しさせてあげなさい。おまえは命のある世界、パパたちの世界に住んでいるんだ」と説明します。

ポネットはそれでも納得せず、ママと会うてだてを考え、おまじないを唱えたり、小さなプレゼントを探したりします。目をつぶってのお祈りもそのひとつです。「全能の神様、ママは死にました。神様と一緒のはずです。でもママとお話がしたい。がんばったのに話せません。全然こたえてくれません。お話するように伝えてください」。そして、「私がお祈りしたことを伝えてくれましたか。ママと神様のた
めに祈りました。病気ではないけど、ベッドでまっています。こうすれば誰も気づかずに秘密にできます」と言うのでした。

ママと話しをしようと、様々な努力を試みるポネットは何も変わらない現実に悲しくなり、とうとうママのお墓に一人で行きます。お墓に花をそなえ、墓標をみつめ、そのうち手で土をほり始めるポネット。

そこにママが現れます。幻想です。ママはポネットに事故死したことについて、また生き方について語り始めます。

この映画を評してある評論家は次のように言っています。主演の「女の子もまた、ポネットを演じることで、新しい言葉を獲得していったのだろう。それでもなお、その子どもは。大きくなったとき、自分が四才のときにポネットを演じたことを思い出せなくなるだろう。“7才までは神のうち”とはそういうことなのである。まさにこの映画は、四才の子どもだけが演じることが出来た奇跡のような物語なのだ」と(川本三郎)。同感です。
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ジェームス・アイボリー監督「日の名残り(The Remains of The Day)」(イギリス、1993年)☆☆☆☆★

2019-09-15 23:01:04 | イギリス


原作はノーベル賞作家、カズオ・イシグロの同名の小説です。

3つの見どころがあります。一つ目は、執事スティーヴンスと女中頭ケントンとの実ることがなかった密かな愛。二つ目は執事の折り目正しい仕事の内容が丁寧に描かれていること。三つ目はダーリントン卿の館で要人の間で秘密裏に議論される第一次世界大戦後の国際情勢です。これら三つの要素が見事に調和しています。

舞台は1950年代のイギリス。今はアメリカの大富豪ルイスの執事を勤めるスティーヴンスは、かつてはナチのシンパであった名門貴族ダーリントン卿につかえていました。ナチのシンパだったことから戦後、ダーリントン卿が世間から糾弾され失意のうちに世を去った後、アメリカの大富豪ルイス氏がその邸宅を買い取り、スティーヴンスは執事としての才能をかわれ、邸宅にとどまっていたのです。

新しく女中頭を雇うにあたり、スティーヴンスはかつてその邸宅で女中頭として働いていたケントンに来てもらうべく、一人車に乗ってウェスト・カントリーへ向かいます。道すがら、彼は1930年代のダーリントン卿の邸宅を回想します。

登場するのは執事として働くスティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)、女中頭として雇われたケントン(エマ・トンプソン)とスティーヴンスの父。ダーリントンを名づけ親とする彼の親友の子供で新聞記者のカーディナル(ヒュー・グラント)。ドイツ、フランス、アメリカの要人。そして邸宅の大勢の従僕、使用人たちです。

この映画は「女と男の愛情」のひとつの形を示しただけでなく、1930年代後半のヨーロッパの国際情勢を視野に入れ、ダーリントン邸で開催されたドイツに対する外交姿勢をめぐる会合がエピソードとして取り込んでいます。

映画の品位を感じます。
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ラディスラオ・バホーダ監督「汚れなき悪戯(Marcerino Pan y Vino)」(スペイン、1955年)☆☆☆★

2019-09-14 11:08:59 | スペイン
スペインのある村では「パンとワインのマルセリーノ」を毎年、祝います。その伝統にまつわるお話です。捨て子で修道院で育てられ「ママに会いたい」少年の無垢の魂が奇跡を呼ぶというのがストーリーです。

ある映画評論家(双葉十三郎)はこの映画を「民芸品のような作品」と評しましたが、あたっています。

原題は、「パンとワインのマルセリーノ」。パンはキリストの肉を、ワインは血を、登場する12人の修道僧は弟子の12使徒を象徴しています。

神父が、マルセリーノをお祝いするお祭りの日に、この映画の内容を村の病気の女の子とその両親に話して聞かせるところから始まります。男の子の無垢な魂が天国へ召されるまでを、パブリート・カルボ少年は演じました。それはあるときは母を思う気持ちであったり、あるときは信仰への最初の一歩であったり、あるときは無邪気な悪戯であったりです。

