帝銀事件とは、1948年(昭和23年)1月26日に豊島区長崎の帝国銀行椎名町支店でおきた銀行強盗殺人事件。本作品は事件そのもののシーン、その後の犯人を陸軍731部隊関係者として追求を進めるも突如GHQの介入によって捜査打ち切りとなる過程と画家・平沢貞通を犯罪者とする過程とを克明に描き出しています。 (現在の司法の論理にてらすと、「冤罪」です! 本作品はそのことを示唆しています)
上記日付の午後3時すぎ(閉店直後)、帝国銀行椎名町支店に中年の男が訪れ、東京都衛生課、厚生省医学博士の「名刺」を出し、赤痢の予防薬として、行員たち16名に白濁の液を飲ませます。数分後、行員たちは苦悶、悶絶。犯人は、現金、証券を奪って逃走。
被害者のうち12名が死亡。毒物の捜査班は、犯人が使ったのは青酸性化合物で、それは終戦直前、陸軍731部隊で極秘裡につくられ人体実験に使われた毒物であることをつきとめます。
昭和新報の敏腕記者、大野木、笠原、武井らが動きます。武井は731部隊の生き残り将校佐伯に会い、毒物について、追求しますが、佐伯は明かしません。デスクの大野木は、その直前GHQのバートン主席から、731部隊の追求をやめることを言い渡されます。
他方、国木田警部補ら名刺捜査班は、名刺の所有者でモンタージュ写真に似た画家平沢貞通を逮捕します。事件直後、高額の預金していた事実が判明したのです。しかし写真照合で、彼を犯人と言いきる者は一人もいませんでしたが・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます