丁度、衆院選が終わって、まあ予想通り、民主の圧倒的勝利だな。
でも、どうなのかね、今までの経験値がないのに、政治なんてできんのかね。経験値が浅い上に今のように、超難解な時代を統治するってのは、飛んで火に入る夏の虫になりはしないかと危惧してしまう。
まあ、政府も殆ど雑用ばかりで大変だろうけど、現実的な法改正と組織作りと、見える化を実施して欲しいものです。何はともあれ二大政党制というのは、西洋から取り入れた政治体制には必然だと思う。
さて、では本題です。最近、何だっけ、
「非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門 」
って本を読んだんだけど、それで、なるべくこのBlogもクイズ形式で、つまり、問題、結論、理由という形式で、書こうと思った。
どうやったら覚えられるか。まあ、覚えなきゃ行けないものも沢山あって如何に早く大量に、楽に覚えられるかってことを考えるんだな。
結論言うと、月並みで当たり前の結論なんだけど、繰り返し繰り返し体に叩き込むしかない。覚えると言っても、今日覚えて、明日、脳みそに鮮明に残っているとしよう、まあ若い内はこんな感じだ、オッサンになると、半日でも鮮明に残るってことはなくなるけどな、その脳みそに鮮明に残っていると言うのは、まだ、覚えたとは言えない。
本当に覚えたというのは、脳みそに鮮明に写らなくても、問題見たら分かるとか解けるとかそのレベルにまで言って始めて覚えたって言えるんだ。体に叩き込むって奴だ。日本語の習得がまさにそうだ。何処で覚えたかいつ覚えたか何て鮮明に頭に残っていないけど、しゃべれるよな。
ただ体に叩き込むというのは、言うと簡単だけど、実際には相当時間が掛かる。安易なスピードでは中々達成できない。しかし、中には叩き込むのに短い時間で叩き込まれていく人もいる。物覚えの速い奴だ。確かに努力の量も少なくないんだけど、覚える速さも結構速い。
こういうタイプはセンスとか別の面で大したことはないんだけど、取り敢えず勉強は良くできる。
でも、みんながみんな速いわけではないし、努力したからと言って速くなるわけでもない。速くなるかもしれないしならないかもしれない。
この辺の判断の基準は、1日に絶対できる最低限の量を決めて、数ヶ月から半年ぐらいやってみる、そして覚えられる量が自分の基準だ。ただこれも歳と共に変わっていくので、1年から2年ぐらいの基準は分かるけど、それ以上になると当てにはならない。
と言うことで、こうやって毎日体に叩き込む努力をするしかない。それで覚えるのが遅かったとしても、何か良い方法がないかなってHOW TO ものに手を出したとしても、何も変わらない。CPUがAthlon64 なのに、PhenomII X3の力を出したいと思って、色々やっても速くならないのと一緒だ。根性とか気合いとか精神力に頼っても駄目だ。せいぜい短期的に、1.1倍から1.2倍ぐらい伸びるぐらいだ。
そもそもHow to物の著者というのは、元々覚えの速い勉強のできる人が書いている、能力がある人が書いているんだから、速いに決まっている。予備校で点数が高い教科にはお呼びが掛かるのと一緒だ。出版社も覚える能力のある人に執筆の依頼するんだな。
精神力と言えば、竹槍でB29は落とせないのと一緒だ。何かしないと気が済まないからしていたんだろうけど、まあどうしてもしたい望みがあると、こういう非現実的なことにまともに取り組んでしまうんだな。
能力とか何とかがCPUを入れ替えるように変わっていくのは漫画とかゲームとか、映画とか小説の世界で、我々の住んでいる現実界ではない。
少欲知足というのは此処でも重要だ。
と言うことで、毎日コツコツ無理しない量を体に叩き込むと言うこと以外に、方法はない。そしてそれで出てきた結果が自分の実力って言うことだ。そして勉強の方法は変わらないけれども、人によってなぜか結果は変わってしまうと言うことだな。
Mother Teresaが言っているな、どれだけ沢山やったかじゃない、どれだけ心を込めたかだと。