マルセリーノの歌も心に沁みます。

ベルリン国際映画祭(1955度)金熊賞。
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ジャン・ルノワール監督「フレンチ・カンカン」(フランス、1955年)☆☆☆☆

2019-09-12 10:55:44 | フランス


ナチスから逃れて長くハリウッドにとどまったジャン・ルノワール監督(有名な画家のルノワールの息子)が帰国後、最初に着手した作品です。

フレンチ・カンカンは、19世紀後半にパリで人気を呼んだショーダンスの一種です。速いテンポの二拍子、または四拍子の曲にのって女性がスカートをたくし上げ脚を交互にあげたり、開いたり、随所に見せ場をつくりながら踊ります。とにかく華麗で激しい踊りです。この映画の舞台であるモンマントルにあるムーラン・ルージュは、パリ万国博覧会のあった1889年にオープンしました。現在も花の都パリの名所です。
この作品は、ベル・エポック(良き時代)にパリでカンカンの殿堂であるムーラン・ルージュを開業した興業主ダングラール(ジャン・ギャバン)を主役に、踊り子同士の確執をおりまぜたものです。

ダングラールは、ムーラン・ルージュの創始者、シャルル・ジードレルがモデルですが、ルノワール監督は実像に拘泥せず、フリーハンドでこの映画を作りました。

舞台は19世紀後半のパリ。ダングラールは下町のダンス・ホール「白い女王」で妖精のように踊るニニ(フランソワーズ・アルヌール)を見こみ、彼女をダンサーとしてスカウトします。そして、カンカンを売り物とした殿堂の開業準備を進めます。話はそこから始まります。
カラフルな画面。登場するシャンソン歌手の歌を楽しめます。エディット・ピアフ、パタシュ、アンドレ・クラボなどなど。これぞフランスとでもいうべき雰囲気が横溢しています。陽気で明るいフランス人気質もよく出ています。
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ヴィクトル・エリセ監督「ミツバチのささやき(El espiritu de La colmene)」(スペイン、1973年)☆☆☆☆★

2019-09-11 22:18:55 | スペイン


原題は「ミツバチの巣箱の霊」。

アナとイザベルの姉妹とその父母を中心に、話しは展開します。この映画がフランコ独裁政権のもとでつくられたこと、検閲をパスするための配慮がなされていることなどを知らないと、ストーリーは分かりにくいと感じるかもしれません。

詩情豊かなスクリーンに抵抗の精神が息づいています。フランコ将軍を継承するスペイン独裁体制は、この映画が発表されてから2年後の1975年11月に崩壊しました。

1940年ごろのスペイン、カスティーリャ高原の小さな村、オユエロスが舞台。1940年という時代は、非常に重要な年でした。この前年3月、フランコ・ファシスト軍の攻撃でマドリッドが陥落、スペイン人民戦線が敗北し、フランコ独裁体制が成立したからです。緊迫した時代状況が背景にあったのです。

この村に巡回映画がきて、これを楽しみにしていた子どもたちはボリス・カーロフ主演の「フランケンシュタイン」(1931年)を見ました。映画の内容は人間を創造しようとした科学者の話しですが、怪物がかわいい少女と出会い一緒に花をちぎって水面にまき、怪物が少女を殺してしまうシーンに子どもたちは恐怖をおぼえます。6歳の少女アナ(アナ・トレント)は姉のイサベル(イサベル・テリェリア)に、怪物が少女をなぜ殺したのか、なぜ怪物も殺されたのかを、家に帰ってから寝床の中で聞きます。

イサベルはフランケンシュタインが精霊で、精霊は生きていること、フランケンシュタインも死んでおらず、村はずれの一軒家に隠れていて、友達になって、わたしはアナですと名のればいつでも話しができると答えます。アナはその話を真に受け、時機を見計らっては、村のはずれにある井戸のある廃屋にいくようになります。

ある日アナがその廃屋に行くと、負傷した逃亡兵士がいました。彼は反フランコ側の脱走兵でした。兵士を精霊と思いこんだのか、アナは彼にリンゴをわたし、家から父のコート、靴やオルゴール付きの時計を持ってきて手渡します。

しかし、後日、兵士はフランコ側の警察に射殺されてしまいます。警察に呼び出された父は、兵士の遺留品に自分のコートやオルゴール付きの時計があることを知らされます。

廃屋にいるところを父に見つかったアナは咎められ、そこを逃げるように一人立ち去りました。夜になって、池のほとりでフランケンシュタインにあいまし。「わたしはアナ、わたしはアナ」。アナはその後、倒れていたところを家族に救われますが、衰弱で床に伏します。

