![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/9a/17471b3ab10b5aeb36dace0469591f9a.jpg)
塩之入峠 信濃川沿いの与板から 島崎(良寛が国上から移住)
は6キロメートル位だが 弟由之の住む与板まで近くなったが、
120メートルほどの峠が大変な難所だったようだ、
与板は父の故里 知人親戚も多いが 貞心尼もこの峠を良寛に
会いに、
この峠が改修されたことを 喜び歌の託して感謝の心を読んだ
歌碑に長歌の一部がトンネルの与板側に、
志ほの理能さ可波 (塩入の阪は)奈のみに奈利耳け利)
(名のみになりにけり) 由久ひ東志ぬ幣(行く人しぬべ)
よ呂川餘まて耳(よろず代までに)
文政11年(1828年)井伊藩の手で改修
与板でここの塩の入り井戸水で作った塩を買ってきた。
塩の井戸は今はカギが掛けられていた。
お詫び、万一の落雷を危惧して、
カミナリが凄いので少し電源を切りましたので不通だつた
でしょうが、ご容赦下さい、
は6キロメートル位だが 弟由之の住む与板まで近くなったが、
120メートルほどの峠が大変な難所だったようだ、
与板は父の故里 知人親戚も多いが 貞心尼もこの峠を良寛に
会いに、
この峠が改修されたことを 喜び歌の託して感謝の心を読んだ
歌碑に長歌の一部がトンネルの与板側に、
志ほの理能さ可波 (塩入の阪は)奈のみに奈利耳け利)
(名のみになりにけり) 由久ひ東志ぬ幣(行く人しぬべ)
よ呂川餘まて耳(よろず代までに)
文政11年(1828年)井伊藩の手で改修
与板でここの塩の入り井戸水で作った塩を買ってきた。
塩の井戸は今はカギが掛けられていた。
お詫び、万一の落雷を危惧して、
カミナリが凄いので少し電源を切りましたので不通だつた
でしょうが、ご容赦下さい、
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