ってな感じだ
でも、どうなのかね、今までの経験値がないのに、政治なんてできんのかね。経験値が浅い上に今のように、超難解な時代を統治するってのは、飛んで火に入る夏の虫になりはしないかと危惧してしまう。
まあ、政府も殆ど雑用ばかりで大変だろうけど、現実的な法改正と組織作りと、見える化を実施して欲しいものです。何はともあれ二大政党制というのは、西洋から取り入れた政治体制には必然だと思う。
さて、では本題です。最近、何だっけ、
「非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門 」
って本を読んだんだけど、それで、なるべくこのBlogもクイズ形式で、つまり、問題、結論、理由という形式で、書こうと思った。
どうやったら覚えられるか。まあ、覚えなきゃ行けないものも沢山あって如何に早く大量に、楽に覚えられるかってことを考えるんだな。
結論言うと、月並みで当たり前の結論なんだけど、繰り返し繰り返し体に叩き込むしかない。覚えると言っても、今日覚えて、明日、脳みそに鮮明に残っているとしよう、まあ若い内はこんな感じだ、オッサンになると、半日でも鮮明に残るってことはなくなるけどな、その脳みそに鮮明に残っていると言うのは、まだ、覚えたとは言えない。
本当に覚えたというのは、脳みそに鮮明に写らなくても、問題見たら分かるとか解けるとかそのレベルにまで言って始めて覚えたって言えるんだ。体に叩き込むって奴だ。日本語の習得がまさにそうだ。何処で覚えたかいつ覚えたか何て鮮明に頭に残っていないけど、しゃべれるよな。
ただ体に叩き込むというのは、言うと簡単だけど、実際には相当時間が掛かる。安易なスピードでは中々達成できない。しかし、中には叩き込むのに短い時間で叩き込まれていく人もいる。物覚えの速い奴だ。確かに努力の量も少なくないんだけど、覚える速さも結構速い。
こういうタイプはセンスとか別の面で大したことはないんだけど、取り敢えず勉強は良くできる。
でも、みんながみんな速いわけではないし、努力したからと言って速くなるわけでもない。速くなるかもしれないしならないかもしれない。
この辺の判断の基準は、1日に絶対できる最低限の量を決めて、数ヶ月から半年ぐらいやってみる、そして覚えられる量が自分の基準だ。ただこれも歳と共に変わっていくので、1年から2年ぐらいの基準は分かるけど、それ以上になると当てにはならない。
と言うことで、こうやって毎日体に叩き込む努力をするしかない。それで覚えるのが遅かったとしても、何か良い方法がないかなってHOW TO ものに手を出したとしても、何も変わらない。CPUがAthlon64 なのに、PhenomII X3の力を出したいと思って、色々やっても速くならないのと一緒だ。根性とか気合いとか精神力に頼っても駄目だ。せいぜい短期的に、1.1倍から1.2倍ぐらい伸びるぐらいだ。
そもそもHow to物の著者というのは、元々覚えの速い勉強のできる人が書いている、能力がある人が書いているんだから、速いに決まっている。予備校で点数が高い教科にはお呼びが掛かるのと一緒だ。出版社も覚える能力のある人に執筆の依頼するんだな。
精神力と言えば、竹槍でB29は落とせないのと一緒だ。何かしないと気が済まないからしていたんだろうけど、まあどうしてもしたい望みがあると、こういう非現実的なことにまともに取り組んでしまうんだな。
能力とか何とかがCPUを入れ替えるように変わっていくのは漫画とかゲームとか、映画とか小説の世界で、我々の住んでいる現実界ではない。
少欲知足というのは此処でも重要だ。
と言うことで、毎日コツコツ無理しない量を体に叩き込むと言うこと以外に、方法はない。そしてそれで出てきた結果が自分の実力って言うことだ。そして勉強の方法は変わらないけれども、人によってなぜか結果は変わってしまうと言うことだな。
Mother Teresaが言っているな、どれだけ沢山やったかじゃない、どれだけ心を込めたかだと。
ってな感じだ