架空のフランケンシュタインの話しは、現実の脱走兵の事件と交錯します。映画に登場する怪物フランケンシュタインは反体制側の象徴であり、脱走兵も反体制側の人間です。当時の独裁体制側にとっては恐ろしい怪物とみなされた反フランコ派、反ファシスト派は、純粋な少女には心暖かく、優しい存在でした。
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フランソワ・トリュフォー監督「大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups) 」(フランス、1959年)☆☆☆★

2019-09-10 22:11:45 | フランス


原題は直訳では「四百の打撃」です。1950年代後半にフランスに起きたヌーベルバーグ(新しい波)の記念碑的作品です。トリュフォーは、この映画をとったとき、27歳でした。

12歳の少年アントワーヌ・ドワエル(ジャン・ピエール・レオー)は狭いアパートで邪険な母(クレール・モリエ)と継父(アルベール・レミー)との三人暮らし。 幼かった頃、アントワーヌは両親の喧嘩から彼が未婚の母親の子で、母が中絶するかどうかで祖母と口論になり、祖母の口添えで生まれたとの事実を知っていました。生まれてこの祖母のもとに里子にだされた彼は八歳の時に両親のもとに引き取られましたが、親は子育てに関心がなく、つまらないことで始終子どもを叱りました。

アントワーヌの家庭はまずしく、そもそも「家庭」という環境がありません。いきおい、学校もさぼりがち。楽しくありません。

何気ない大人の言動が知らず知らずに子どもの心を傷つけ、寂しさに閉じ込めていくことをこの映画は、訴えています。警察から護送車で少年審判所に送られるとき、アントワーヌは夜の街の様子をじっとながめています。何とも言えない寂しげな顔が印象的です。

また、最後刑務所からの脱走のシーン、夢中で走って逃げて海岸にたどりつきますが、そこでアントワーヌの顔がストップモーションで大写しになります。その眼差しは寂しげで、心の空白を訴えているようであり、何かを求めてすがるようでもあります。

アントワーヌ少年の多感な心情がみずみずしく詩的に引き出され、余韻の残る映画です。

トリュフォー監督自身の少年時代を想起させる内容の映画と言われています。
第12回(1959年)カンヌ映画祭監督賞。

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エリア・カザン監督「草原の輝き」(アメリカ、1961年)☆☆☆☆

2019-09-08 22:46:52 | アメリカ・1960年~


厳格な権威、古いモラルと、秘められた若い恋人同士の愛との相克。若者の愛、性、モラルについて真摯な問題提起をした注目すべき作品です。

タイトルは、イギリスの詩人ワーズワースの詩句からとったものです。映画のなかで主人公のディーニー(ナタリー・ウッド)がこの詩を朗読する場面があります。共演男優はウォーレン・ベイティ。

Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass、of glory in the flower、 we will grieve not. Rather find strength in what remains behind.(草の輝くとき 花美しく咲くとき/再びそれは還らずとも 嘆くなかれ/その奥に秘められた力を見出すべし)
 
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ヒュー・ハドソン監督「炎のランナー」(イギリス、1981年)☆☆☆☆★

2019-09-07 10:36:11 | イギリス


イギリスの短距離界で名をなした二人の実在のランナー、ハロルド・エイブラハムズ(ベン・クロス)とエリック・リディル(イアン・チャールスン)が、ライバル心を燃やしながら1924年のパリ・オリンピック大会で100m走と400m走で金メダルを獲得するまでの過程を描いた作品です。

二人が全く異なる境遇にあり、別の価値観と人生観を持って走ることを浮き彫りにしたことで、奥の深い人生ドラマになっています。

単なるスポーツのヒーローの話ではなく、「国家と信仰の自由、言いかえれば国王や国に服従してその栄誉のために走るのか、それとも神に従って自由を喜びながら走るのか、そのどちらを選択するのか」という問題に直面し、結局、信仰に誠実に生きたエリックの世界観、人生観が感動を呼びました。
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ヴィットリオ・デ・シーカ監督「自転車泥棒」(イタリア、1950年)☆☆☆☆

2019-09-01 09:42:47 | イタリア


戦後のイタリア。生活苦に喘ぎながらも懸命に生きる家族,そのなかの父と子に焦点をしぼって描いたイタリア・ネオ・レアリスモの代表的作品。

登場人物は俳優ではなく,素人ばかり,主演の父親役をこなしたランベルト・マッジョラーニは無名の機械工でした。困窮のなかに生きる庶民の生活と感情とがリアルに,真摯に映し出され,必見の映画だと思います。
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